母は民芸調の小箱を大切にしまっていた。
土曜日の朝、私はまだベッドの中に居た。
「れいな、書斎の引き出しの中の茶封筒を持ってきてくれない」
玄関先で仕事に出かけようとしていた母の声がした。
「ママが取ってくればいいじゃない」
もう少し寝ていたい私は精一杯抵抗した。
「お願い…靴紐締めたからさぁ、土足じゃ上がれないでしょう」
母は通勤にはウォーキング靴を履いてる。
「もうしょうがないなぁ」
ベッドから這い出て母の書斎に入り、デスクの引き出しの茶封筒を取り出した。
母のデスクなど滅多に明けたりしないけど茶封筒を取り出した。
その引き出しの奥に小箱を見つけた。
「サンキュー…」
私を抱き寄せた母は出勤して行った。
母を見送って再び書斎に入り、その小箱の蓋を開けた。
そこには絵の描いた小さなノートが入っていた。
小箱を見てからずっと疑問に思いながら、私は母に聞く機会を逃していた。
それは、れいな憲法違反になるから…。
母は子供の頃、美智子皇后陛下のファンだった。浩宮さまの為に美智子さまが
ナルちゃん憲法を作られた。れいな憲法はそれを真て母が命名したものだった。
憲法というよりは娘の私がこんな風に育って欲しいという願いで、母自身の生き方になってきたようだった。母娘だけの約束事を色紙に書き、額に入れ(れいな憲法)と記して部屋に飾ってある。
私の名前は萩尾玲奈。中学三年生。生まれた時の体重1500g身長35cm未熟児。
病院の設備の良さと医師や看護婦の献身的な手当てで順調に育った。元気になった赤ん坊は歩き始めると少しもじっとしていない。身体は小さく、言葉は遅いのに動作素早く30歳の母を手こずらせた。
父は居ないので勤務医の母が大黒柱だった。当時、母の勤務先の病院の小児科病棟が私の遊び場で、医師や看護婦は顔見知りになった。
「金曜日の午後に病院へおいで。三人で食事しよう」
紅葉が目立ち始めたある日、北原聡医師から連絡があった。
母の古い色あせたアルバムに男子学生が数人写っていた。北原聡先生はその中の一人で母の一歳下で親友なのだ。医大時代から二十年余りの付き合いで、大学病院の産婦人科に勤務している。
医師になるためには普通、医学部に六年間学ぶ。国家試験を受けて合格すると研修医を二年務めて、晴れて医師となれる。ところが北原先生が産婦人科医として羽ばたいた頃、やっと母は研修医になった。
「後輩が先輩になっちゃった」
それには理由があったけれど母が明るく笑って言うのである。
北原先生の誘いで、私は出かける事にした。
母も後から合流する事になっているが、今は重病の患者を抱えているようで時間通りに来る事は期待できない。
文化祭が近づいている我が校は、午後からの授業はなくて、各自が担当する部所ごとで準備をする。私は音楽部でフルートを吹く事になっている。ミーティングを終えてから、制服のまま大学病院へ出かけた。
指示されたのは産婦人科病棟内の当直室。そこは一号棟の七階にある。エレベーターを降りると、左側にガラス張りの部屋が見えた。動物や花の絵が貼ってあって、私は一目見て小児科病棟だと分かった。幼い私が過ごした場所とよく似ていたから・・・・・。
右前方を見るとカウンターがあり、受付と記した大きな窓があった。そこはナースセンターで、看護婦が数人いた。
「こんにちは・・・・。北原先生はいらっしゃいますか」
躰一つ分くらい開いた窓から私が声をかけた。
「苓奈さん。北原先生から聞いてるわ。そっちのドアから入ってちょうだい」
初めて会った看護婦なのに懐かしい気がする。
帽子に斜めの本線が入っている。名乗っていない私を招き入れた。
「北原先生は急患で救命センターに行かれたのよ。時間がかかると思うから、ここで待っててね」
母の帰りが不規則なので待つ事には慣れている。
小学生の私が宿題をしながら待った当直室は仮眠ベットだけだった。記憶にある当直室より此処の方が面白そうなので看護婦の言う通りにした。
私の遊び場だった小児病棟ではうつろな眼、青白い顔をした子供が多く、歓声を挙げて走り回る子などいなかった。前日まで一緒に遊んでいた子の姿を二度と眼にしないこともあった。家に帰る車中、涙してる母を何度か見た。
産婦人科病棟は、何となく明るい気がする。部屋の真ん中に丸い大きなテーブルがあり、その上の棚に分厚いファイルがたくさん並ぶ。ナースルームの奥のガラス窓に新生児室と書いてあった。
「わぁー可愛い・・・・」
ガラス越しに覗くと小さなベッドに産着を着て頭を並べていた。
「みんな世の中に出てきて一週間くらいよ。赤ちゃんは時を選ばないし、きょうも産まれそうなのよ」
看護婦は、年齢は四十代半ばくらい。ショートヘアーで赤い小さな花の形のピアスがよく似合う。テーブルの周りには丸椅子にあり看護婦が腰掛けて書類に記入している。
「看護婦さんや先生は、夜も昼も安心できないですね」
「お産はね、昼間より人手が少ない夜が多いのよ」
「私も夜に生まれたそうです。八ヶ月で慌てて出てきたんですって。朝の回診を終わった途端、お腹が痛くなって、二日がかりで生まれたと母が言ってました」
「回診って・・・、苓奈さんのお母さんはドクターかしら」
「はい、小児科医です」
「あーそうなの。それで、北原先生が病院に慣れてる子だから、自由に見学させてやってくれっておっしゃったのね」
看護婦は笑いながら打ち明けた。私が何処にいても、楽しみ方を知っている事を北原医師は心得ている。
「お母さんがドクターなら苓奈さんもドクター志望なの?」
「まだ決めていないんですけど医療関係に進むつもりです...」
「お母さんは、どう、おっしゃってるの」
「母は『苓奈の成績じゃ医学部は無理ね』って言います。私は勉強は好きじゃないし、実力を知ってますから・・・・」
「聡和学園中学ね。実はね、私も聡和なのよ」
制服に目をやりながら看護婦が言った。
「本当ですか? 先輩になるんですね・・・・」
看護婦に会った時の懐かしさはそのせいかも知れない。
「大学受験までは数年あるじゃない。努力すれば合格するわ」
「私は勉強は好きじゃないし、実力を知ってますから・・・・」
本当のところは医療ソーシャルワーカーになりたいと思っている。まだ母にも相談はしていない。
「案内してあげられるといいんだけど今、皆んな出払ってるの。ごめんなさいね。北原先生が、病棟には慣れている子だから、自由にさせておいてくれっておっしゃたの」
北原医師は私が何処にいても、楽しみ方を知っている事を心得ている。待つ間にナースの許しを得て七階の西病棟を散策することにした。
ナースセンターを離れると、幅広い通路になっている。その両側には棚が沢山あり、医療品が整理してある。ワゴンもいくつか並んでいて上下の段にはステンレス製の容器がある。その容器は学校の保険室にもいくつかあって、私の記憶が正しければ、熱風消毒をした器具が入っていた。母が小児科医であることもあって、小学校の時は、保健委員をしていた。白いホーロウの容器に消毒液が入った水が置いてあった。私はその臭いが好きで必要もないのに、その水で手を洗って臭いを味わった。
通路がくびれた処に白いスクリーンで囲われたコーナーがあった。中を覗くと、机を挟んで椅子が向き合っている。左側の壁続きに白いカーテンが半だけ開いていた。何でも試してみたい私はその中に入った。そこには、背もたれの高い、椅子のような台があった。台の下の両側に、丸い筒を半分に切ったようなものが付いている。その場に誰もいなくて聞けないので暫く眺めた。台の真ん中はU字型になって、その下には金属製の皿のようなものが置いてあった。
私はU字型のところに腰掛けた。躰を横たえると、丁度いいくらいの処に小さな枕が付いている。でも、そのままの姿勢ではずり落ちてしまう。椅子を正面から見るとカーテンが吊り下がっている。それを引くと背もたれの部分が隠れた。
台の横にはモニターテレビとキーボードが付いた機械がある。画面に何か映し出されているが、私には分からない。機械の裏に(膣式超音波装置)と書いてある。台の下の床のペダルを踏むと椅子が少し上がった。元に戻そうとしたが、やり方が分からない。
「そこで脱いで、ちょっと待っててくれる」
椅子が高くなり困り果てているとカーテンの向こうで声がした。
隙間から顔を出すと看護婦とパジャマを着た女の人がいた。
「あら、そんなところで何をしてるの」
看護婦が言った。
「ペダルを踏んだら椅子が上がったんです。ごめんなさい」
私は即座に謝った。
ソバージュの髪の看護婦は少し怖い顔になって台を元に戻した。素足でパジャマの上だけを着た女の人が私の前を通ってカーテンの間から中に入っていた。
「これから此処を使うから邪魔しないでね」
ジャッとカーテンを閉めながら看護婦は私に言った。
(自由に見ていいと言ったのに・・・・)
心の中で抗議した。
長椅子の前に立っていると、広い幅のドアーが開き、白衣をマントのようになびかせて医師が入ってきた。
「おっ」という声を挙げて私を見たが、そのままカーテンの中に入った。
「傷はきれいに治っているし、順調だよ」
私の耳に医師の声が残った。
縦長の取っ手のドアを開けると廊下になっている。ドアは手を離すと自然に閉まった。戸の表には内診室と書いてあった。内診室を出ると左手の奥が当直室。北原先生と会う部屋だ。
ドアをノックした。返事がないので勝手にドアを開けて、中を覗いたが誰もいない。ベットと机だけの母の病院の当直室よりかなり広い。壁に向かって机が二つ並び、パソコンが付けっぱなしになっている。内診室に入って行った医師がこの部屋を使っていたようだ。反対側の壁を頭にして大きなベットがあり続きにロッカーが二つ並んでいる。部屋の隅にパイプ椅子が立てられていた。
当直室の左側に立入禁止と書いた部屋がある。透明のガラスごしに中を伺うと、通路を挟んで部屋が続くが人影はなかった。
内診室前の廊下は奥の病室に通じている。廊下を挟んで両側に洗面所やシャワー室やトイレ、湯沸かし場などがまとまとまり使い易そうな設計になっている。それらの水周りの部屋を取りまくように病室が続き、内診室と同じ取っ手が並んでいる。
病室の入り口には名札が付いている。ナースセンターに近いほうが個室になっているようだ。ドアが開いている病室もある。奥にある病室ほど相部屋になりドアが開いている。通りすがりに見ると、四人部屋で、立てられたベットにもたれて台に置いた本を読んでいる患者が見えた。年配の患者はベットに寝たまま目を閉じている。隣の部屋は若い患者が数人ガウン姿で端のベットを囲んでいた。笑い声に誘われて見ていると、私に気付いた患者が隣の人に合図するように目尻を挙げた。三人の化粧っけのない顔が、制服のまま産婦人科の病室を覗いている私に向けられた。その瞬間に笑い声が消えた。(子供が覗くとこじゃないよ)と言いたげな目で、中の一人がドアを閉めた。
廊下に目を移すと、パジャマ姿の少し腰の曲がった患者が手摺づたいゆっくりと歩いている。後ろのほうで小さな泣き声がした。振り返ると、ネグリジェを着ておさげ髪の若い女性が布に包まれた赤ん坊を抱いていた。私と目が合うと口元を僅かに緩ませた。母親は優しい笑みを見せて赤ん坊をのぞき込んだ。閉まったドアを開けようとしているので、私が手を貸した。
「ありがとう、助かったわ」
そこはさっき私が睨まれた部屋だった。
「いつ生まれたんですか」
「三日前よ。授乳が大変そう...でも、がんばらなきゃあ・・・・」
「お母さんだもんねっ」
「そうだった。じゃあ、どうも有り難うね」
お下げ髪を後ろに振り払うと部屋の奥に入った。再び白い目で見られると不愉快になる。銀色の取っ手をいち早く放した。
病棟をひと回りして内診室のドアの前に立った。ナースセンターに戻る時、台の前を通ったが患者と医師はもういなかった。
ナースセンターには医師や看護婦が戻ってきて丸いテーブルにそれぞれ座って書類に記入していた。さっきの医師もいた 。
「苓奈さんのお母さんは、小児科におられた萩尾先生なの?」
台のところで会ったソバージュ髪の看護婦が声を掛けてきた。
頷きながら答えた。
数年前まで母は、北原先生と一緒に病院に勤務していた。
側にいた看護婦たちも一斉に私を見た。
「萩尾先生は医学生時代はマドンナ的存在だったって話しだよ」
書類を書いていた医師が会話に参加した。
「萩尾先生には全然似てないわね」
母とはいつも親娘に見られない。母が若く見えるから...。
「ほんと似てないねぇ」
「パパ似なのかなぁ」
看護婦が口々に似てないを強調する。
あまり連発されるといい加減不愉快になってくる。
(どうせ私は見にくいアヒルの子よ)と心で思った。
母が大学病院を辞めてから10年以上過ぎているのにナース達の記憶に残っている事が私は不思議だった。
「苓奈ちゃん、北原先生から連絡があったからすぐ戻られるわよ」
帽子に二本線があるのは婦長だった。
私がナースセンターに戻ってきた時から電話中だった。受話器を置くと若い看護婦に指示を出すと私に声を掛けた。
「さっきね、部長先生が来てね...苓奈ちゃんのこと話すと...萩尾先生の娘だって教えてくれたのよ」
婦長が打ち明けた。
何故、私のことを皆が知ったのか不思議だったけれど、これで謎が解けた。
窓から廊下をぼんやり見ていると、ベットに乗った患者が来た。
看護婦が二人付き添い、その後ろに北原先生の姿を見つけた。手を振ったのに、気づかず通り過ぎた。
「北原先生の最後の患者さんなのよ」
婦長が言った。
「最後ってどういう事ですか」
「あら、知らなかったの。先生は、今月で大学病院を辞めて留学されるのよ」
婦長の言葉は初耳だ。
「先生、もう終わったんですか」
看護婦の声に振り向くと北原医師が笑顔で立っていた。
私が知らない事を看護婦が知ってる...。私の肩に手が乗った。
小学校の頃、剣道をしていたという北原先生はしなやかな躰つきをしている。白い肌とツンと尖った鼻と口元の両端がきりっと締まった顔が日本人離れして見える。気持ちの整理がつかないまま私はその顔を見ていた。
「待たせて悪かったね」
いつも白衣の前釦をきちんとかけて、下にはワイシャツを着ているのに、今日はグリーンの手術服だった。
新生児室から若い看護婦が出てきて北原医師を見ると、待ってましたとばかりの顔で書類を渡した。北原先生が頷きながらその書類に目を通す。白衣の胸ポケットからボールペンを出してチェックしたあと、婦長と二言三言業務連絡を交わした。
「それじゃ、当直室に行こうか」
珍しく外された白衣の前釦をはめながら私に声をかけて歩きだした。内診室の前を通るとカーテンは閉まっているが人の気配はする。
「あの娘、北原先生の娘さんかしら」
ソファーに座った二人の患者の声が、ドアが締まる瞬間に聞こえた。44才の北原先生だから、15才の私が娘でもおかしくはないだろう。私は北原先生の後ろを歩いて廊下に出た。
いつもは飲食店で待ち合わす。初めて大学病院に訊ねて来たけれど、変な噂を立てられないかと急に心配になった。
三人で寿司店で合流するまでだいぶ時間がある。北原医師は机の書類を茶封筒に入れ、それを脇に抱えて帰り仕度を始めた。
当直室から出るとそこには少し厚めの化粧をして身なりを整えた年配の女性が、若い男性と話していた。
「先生、息子が迎えにきてくれまして、これから帰ります。有り難うございました」
「よかったね。しばらくは静養するといいよ。一ヶ月くらいすればまた元気に働けるからね」
北原先生は少し笑みを浮かべながら患者と話を交わしている。
「本当にお世話になりました。ありがとうございました」
患者は深々とお辞儀を何度か繰り返す。
親子に見送られて北原先生と私は内診室からナースセンターに入った。丁度、交代時期で申し送りをしているところだった。
「何かあったらポケベルで知らせてくれる。じゃあ・・・・」
看護婦達に言葉を掛けて、ナースセンターを後にした。
「キタおじさん、患者さんを見送ってあげなくていいの」
荷物専用と書いたエレベーターに乗ってから聞いた。
「挨拶は済んだからいいと思うよ」
医師や看護婦は皆エレベーターを使うようで途中の階からも数人が乗った。
「玄関まで送って花束渡すんじゃないの」
「そんな事しないよ」
「でも、芸能人が退院する時、先生や看護婦さんから花束もらってるもの。ドラマでもそういうシーンがあるよ」
私が言うとエレベーターに居合わせた看護婦がクスっと笑った。
エレベーターが止まる度に申し送りが済んだのか看護婦乗り込んできた。
「入院している患者はたくさんいるんだよ。皆んなを見送っていたら医師も看護婦も本来の仕事が出来なくなるよ」
「それじゃ、ドラマは嘘なのね」
多勢になった看護婦が先生と私の話に注目している。
「僕はそういう人を担当したことがないからわからないよ」
そう言って看護婦達に目をやったが、皆んなで笑っているだけで、誰も何も答えようとしない。
「じゃあ、タレントが退院する時だけ大勢で玄関に出てきて見送るんだね」
北原医師は私の質問に手こずったのか唸って頭を抱えた。
一階に着いた。エレベーターの前には中庭が見えた。周りくねった廊下を行くと階段がある。静かだった白衣の天使も急に賑やかになり、同じ方に向かって歩く。医局はその三階にあった。
医局と札が掛かったドアを入ると、正面の奥にブラインドの掛かった窓が見えた。右側の壁に向かって机が並び、左側はスクリーンで囲ってある。中を覗くと仮眠が出来るくらいの大きなソファーが木の机を挟んで向き合っている。
背の高い多目的棚のガラス戸の中に食器が並ぶ。真ん中の棚にはコーヒーメーカーとポットがあった。その隣には小型冷蔵庫もある。
北原と名札のあるロッカーで先生は白衣から背広に着替えた。冷蔵庫から紙パックの牛乳を出し、戸棚から箱に入ったクッキーを出して私に勧めた。それを口に含んで、暫くすると私のお腹は静まった。
「食べすぎると食事が出来なくなるぞ」
休む間なく口に入れる私に、北原医師は釘を刺す。
「花束を渡して見送る話なんだけれど」
腹拵えが出来たところで再び話を持ちだした。
「さっきは返事に困ったよ。公にしたくない話だからね」
「どうして・・・・」
部屋には北原医師と私しかいない。
「苓奈だから話すけれど、有名人の退院に主治医が見送るのは何処の病院においても事実だよ。そういう人を担当すると、それで医師の知名度も上がるし、ある意味では名誉な事だよ。けれど僕は担当したくない」
「有名になれるのにどうして・・・・」
「僕は、病気の人や出産の手助けをしたいと思うんだ。有名人の主治医になると、その一人のために時間をとられてしまうことが嫌なんだ」
これぞ医者の鏡か・・・・なんて私は心で思った。
「治療や手術が上手くいけばいいけれど、その反対の場合だってある。そうなると担当した医師の全てが暴露される。医療の知識のないマスコミの関係者が、今まで聞いた事がないような医療用語を使って医師を潰しに掛かる。僕はその餌食にはなりたくない。患者や家族に説明する労力は惜しまないが、それ以外の事に煩わされたくないからね」
有名人崇拝する人は世の中にはたくさんいる。北原医師の言葉は警告のように響いてきた。
「もっとも僕には、お呼びは掛からないだろうけれどね」
照れたように頭をかいた。
北原医師は男性としては長身ではないが、白衣は躰を大きく悠然と見せている。背広姿は北原医師をより若く見せた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
病院職員駐車場の車に乗り込んで目的地に向けて出発した。
10分で寿司店に着いた。待ち合わせより少し早いので、店の座敷の方に上がって母を待った。
クラスの友達は、家族で食事に行く時にはフランス料理とかイタリア料理と言う話をよく聞く。私は一目見て何が原料か分かるものでないと嫌だ。
「ハンバーグが嫌いなんて子供らしくないわね」
揚げ物が大嫌いで、油を使ったものは食べない私に母は呆れている。私の好物は魚介類と生ハムと肉しゃぶ。そんな私が満足出来る外食はいつも寿司店になってしまう。
此処の寿司店に初めて来たのは小学校六年の時。もちろん北原先生と母と私の三人だ。家族だと思った店の人は『キタおじさん』と呼ぶ私を見て、怪訝な顔をした。冬になると沖すきや、てっちりをご馳走になる。それもまた楽しみなのだ。
「遅くなってごめんなさい」
6時をだいぶん回った頃、母が駆け込んできた。
母は病院に勤務しながら非常勤講師をしている。きょうは講義の日でグレーのスーツ姿だ。
「気になる子がいて病院に寄ったら別の子の両親に引き留められて説明が長引いたの。ごめんなさい」
息を切らしながら母の弁解だ。いつもの事で母が悪い訳ではないが・・・・。
「子供の様子はどうだった」
「萩尾先生の点滴でないと受けないって言う子供がいるの。待ってくれてると思うとね・・・・」
私に向かい(立派なもんでしょう)と言わんばかりに胸を張った。
母が来てからは店のカウンターに移った。やっぱりお寿司を食べるのはカウンターが良い。背が低い私は椅子が合わず、足はぶらぶらするけれど。母は一本ビールを注文して飲んでいる。
「キタおじさんとお母さんで私に嘘を付いたでしょう」
気分良さそうな二人に向かって私は言った。
「何の事かしら」
店に着いてから話す事になっていたので、母は訳が分からない。
「うちの看護婦が話してしまったんだよ」
北原医師の言い訳で母が頷いた。
カナダ行きの話がもう少し広がるのかと思ったが、それ以上は二人とも話そうとしない。北原医師と別れるのが寂しいのは母も同じなのだろう。カウンター内の店員は二人が医師だと知っている。躰の状態を話すのだけど、その人達の役に立つ診療科ではなく話の進展はない様だ。 看護婦が話をばらしたので二人は、調子抜けしたが、仕事の話になると断然盛り上がる。産婦人科と小児科は連携が必要だと母は言う。その意味でも母と北原先生は良いコンビなのだろう。
「苓奈とお寿司を食べると高く付くわ」
すしネタを順番に食べる私を見て母はいつも嘆く。
きょうは北原医師の驕りのようだ。私は遠慮なしにひたすら店員に注文して寿司を口に運んだ。
(きょうはうーんと食べてやる。私をのけ者にしたから)
心で叫びながら。
突然、ベルが鳴った。店には私達の他にも客がいたが、その音は発信は北原医師の胸ポケットの中だ。医師の多くはポケットベルを持っている。もちろん母の持ち物の中から音を聞いたことも何度もある。
北原医師はスイッチを切り、すばやく店の電話に飛びついた。
「これからお産があるんだ。苓奈ごめんね。」
医局でのいやーな予感が的中した。
飲酒をしない北原医師はきょうもウーロン茶。お酒は母のほうが断然強い。
いつもは落ち着いている北原先生なのに、水を一気に飲むと、珍しく急ぎ足で外に出て車を発進させた。母も一旦店の外に出て北原医師と何やら言葉を交わして、車中の人に手を振った。
「お母さん、キタおじさんは何故、ネクタイをとるの」
店の外に出て見送った時、ハンドルを片手に衿から引き抜くのが見えた。
「妊婦と接する時は自分自身をリラックスさせて、自然体でいるというのが彼の持論だって言うけれど、本当は首を締め付けるのが嫌いだけだと思うわ」
北原医師の事は何でもお見通し母だ。北原医師はもう店に戻ってこれそうにないので私達も、切り上げて店を出た。
母はタクシーで来た。北原医師の車を当てにしていたが、見事に外れた。仕方なく夜の街を母と歩いて駅前からタクシーに乗った。
11月半ばを過ぎると火の気のないマンションの部屋は、流石に寒々としている。リビングのエアコンのスィッチを入れた。
母は夕食を作るときにいつも朝食の分も作るが、外食の今日は洗い物をする事もない。服を着替えてからエプロンをして、きれいに片付いているキッチンに立った。私はホットカーペットを敷いた床にクッションを枕にして寝ころんだ。台所は対面式になっていて、私のところからは横になっても母の動きがよく見える。
母が手際よく朝食と弁当の下ごしらえに取りかかった。卵をゆでながら、味噌汁の具にする野菜を切ってラップに包む。鍋の中の卵を時々かき混ぜながら、空いてるガスレンジで、サラダ用のじゃが芋をゆでた。お弁当用に切り身の魚に焦げ目を付けて出来上がり。それらを密封容器に入れて冷蔵庫の中にしまって下ごしらえは済んだようだ。
「お母さんに聞きたいことがあるんだけど」
暖かくなった室内にはFMラジオが掛かっている。
「何なの」
エプロンを外し、フックに掛けてから私の横に座った。
「キタおじさんの病棟内にあった台のような椅子なんだけれどさ。真ん中にカーテンが吊ってあったし、円筒を半分に切ったような台も付いてたわ」
待っている間に誰かに聞けば良かったんだけれど、北原医師が病院を辞める事の方が頭に残り、聞くタイミングをはずしてしまった。
「それはね、産婦人科だけに使う診察する台よ。内診台といってるわ。苓奈はそんなところに入ったの」
「カーテンが半分開いてからさ。その台に腰掛けたんだけれどね、座り心地悪かったわ」
「そんな事までしたの」
母はそう言って笑った。
半筒型の部分に両足を乗せると母が言う。体勢を想像した。私の前を通った患者はパジャマの上だけしか着ていなかったから下半身は全部見えてしまう・・・・。
「足を乗せたら両足が開くじゃない」
「そうよ。そうしないと診察が受けられないでしょう」
頭に描いた姿に顔が紅くなる。
「産婦人科の診察はそんな恰好をするの・・・・私はいやだわ。お母さんはよく耐えられるね。信じられないよ」
「誰でも、初めての時は驚くわよ。平気じゃないし屈辱的にもなるわ」
考えただけで心臓が破裂しそうなのに、言葉の割には冷静に話すのは母が医師だからだろうか・・・・・。
「キタおじさんはいつも向かい側にいるんでしょう」
「そうね、ドクターだから・・・・」
「じゃあ、毎日、足を開いた人を見ているの」
「それが、産婦人科の先生の仕事だからね」
「キタおじさんが・・・・私、なんかいやだなぁ・・・・・」
大好きな北原医師への信頼感が崩れていくようだ。
「苓奈はキタおじさんが大好きでしょう」
「そんな仕事なんて思わなかったよォ・・・・」
「喉が痛い時は口を開けて見せるでしょう。それと同じよ。産婦人科の診察する手段にすぎないの。足を開けた人を見ているなんて思うのは大きな間違いよ」
講師をしているせいか母は説教が好きだが、ガミガミとかヒステリックには話さない。
身長169㎝と女性としては長身の母は、自分は必ず座ってから私と向き合う。
「ずっとキタは同じように診察していたのよ。今まで何度も会っていて一度でも嫌だと思った事あるの」
私は強く首を振った。
母は私の真正面に座り直した。
「それなのに診察方法を聞いただけで、どうして嫌な人だと思うのかしら」
最初、私は母が親友のキタをかばっているんだと思った。
「産婦人科のドクターは大切な仕事よ。産婦人科と言うと眉を潜める人もいるわ。でもね、どんなに威張った男の人でも母親のお腹に十ヶ月いてから生まれてくるの。その時に手助けするのが産婦人科のドクターよ」
本質的には優しい母なので、私を叱る時も頭ごなしには言わない。その話ぶりには、つい引き込まれてしまう。
「わたしも医学部の実習の時に体験したけれど、命の誕生は感動的よ。それが忘れられなくて産婦人科医になった人もいるわ。苓奈がそんな風に感じたなんて、がっかりね」
仕事を持つ母は出掛ける時はスーツとか、ワンピースにブレザーという服装をしているが、家ではブラウスにセーターとかカーディガンをはおっている。私は家にいる時の母の方が好きだ。人と話す時、母は相手と必ず目を見合わす。切れ長の母の眼は強気に見える。その上スーツ姿で、小言を聞いたら怖いだろうと思う。
母はキッチンの壁にある風呂給湯のスイッチを入れる為に立ち上がった。
「キタにわたしが、どれだけ多くの事で助けられたかを苓奈に話さなきゃね。苓奈が生まれる前の事を・・・・・・」
ソファーに座り、両手を膝で組んだ。暫くは指先を見ていたが、やがて言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。私のキタおじさんへの気持ちは元に戻りつつあった。
「大学に入ってすぐの頃、わたしは医学部の同級生で好きな人が出来たの。二人で一緒にいたくて、二部屋あるわたしのアパートで暮らし始めた。キタは、彼の一年下で高校が同じだった。二人で暮らしている事はキタも知っていた」
学生時代の頃の事を母は話さない。北原先生との長い付きあいは知っているけれど、先生以外の人の話は殆ど聞いた事がなかった。
「わたしね、料理が好きな方だったから、まめに作ったわ。そのうち彼の友人達が、わたしの手料理を当てにして遊びに来るようになって、同棲は皆んなが知るようになったの。寮母さんになったみたいだった。キタもその中にいたの」
初めて聞く大学時代の話から、以外と楽しい学生生活を母は送ったように私は感じた。
「医学部ってね、教わる事が信じられないくらい多いの。授業だけでは追いつけなくって皆んなで勉強する事にしたの。その時、女子学生は、わたし一人。病院での実習が始まる頃にはわたし、ついていけなくなったの」
母は国立大学を一度で合格した。そんな鼻持ちならない人でも落ちこぼれる程、医学部は難しいのならやはり私には無理だなぁ...。
「わたしは炊事や掃除、洗濯もしなくてはいけない。部屋に男の人がいるとタバコの臭いは鼻につくし部屋は散らかる。彼は勉強だけすればいいけど、わたしは片付いていないと集中出来ないの。掃除してから勉強するの。気が付くと、しょっちゅう掃除ばかりしていたわ」
医師が仕事の母だが、休日はエプロン姿で家中を動き回る。私は母は病院よりも台所の方が似合っていると思う。
「彼が寝たあとの深夜に勉強する事が多くなって睡眠不足で、食欲までもなくなった。それで、体調を崩して寝込んでしまったの。同級生が国家試験の受験態勢に入った頃、わたしは過労で入院したの」 娘の私が見ても母は勝ち気だと思う。
(男性の中に混じって疲れたの)と言おうと思ったけれど黙って聞く事にした。
「それが原因で実家にも同棲がばれて・・・・でも彼もわたしも別れる気持ちはなかった。入院中も皆んなで見舞いに来て『早く元気になって、うまい料理作ってくれよ』って励ましてくれた。A型肝炎で結局、二ヶ月間入院した。わたしが体調をとり戻した頃、同級生達は白衣を着て羽ばたいて行ったの。退院しても、勉強のブランクは取り戻せないしやる気も起こらない。退学しようかと考えたの」
母は私に泣き言など言ったことがない。母が学生時代を話さなかったのは、弱音を吐きたくなかったのだろう。
「彼を待つ日が続いて、お嫁さんになったら楽だろうと思ったの。友人達の出入りもあったけれど、彼の帰りが待ち遠しくて仕方なかった。新婚時代ってこんな気持ちだろうなんて思った」
優等生のハギから外れているけど、興味がある話だ。
「同棲生活が続いても、彼もわたしもまだ親から仕送りを受けていたの。彼の研修期間も終わりに近づいて、そろそろけじめをつける時期だった...」
ホットカーペットに寝ころんで聞いていた私だけれど、クッションを抱いて座り直して聞く体勢をとった。名前を言わない母の同棲の相手が北原医師かと思ったが、そんなはずがある訳がない。
「苓奈にはお腹の傷跡の詳しい話をしていなかったわね。わたしね、高校三年生の時に卵巣嚢腫という病気で卵巣の片方を摘出する手術をしたの」
いつもお風呂は一緒なので母のお腹の傷は知っていた。
「赤ちゃんはどこから産まれるの」
幼稚園の頃、私は母に質問をした。
「お腹を切って出てくるの。ホラ、ここに傷あるでしょう」
母は私に下腹の傷を見せた。
その話しが嘘だと知ったのは性教育を受けた小学四年の時だった。傷は知っていたけれど病名は聞いていなかった。
「手術後、定期検診を受ける必要があったの。でも、入院したりして暫く婦人科へは行っていなかった。久しぶりに受診すると担当医に『妊娠しています』と言われた」
「医学生同士なのに、何故、避妊しなかったの」
独身の男女にその事が必要なことは私も知っている。私は敏速に母に質問を投げ掛けた。
「卵巣の手術を執刀したドクターに、残っている卵巣もいつ再発するか分からないと言われていたし、将来妊娠する事も難しいかも・・とまで言われたから、わたしはそれを信じていた。それに、お互い口には出さなかったけれど卒業後は結婚するつもりだったから避妊はしなかった」
「結果は妊娠したんでしょう」
私は尋問でもするような気分になった。
「信じ難い事だけど本当だった。でも妊娠を知った時は嬉しかった。すぐに彼に伝えたけれど・・・・」
気丈な母が、辛そうに顔を歪めている。少しだけ私の心が痛んだ。
「彼はね、教授になる希望を持っていたの。教授になるには結婚して生活が安定していると有利と言われていた。でも彼の計画に妊娠はなかった・・・・」
気が強い母だけど、悔しいという顔は余り見た事がない。今の母はそれが強く現れている。
「それなら、よけい避妊が必要だと思うけど・・・・」
わざと冷たそうに私は言った。
「苓奈の言う通りわたしの考えが甘かった」
母はうつ向いたままさらに言葉を続けた。
「亡くなった母が『女はいつも妊娠する事を頭にいれておかないといけない』と言ってたのを忠実に守ればよかったのよね。彼は当然のように中絶をするように言った」
「中絶って、子宮の中の赤ちゃんを消し去るんでしょう」
「そうよ。悪く言えば、お腹の中で殺してしまうのよ」
患者に説明の必要がある母は、毅然と話しているけれど昔の話に心は揺れているようだ。
「殺すなんて・・・そんなのひどいよ・・・・」
母の恋人も医師を目指している。一緒に暮らす女性が妊娠したのに、命を消す事を選んだ男性を私なら許せない。
「正確に言うと、子宮にいる間は胎児と呼ばれるの。妊娠してから五ヶ月を過ぎて、胎児が大きくなると中絶はできないの。でも例外もある。それは妊婦、つまり母親が、赤ん坊を産む事で死亡する危険のある人とか、他の幾つかの条件付きで、法律で中絶が許されているの。それを優性保護法と言うのよ」
このような説明は、講義で慣れているだろうけれど中絶の私の印象に変わりようがない。母は、その事で相手の男性を責めない。その事に触れようともしない。母は今でもその人が好きなのかな。
「中絶は誰がするの」
「優性保護法に基づいた中絶なら、産婦人科医が処置を行えることになってるわ」
「それじゃ、キタおじさんも中絶をするわけだ」
「そういう時もあると思う。でもね...大学病院で中絶するケースは少ないんじゃないかしら」
「命を殺すってどんな気がするのかなぁ・・・・」
「わたしね、彼に中絶を言われたとき一瞬、考えた・・・・」
母は、自分の手を揉みほぐしながら言った。
「女の子には妊娠適齢期があるってお母さんは言ったよ。だから最初の妊娠は大事だって...出来るならその妊娠は愛した人と正式な結婚してからする方が良いって、私、それを信じてるよ」
その話を聞いたのは私が初潮を迎えた時だ。母から十代の無理なダイエットは生理不順や生理痛の原因になる場合もある話や、女性の躰についても教えられた。二年前の事なので、しっかり覚えている。私の月経はまだ安定してない為に母のアドバイスを受けている。
「そう、覚えているの・・・・わたしだって命を助ける仕事を志すのにそれを消し去る事なんて出来なかった・・・・・中絶を認めないわたしに、彼は自分の希望を話してわたしを納得させようとした。けれど、私は一人でも産むからと言い切った。でも不安だった・・・」
赤ちゃんを巡る怖い会話の中で、母が小さな命を守った事を知って私は救われた気がした。
「研修医になった仲間はみんな目標に向かって歩いている...でも...わたしだけ取り残された気持ちを彼が支えてくれてると思っていた。でも気が付くと周りに誰もいなかった。小さな命だけが私の中にいた…こんな風に言うときれいに聞こえるでしょう」
辛くなる話なのに母は微笑んでみせた。
「キタはその頃から産婦人科医になる目標を持っていたの。恋人には喜んでもらえない命を抱えて、相談に行った」
母のお腹の中の小さな命は一瞬...私なのかと思った。けれど、母が医師になって私は産まれているので、そんな筈はなかった。小さなノートに忍ばせてあった写真が目の前にちらつく…。
「キタにね、手術の事も話した。卵巣を残したのは、まだ年齢が若いからで治った訳じゃなかったの。将来妊娠する確率も少ないだろうし、今の妊娠を逃すと二度と妊娠できない不安な気持ちを打ち明けた。話をゆったり聞いていたキタが『どうしても産みたいんだね』とわたしに確認してから、提案をしたの」
母は書斎から、私が見つけて以来、気になっていた民芸調の小箱を持ってきた。蓋を開けられた箱の中身を私は知っているが、初めて見るように覗き込んだ。
「その頃、勉強は遅れるし、妊娠したのに恋人に相手にされないしで、最悪だった。そんな状態で子供を産んで育てるのは無理だとキタは言うし、わたしも自信はなかった。随分考えたけれど・・・・キタの提案を受け入れる事にしたの」
思い出を語る母の表情が曇った。
「キタに鍵崎加代子という女性を紹介された時、わたしは妊娠四ヶ月。結婚十年で一度も妊娠出来なかった加代子さんは七才年上だった。キタの提案は私達が入れ替わり出産する事だった」
「そんな事をしてもいいの」
私の質問に母は少し顔を曇らせた。
「本当は罰せられるけどキタは私の為に協力してくれた・・・・」
母は苦しい言い訳をした。
「それじゃ、犯罪じゃない」
母は、大きなため息をついて目を見張り首を縦に振った。
「キタの同級生の実家だった産婦人科医院を紹介してくれたの。それは、わたしを知る人は誰もいない街にあった。加代子さんを知っている人もいなかった。医院で妊娠の証明をもらい、わたしは崎山加代子として母子手帳の申請をしたの」
カーペットの上に置いた小箱から母は手帳を取り出した。折りたたんであった紙も丁寧に広げた。
「これは母子手帳と言って母と子の記録なの。」
さっきから私の背後霊みたいに張り付いている写真も入っているはずだけど母は出さない。
「産婦人科医院から遠くないところにアパートを借りて通院した。それから半年経って二千八百七十グラムの女の子が産まれた。一ヶ月検診が済んだ後、母子手帳と共にキタに抱かれてその娘は行っちゃった」
どちらかと言うと明朗な性格の母は辛い話を、いたずらぽい表情でながした。
「お母さんの産んだ赤ちゃんは私のお姉さんでしょう」
「そうよ。でもね、わたしが産んだ証拠は何もないのよ」
「どうしてなの」
「それは...鍵崎加代子として産んだからよ。でも...間違いなく苓奈とは血がつながっているお姉ちゃんよ」
一人っ子だと思っていた私に姉がいた。
お姉さんと言うと思い出す事がある。
小学二年生の時だった。小児病棟で遊んでいた中に車椅子に乗った私より五才上の少女がいた。いつも膝の上に画用紙と色鉛筆を置いて絵を書いていた。絵の中に文章を書き、それを綴じてリボンを結んで絵本を作った。少女の主治医だった母の提案で絵本の読み聞かせをする事になった。朗読の得意な看護婦が小児病棟のプレイルームでそれを読む。私はそれが楽しみだった。パジャマを着た子供達と一緒に聞き入った。抜けるように白い肌をした少女は、何冊も画用紙の絵本を描いた。そのうち少女自身が読み聞かせをするようになった。病棟の子供達から絵本のお姉さんと慕われた。私もこんなお姉さんが欲しいと思った。
ある朝、絵本のお姉さんはストレッチャーで手術室にいったまま、病棟には帰ってこなかった。その少女の画用紙絵本の一つを母は大切に持っている。お姉さんという言葉は私には悲しい響きの中に残っている。
「出産したあとね、萎んだお腹とは逆にたっぷり膨らんだ胸からは滴るように母乳が出てくるの。それを搾乳器で絞り出してキタの病院に冷凍にして送った。その母乳が未熟児達に役立つと分かっていても虚しくて・・・・」
母の目が潤んで、そのうち玉になって流れ落ちた。今迄、明るくてきぱきと働く母の姿しか私は見た事がない。母の涙なんて、今初めて見た気がする。私が生まれる前に涙にぬれた出来事もあったのだ。
遠い日の話に母と私はそれぞれ違った感傷に浸っている。私の姉という言葉に対する思いを母は知る由もない。
せっかく産んだ娘を手放した母の気持ちを私は理解できない。「キタと崎山夫妻と私しか知らない出産のあと、再び大学に戻って医学の勉強をする決心をしたの。結局三年間休学してしまった。同級生は皆んな白衣を着て病院で活動しているし、下級生までが追い抜いていった。キタは研修期間を終えると結婚したの」
「お母さんの恋人は、どうしたの」
私は母のアルバムの中の数人の男子学生を思い浮かべた。母が一緒に暮らしたその人の写真は、もう手元に残っていないだろうと私は勝手に考えた。辛い思いをさせられた人の事なんて私なら思い出したくないもの。
「知らない街で出産する為に彼に黙って出たの。子供を産んだあと、五年間の同棲生活をしたアパートにはもう彼はいなかった。大学病院での実習で彼を見かけたけど、わたしに冷たい視線を向けていた。わたしの事なんてすっかり忘れたようだったけれど当然よ。その後、彼は首都圏の大学院に行った。今は助教授になってる・・・・家庭も持って、子供もいるみたい・・・・」
物思いに耽ったり、ため息をついたりする母の姿も見た事がなかった。私の前では努めて見せないようにしていたのだろう。
母は遠くを見つめるように、ぼんやりと座っている。やはり手元に置かなかった子供を思い出している風に見える。
「研修医を終わると二十九才になっていたわ。ブランクを取り戻すのに必死で、わたしはおしゃれにもしなかった」
45才の実年実齢よりも、母は若く見える。卵型の顔の中心に目鼻が礼儀正しく配置されている。歯並びがきれいで笑った口元を上品に見せている。時折、洗い流すパックをする他はエステティックなどには、通っていないのに肌にもまだ艶がある。娘の私が、どんなに意地悪く見ても美人だと言える。ブランド商品で着飾ったりはしないけれど、母の見窄らしい姿など私には想像できなかった。
「医師として張り切っていたのに、すぐにダウンしちゃったの。底冷えのする夜だった。下腹部に烈しい痛みが起こった。救急車を呼べばいいのにキタの家へ電話したの。受話器にキタの奥さんが出て、遠くの方から子供の声がしてた。その声が、いつまでも耳に残って・・・・・・・」
北原医師と母がどんな付き合いかは詳しくは知らない。二人の関係を何も気にしないと言ったら嘘になる。特に中学生になってからは・・・・。
「腹痛は盲腸炎だった。仕事に復帰してから急に、一人暮らしが寂しくなって、家族が欲しいと思うようになったの。幼稚園に入る年齢になっている子供の事を思い浮かべると辛くなるの。キタに、ようすを聞こうと思うけれど出来なかったわ。却って惨めになりそうで・・・・」
この言葉だけでは母が私の姉を手放した気持ちを理解できない。
「その頃、世間では日本で初めて産まれた五つ子が話題で、キタも不妊治療を担当していた。わたしは独身なのに子供を産みたいとキタに相談したの。人工授精って聞いたことあるかしら」
男性の精液を採取し、女性が排卵する頃に子宮内に注入するのが人工授精で不妊症の治療方法だと母は言う。
「未婚の私が、キタに人工授精の処置をして欲しいと頼んだ」
話が移ってしまって、母に訊く機会はなくなりそうだが、娘を手放した気持ちなど訊くほうが酷なのかも知れない。
「独身だと駄目なのどちらかに原因がある場合でないと出来ない事になっているのよ」
「じゃあ、お母さんは、キタおじさんに違反をさせたの事になるじゃない」
「そうなるわ。彼に法に触れる事を2度もさせた」
「二度も人工授精をしたの」
「そうじゃないわ。他人の母子手帳を使ったことよ。そのうえに人工授精をする為にキタに『精子を提供して欲しい』と言ったの。そんな事はキタにしか頼めなかったけど・・・」
母は何事も私に分かり易く説明してくれるが、きょうの話を全て理解する事は難しい。それに一度に沢山の話を聞いて頭の中が混乱して私はぐったりしてきた。
大学の講義で話すことには慣れている母も今日は時間が長いので疲れているようだった。
マンションに帰ってから、すでに1時間以上経っていた。いつもなら、お風呂に入っている時間になっている。
母の学生時代の話も聞いた事がなかったのに、今、私の出生の真相が母の口から語られようとしている。
「精子を提供する人をドナーと言うのよ」
母は私に説明しながら父親の欄が空白なったままの母子手帳を開いている。私は父の名前を知らず育ち、それを母に聞いた事もない。気にならなかった訳ではないけど、厳しく優しくおおらかな母のお蔭で不自由を感じた事はない。
「わたしは、一人で暮らすのが寂しくて家族が欲しい事も確かにあったけれど、その頃、キタに惹かれている自分を感じていた。本当はキタの子供が欲しかった・・・・」
(もう一緒に暮らした人の事は忘れたの)
心の中が質問している。
「わたしが、子供が産みたいから、あなたの精液を欲しいと言ったんだからキタはとても困ったと思うわ」
母は、まるで他人事のようにさばさばした顔をしている。
「北原先生は何故ドナーにならなかったの」
これはずっと私が気にしてきた事だった。
「キタはね『ドナーになる事は簡単だが、容易に承知できない。子供が欲しいならドナーは僕でない方がいい筈だ』と言うの」
ちょっとまた、ややこしい話になってきた。
「夫婦間以外の人工授精の場合は受ける方も提供する方も氏名は公開しないのよ。それにね、精液は数人分を混ぜるの。特定の人になると私情を交える事になってしまうから。キタが断ったのにも理由があったのよ。わたしの希望を叶えられないのもその為なの...」
医師である母は当然のように言うが、私にはちょっと刺激的だ。動揺する心を抑えて聞いている。心の中の言い出せない事は、だんだん大きくなっていく。
「人工授精の処置をするためにキタに紹介状を書いてもらった。再び訪れた産婦人科医院は、もうキタの同級生が院長だった。医院では不妊の検査から始め、その後人工授精の処置を受けたの」
もう随分前の話なのに母は目を伏せてす事が多くなった。
毅然とした母の影が薄れていく気がする。
「わたしね、今度こそ自分の手元で育てられるのが嬉しかったわ。普通はそれが当たり前だけれど。妊娠が確認されてからはキタの勤務する病院で産む事に決めたの。二ヶ月早く、千五百グラムで赤ん坊は生まれた・・・それが苓奈よ」
母子手帳を掌に乗せたまま、私の気持ちなど知らずに話し続けている。
「小児科医として、未熟児は大勢診てきたけれど、初めて対面したとき『小さくてごめんね』と思わず手を合わせた。か細い躰を精いっぱい動かしている保育器の中の苓奈を見ると、涙が止まらなかった」
私を産んだ時の思い出に母は浸っているようだ。
「主治医のキタが『元気な子になるように頑張ろう』と励ましてくれた・・」
北原医師がドナーだったら私は生まれてこなかった。その時から北原医師と母と私はつながってきたのだ。
肩に掛かる長さで前だけカールした髪型の母は、話を始めた頃から眼を潤ませていたが、ここに来て涙も見せた。私は苛立つだけで不思議と涙は出てこない。真実が証されても私は、ひと事のように思えるのだ。
小学校四年生で性教育があって、その話を母にした。
「赤ちゃんは、親の愛情に包まれて産まれてくるのよ」
その時、母が言った事を思い出していた。私が生まれた時のことを今、母から聞いたけれど、そこには愛情なんてこれぽっちも感じない。
「私は理科の実験みたいにして産まれてきたんだね」
心にもやもやしていた言葉がついに吹き出た。ホットカーペットはそんな私に暖かさを感じさせている。母はそれまで思い出に浸っていたが、私の言葉に我に返ったように顔をこわばらせた。
「理科の実験ですって・・・・何故そう思うの」
私は素直にそう思った。そのあと何故か悲しくなった。
「だって、検査したり精子を取り出したり、まるで私を人工的に作り出したみたいだよ・・・・・」
急に涙が出てきて、ソファーに顔を伏せた。
「そうじゃないわ、苓奈、よく聞いて」
母は私の肩を後ろから抱き、床に座らせた。真正面に母の顔がある。
「人工授精は子供が出来にくい人に行う治療方法なの。夫婦間では多くの人がそれによって妊娠しているわ。でもね、産婦人科医院の院長はキタの同級生だけれど、突然人工授精だけは出来ないから、不妊の検査をしたの」
母は両手で私を抱きしめている。
医学的な話しで母の方は幾分か元気が出たようだ。けれど、吹っ切れないものがまだ幾つか私の奥に淀んでいる。
「お母さんは妊娠経験があるのに何故子供が出来にくい人の真似をしたの」
「真似したんじゃないわ」
母は私の躰を解き離して、ソファーに座り直した。
「赤ちゃんを産んだのに、どうして検査をするの」
「一度妊娠したからといって不妊にならないとは限らない。人工授精を成功するために必要になる検査もあるのよ。わたしね、卵巣の手術で、赤ちゃんは望めないかも知れないと不安だった。だから、最初の妊娠を知った時は嬉しかったわ。結婚はしていないけれど産みたいと思った。愛する人から中絶と言われるのは辛かったし、自分の手で育てなかった事を後悔した。だから一度は産みこの手で育てたかった。でもキタには迷惑を掛けてしまった」
母は平常心に戻ったようだけど、私はまだ戸惑っている。
「どうしてキタおじさんはお母さんに協力してくれたの」
違法行為までした二人の関係を私は考えた。
母の座るソファーに私も並ん母の言葉を待った。
「危なっかしいわたしを放っておけなかったんでしょうね」
「本当にそれだけなの」
「それはどういう意味かしら」
「キタおじさんは、お母さんを愛していたんだと思うわ。お母さんも同じ気持ちだったんでしょ?」
「その通りよ」
私の言葉は母の心を言い当てたようで、娘の前で照れずに言い切った。
「同棲していた頃、わたしへのキタの気持ちは分かっていた。中絶を言われた辛さもキタがいたからこそ、乗り越えられたと思うわ」
「それなら何故すぐにキタおじさんと結婚しなかったの?」
遠い日を思い浮かべる母の表情は意外と明るい。
「わたしが恋人と別れた時は、キタは結婚していたし双子も生まれた」
(その時は諦めたんだね)
喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
とにかく私の出生の謎が解けた。なのに私の心はすっきりしない。姉がいた事を知っても会いたい気持ちも湧かないのだ。
「もし私が未婚で妊娠したら、お母さんは中絶は駄目って冷静に言える?」
性教育では避妊が大切な事は教わっている。
今小児科医である母が学生時代とは言え基本的な事を守っていない。北原先生が「ハギは優等生だった」と言ったけれど、私は納得が出来ない。
「その質問をされても、わたしは弁解の余地はないわ。娘にお説教なんて出来ない。ただ罪のない命を消さないでと言いたいわ
「そんなの...答になってないよ。きっと...お母さんは避妊しなかった事を責めると思うわ」
「そんなことは言わないわ。苓奈を信じてるから・・・・」
母が私を信用してくれるのは嬉しい。医師である母が未婚の性行為が良くないことは分かっていながら、望まれない妊娠をしたのは事実だ。
「私ね、今、お姉ちゃんがいることが分かっても、会いたいと思わないよ。お父さんが誰かを知らなくても平気だよ。お母さんが私を育てる為に一人で働いている姿を見てきたから・・・・だけど、私だってお母さんと同じ事をするかも知れないよ。だから信用されても困るし、そんなプレッシャーをかけないでよ」
出生の秘密を聞いたのに、私には大きな疑問がある。母と北原先生は愛し合っていたのに人工授精を考えた事を不思議に思ったけれど、私から訊ねるのには気が引ける。
「じつはね・・・・・・」
間をあけた次の母の言葉を私は期待した。
「キタがね・・・・一月に離婚していたのよ」
(なんだそんな事か・・・・)
息を留めて聞き入ったのにがっかりした。
当直室でカナダ行きを聞いて私が寂しいと目を潤ませた。その時、泣いてくれるのは苓奈だけだと言った意味がこれでわかった。
母から北原夫人は、先生が研修医の時に行った先の病院長のお嬢さんだと以前に聞い事がある。会った事はないけれど男の双子がいる事も知っていた。
「子供がいるのに何故、離婚するの?」
気持ちとかけ離れている質問をした。私は枕にしていたクッションを胸の下にして母を見上げた。
「夫婦の事は他人では分からない事が多いのよ。二人の子供が大学生になったのを機に離婚したらしいわ」
大人の社会は理解できない事ばかりで心のもやもやは晴れないけれど、私は好奇心に駆られた。
「お母さんが原因じゃないの?」
核心に触れたようで母の表情がややきつくなった。
「キタと私が大学の仲間だという事は知っているし今更それを原因にはしないと思うわ」
「でも、私の出生の事を勘ぐって揉めたのかも知れないよ」
頭の中に巡った事を口に出した。
母に秘密を打ち明けられる前も、父親はキタおじさんかと疑ったことがある。母に似ていない私だけれど、先生とはそれ以上に親娘に見えない。
「その事は一番考えたくなかったことよ......疑われても仕方がない瞬間が、いくつかあったから・・・・・・」
そういえば、私が小児科病棟を遊び場にしていた頃、患者の母親が洗濯室で立ち話をしているのに出くわした。
「萩尾先生は詳しく説明して下さるんだけれど手厳しいのよね」
母の名前が聞こえたので立ち止まった。
「そうよね、子供を産んでらっしゃるのに、母親って感じがしないの」
「へぇー、子供いらっしゃるの?」
「ほら、時々さ、ランドセルのまま詰め所に来ている女の子がいるじゃない。その子が萩尾先生の娘だって」
「そうなの。看護婦さんの誰かのお嬢ちゃんだと思っていたわ」
「萩尾先生って母親にも人妻にも見えないわね」
「そうそう、ぜんぜんよ。医者に徹してるって感じよね。でも、あの娘が学校帰りここに来るという事は親娘二人暮らしかしら」
「もしかして、愛人・・・・・」
そう言って笑い合った。
入り口から動けないまま、口さがない人たちの影を見ていた。幼心に愛人が良くない事だと感じた。あとからそっと辞書を引いた。面と向かっては言われなくても、周囲の態度で感じる事が母にもたくさんあったのだろう。
「わたしね、キタがドナーになれないと言った時、男と女の関係になりたいと思った。まったく知らない人の精子を身体に入れるなんて嫌だと思ったから...」
本当の父親を私は知らないけれど、母にとっても知らない人なのだった。
「だけど、キタがドナーだと信じる事にしたの。未婚の妊婦姿に皆んな驚いたわ。人工授精の事は絶対に言えなかった。相手はキタだと言う声もあったみたいよ。未婚の愛人と後ろゆび指されたけれど、いっさい言い訳せずに、堂々としていたら、そのうち誰も気に止めなくなったわ」
小学生の頃、親戚が集まると母と私に皆んなが注目する。けれど、誰も私を私生児だとは口にしなかった。そこに母の態度で大きく左右された事を改めて知った。
「お母さんは、昔の恋人はどうして別れたの?」
母は、私が知っている周囲の母親の生き方とはずいぶん違っている。それは決して誉められたものではないだろう。たいていの人なら避ける経験を母はしたに違いなかった。
「小さな命を受け入れてくれなかった事が原因だと思う。二人の生き方が違ったのよ。今は一緒に住んだ事が信じられない気がするわ」
好奇心から聞いたけれど、母の中に昔の人の影はないようだ。
「お母さんはキタおじさんの奥さんに会った事あるの」
「1-2度、あるわよ」
「どんな人なの」
「知性的で綺麗な人よ。苓奈は気になるの」
めらめらとは燃えないけど、中学生の私も興味はある。
「キタおじさんを見ていると、奥さんがいて、子供と遊ぶ姿が想像できないの。独身みたいな感じがするわ」
母と私と三人で会う時の先生の服装は背広が多い。夏などはスポーツシャツも見る事はあるが・・・・・。
「そうかも知れないね。生活の臭いはしない人よね。一緒にいても、家族の事は殆ど話さないし、仕事の話しばかりだものね。奥さんは・・・・そうね、目鼻立ちのはっきりした顔だったと思う」
(好きになった人の奥さんだから思い出したくないんじゃないの)
声にならない言葉が喉の奥でうなっている。
「どうして、キタおじさんはカナダなんかに行くの」
北原医師にも聞いた事だけれど母の答にも興味を持った。
「別れた奥さんのお父さんは、大学では力のある人だから、少し居辛くなったみたいだった。そこへキタの以前の恩師から、誘われたの。彼は優秀な医師だからね。身軽になったから行く決心をしたようよ」
(今は二人とも身軽になったじゃない?)
蔭の声が口からこぼれそうになった。
「キタおじさんがいなくなったら寂しいわ」
「わたしもよ。でも今までキタには迷惑を掛けてきたもの。彼の思い通りの生き方をさせてあげないとね」
自分自身に言い聞かせるように母が言う。
私が幼い頃、友人の中に北原先生が混じっていた。誕生日にはプレゼントが必ず届く。小学校高学年の頃は三人で会っていた。この時にはもう北原夫婦は破局していたのかも知れない。
「私ね、小箱の中身を知っていたよ。母子手帳の裏にあった紙と写真が気になっていたけど、これって、れいな憲法違反じゃない」
「コピーも写真もキタが手配してくれた。わたしに残っているのはこれだけ。違反と言えばそうだけど、わたしね、子供を産んだ事を記録しておきたかったの。二度とも祝福されなかったけれど、わたしは産んで良かったと思う・・・苓奈をこの手で育てられた事が幸せだった」
「お母さんは何故キタおじさんとセックスしなかったの」
人工授精を選んだ母に疑問を持ったままにしたくなかったので思い切って言葉を口にした。
「苓奈に言われるまでもなく、人工授精をするよりも、セックスをする方が簡単よね。でも家族を持っているキタには言えなかった。子供ってね父親と母親に似るものなの。苓奈をどこにでも連れて行ったのは、キタには似ていないのを皆んなに見せるためもあったの。ドナーの事もキタの言う通りにして正解だった」
突然、私が言い出したこと母は、驚く様子もなく答えた。
「それじゃ、今もキタおじさんとはセックスしてないの」
さすがの母も私がこう言うと露骨に嫌な顔をした。
「今まで話したことは苓奈の出生に関することよ。でも、大人の男女の間に苓奈は踏み込んで欲しくないわ。子供扱いをしているんじゃないのよ。仕事ではセックスのことも話すけれど、私的なことには誰にも入ってもらいたくないし、私も話したくないわ。矛盾してると言うかも知れない。秘め事よ…2人だけのね・・・・」
言い切る母の顔は毅然とした表情に戻った。
「お母さん、この母子手帳、私が持ってていい?」
「いいわよ」
母は顔を挙げて明るく答えた。
新しい制服に身を包んだ私は聡和学園高校一年三組の教室にいる。他校から試験を受けてきた生徒もいるが、殆どが中学から一緒である。スカーフ調のリボンに明るい紺色のブレザーと同系色のチェックのスカートという制服は、某有名デザイナーの作品で他校から羨む声が出ている。そのかわり、この服装では何をしても目立ってしまう。
私の体型は、上半身は痩せているのに骨盤が張っている。その為にギャザーやプリーツのスカートだと太って見える。普段はフレアーかタイトのミニスカートを履いている。制服はプリーツスカートで嫌だけど、それ以外は気に入っている。
きょうは、入学式前の新入生の召集日。校庭の掲示板にクラス毎に名前が貼り出された。私は自分の名前を確認してから教室に入り窓際の席に座った。クラス担任は三十三才の男性教諭だ。名簿を読み上げると、呼ばれた者は返事をして自己紹介をするようにと担任が言った。あいうえお順に名前が呼ばれる。はにかみながら答える者もいる。名前だけ言う生徒や、血液型まで紹介する子もいる。
「九番、きたはら」
すぐに返事がないので教室がざわついた。
「きたはら、きたはられいな」
名簿を確認しながら教師はフルネームを読み上げた。
「ハーイ」
手を挙げて返事をすると、窓際の私に皆が注目した。
「北原苓奈です。よろしくね」
指を広げた両手を振っておどけてみせた。
「ええー苓奈が・・・・どうして・・・・・萩尾苓奈じゃないの」
口々に言うのが聞こえた。クラスメートは、そのうち私を取りまいて真相を聞くだろう。
「キタおじさんが私生児の私を養女として入籍してくれただけなんだよ」
大勢の瞳に囲まれて私はそういうつもりだ。
カナダに出発する数日、養子縁組の為に役所に行った帰り道。
「美奈子の赤ん坊を里子に出した先は僕の姉だ。姉は子供を産めなかった。姉に子供を授けてやりたくて産婦人科を目指した。家内が姉の子供を見て僕に似ていると疑って、その娘の血液鑑定を姉に黙って病院に依頼したんだ。その結果を僕に突きつけた。母子手帳は偽装はしたが、まさか美奈子との一夜の結果が出るなんて思っても見なかった。結婚前の事とは言え、身内に里子に出した事を家内は許せなかったようだ。弁解する気はなかった。結局は家内は僕を信じきれなかった。お互い信頼がなくなったら一緒には住めない。いがみ合って暮らしたくはなかった。美奈子や苓奈と一緒にいる時はくつろげたよ。苓奈とは血のつながりはないけど本当の娘のような気がしてる。美奈子には二度も違法をさせてしまった。これで罪滅ぼしが出来たらと思うんだ」
父の口からニックネームはすっかり消えた。
母は伯父の病院に移り留学を終えて帰って来る恋人を待っている。
民芸調の小箱は過去を静かに納めている。
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