本の虫

◆第60回『権力の日本人〜双調平家物語ノートT〜』/橋本治◆

 とある朝、新聞にこの本の広告が出ていた。この本の、というか、講談社の広告が出ていて、ずらずらっと並んだタイトルの中に、この本があった。『双調平家物語』をずっと読んでいる私は(注:『双調平家物語』は1998年秋に刊行が始まり、現在13巻まで出ている。あと2冊で終わるらしい)早速Amazonで注文したのであるが。

 届いて驚いた。

 分厚い! 字が小さい!

 小さいフォントが2段組で352頁もある。途中、年表やら系図やらが色々出てきて、ついつい、「うわ〜、こんな本誰が買うんだろう」と思ってしまった。いや、だってあんた買ってるじゃん!

 読み始めたら、これがもうとんでもなく面白い。『双調』を読んでいると、「日本って昔からまともな国家がないんだなぁ」「万世一系なんて言うけど、天皇家の系図ってのも大概だよなぁ」と色々頭を抱えることが多いのだが、そこらへんのところを橋本さん自らが丹念に解説してくださるのだ。きっと橋本さんも、「物語」として書くだけでは飽き足らなかったんだろう。飽き足らない、というか、「物語」だけではとても収まらないというか。できあがった「物語」を読んだだけでもあれこれと考えさせられるんだから、その「物語」を書くために、橋本さんはそれこそとんでもく色々なことを調べ、考えたに違いない。

 本当に、よくこれだけお調べになったよなぁ。『平家物語』と言っても、橋本版はまず中国の話から始まって、やっと日本に舞台が移ったと思ったらまだ聖徳太子やら大化の改新やらの時代で、延々と平安時代の話があって、やっと7巻ぐらいから平清盛が出てくるんだもの。一体その間に何人天皇がいて、どれだけの政争があるのか。スパンが長いから、登場人物の数だって半端じゃない。そのいちいちに息を吹き込むために、一体橋本さんはどれだけの資料と格闘なさったのか……想像するだけで「ひえ〜」である。

 橋本版『平家』がなぜ中国の話から始まるかといえば、いわゆる“平家物語”の冒頭に中国の三悪人が出てくるからで、中国と日本の悪人を挙げた上で「平清盛という人はさらに悪人なのだ」というふうにして、普通の“平家物語”は語り始められる。それで橋本さんは、「じゃ、その中国の悪人ってのはどんな奴なの?」と中国のお話をし、そして「清盛は本当にそういう悪人なの?」ということで、延々と“清盛以前”を語る。清盛に栄華を許したのはその時の時代状況であって、その時代状況を作ったのは“それ以前”の時代状況である。そうして、遡って遡って、奈良時代まで行っちゃう。

 だからこの本も、「橋本さんが『双調』を書き始めたきっかけ」から始まって、「清盛ってホントに悪人だったの?」という疑問から、どんどんと遡っていく。清盛を栄えさせ、そして滅ぼした張本人である後白河上皇。その祖父で、実質的に院政を始めた最初の人、白河上皇、その父の後三条天皇、そのまた祖父が一条天皇で、ここがかの有名な藤原道長の時代。一条天皇の中宮彰子は道長の娘で、その彰子に仕えたのが紫式部。彰子によって中宮の座を逐われる定子に仕えていたのが清少納言。上皇の話、「都の武者」の話、天皇、摂関家、内親王をはじめ女たちの話……時々時代を行ったり来たりしながら、時代は光仁天皇や聖武天皇、そして持統天皇へと遡り、藤原不比等の登場。この巻は大体その辺で終わり、『ノートU・院政の日本人』へと続く(らしい)。

 『続日本紀』のわずかな記述を基に、「ここでこういうことがあったのなら、その背景はおそらくこうだろう。きっと彼(あるいは彼女)はこう考えたのだろう」と橋本さんは歴史の糸をどんどんとほぐしていく。“人間の心理”という櫛を使って。本当に、下手なミステリーより断然面白い。「むしごめ食う大化の改新」とか「なくよ鴬平安京」とかいう、年号と出来事の羅列でしかなかった退屈な日本史が、昼ドラよりすごい人間模様として見えてくるんだから。

 ずっと不思議だった。なぜ天皇制は潰れなかったのか。なぜ、「幕府」ができても「朝廷」は残るのか。平安時代から鎌倉時代になったら、もう「将軍」の時代で天皇はいなくなるんだ、と子どもの時は思っていたような気がする。それで江戸時代が終わる時に突然また天皇が出てくるから、「あれ?いたの?」と思ってびっくりした。よくよく教科書を見れば、「頼朝は朝廷から征夷大将軍の地位をもらって」というようなことが書いてあったんだろうけど、しかし普通「その国で一番偉い人は一人」と思うでしょう。もう天皇制は終わったんだなと思うじゃない。信長とか信玄とか、天下統一を巡って争うんだよ。ということはその時“天下は統一されていなくて”、“国のトップが定まっていない”ってことでしょ?

 なのに、天皇はいる。

 天皇が京都にいるから、大河ドラマでもちゃんと戦国大名は“上洛”してくる。

 なんでや〜。天皇に何の意味があるんや〜。

 天皇の外戚になることで政治の実権を握っていた藤原氏は、自分が天皇になろうとはしなかった。“天皇の祖父”ということが権力の基盤なんだから、当然天皇制を無くしたりしない。信長も秀吉も家康も、天皇を廃して、たとえば自分が“皇帝”になる、という道を選ばなかった。別に、「天皇は神様だから」って理由じゃないだろう。真に天皇をあがめ奉ってるなら、幕府なんて開かなくていい。もしも信長だか家康だかが天皇制を廃止しといてくれれば、今頃雅子様が苦労することもなかったのに。

 きっと、めんどくさかったんだろうな。既に天皇に実権はないわけだし、生かしておいてもそうそう危険はない。むしろその権威だけ利用して、天皇のお墨付きの“征夷大将軍”として権力をふるう方が、一から自分の権威を作るより楽だ。権力構造が二重になっているのは、日本では当たり前のことだし。

 なんで当たり前やね〜ん。

 その“根”はとっても深いのだということを、橋本さんが教えてくれます。でもたぶん、いきなりこの本を読むと登場人物の名前を飲み込むだけでも大変だと思うので、「物語」を読んでからこっちを手に取った方がきっといいでしょう。「物語」読むのも大変ですけど……(これを読んでからまた「物語」を読み返すとまた色んなことが見えてきて面白いんだろうなぁ。老後の楽しみかな)。

 それにしても。

 なんでこれ、講談社なんでしょうね。『双調平家物語』は中央公論なのに。

『権力の日本人〜双調平家物語ノートT〜』

以上 橋本治 講談社刊


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