本の虫

◆第54回『勉強ができなくても恥ずかしくない』/橋本治◆

 前回『荊の城』紹介の最後で「『オリヴァ・ツイスト』を読み返すとするかな」なんて書いたくせに、やっぱりまた橋本さんに戻ってきてしまった。いや、『荊の城』著者の前作『半身』はちゃんと買ったんだよ。それ以前に買ってた山本周五郎の短編集も1/3ぐらい読んだし、『マハーバーラタ』の第8巻も4分の1ぐらい読んだんだけど。

 やっぱり橋本さんの本って読みやすくって面白くって、どんどんあっという間に読み進めちゃうんだもん。『マハ』なんて誰が誰だったか思い出すだけで一苦労だし、ずーっと戦争描写ばっかだし……。この、『勉強が…』は中学生向けに創刊されたちくまプリマー新書の1冊で、1冊100頁程度、文章も平易でほんと、あっという間に読める。でももちろん大人が読んでも面白い、というか、むしろ親が読むべき本なのかもしれない。今現在学校に通う子どもを持つ親が。

 この本に書いてあることのほとんどは、橋本さんが折に触れ紹介してきた橋本さん自身の子ども時代のエピソードで、橋本フリークの私にはそんなに珍しいものでもない。ただ、エピソードの一々は既に知っている話でも、こうして「ケンタくん」という男の子の小学校から高校までの一貫した物語として読んでみると、また新たに「ああ、そうか」「そうなんだ」と思えることも多くて、面白かった。それはやっぱり、自分が小学生の親になったことも大きいんだろう。今までは、自分の子ども時代と引き比べるだけだったのが、「息子はどうなんだろう」というふうにも読んでしまうから。

 主人公ケンタくんは、小学校に馴染めない。クラスに全然友だちができなくて、4年生ぐらいになるまでずっとそうで、近所の子ともなかなかうまく遊べなくて、かなり辛い低学年時代を送る。たまに嬉しいことがあってお母さんに報告しても、「そんなことができたって○○ができなきゃしょうがないだろ」と素っ気なくあしらわれてしまう。ケンタくんはただ、嬉しい気持ちをお母さんにわかってもらいたかっただけなのに。本で読むとこのお母さんはかなり厳しくて怖い、「どうしてもっとケンタくんのことわかってあげないの?」というお母さんなんだけど、たぶんこんなお母さんはどこにでもいっぱいいるだろう。子どものこと、「誉めよう誉めよう」と思ってても、親が「こうあってほしい」と思うことと、子どもが「誉めてほしい」と思うことにはズレがあって、「ねぇ、お母さん、見て見て!」と言われても親にとっては大概、「……またいらんもん拾ってきて」という事態でしかなかったりする。ほんとにねぇ、漢字なんか読めなくて全然いいからさっさと逆上がりができるようになってほしいんだけどねぇ。

 この本読んでちょっと反省した。ごめん、ちょっとで。

 本のタイトルは『勉強ができなくても…』だけど、勉強の話よりも友だちの話の方が多い。学校に友だちがいないとどれだけ辛いか。友だちになる、話ができるようになる、というのはどんなに難しいことか。実際、自分の子どもの頃のことを思いだしても、学校なんて休み時間のために行くものであって、決して授業のためになんか行ってなかった。中学に入学した時、クラスにあんまり知ってる子がいなくて、弁当の時間に一人ぽつんと余ってしまった。幸い仲間に入れてくれる子がいて助かったけど、あーゆーのってほんと厳しい。「別に一人でもいいや」って強がっていたような気もするけど、もし本当に一人でさっさと食べ始めてたらそれこそずっとそのまんま、誰も仲間に入れてくんなくって、苦渋の一年を過ごす羽目になってたかも。

 ケンタくんは辛い低学年時代を経て、自力で友だち問題を解決して、中学になったらすっかり「誰とでも友だち」になれる子になった。そして高校に入ったら、「誰とでも友だちになれる自分には、自分だけの友だちがいないのかもしれない」って思うようにもなった。高3になって、みんなが受験しか見ないようになって、「そんなの変だ」と思うケンタくんはまた昔と同じようにひとりぼっちになる。もちろん小学生の時とは自分に対する自信が違うから、「一人でもいい」と思ってケンタくんは「受験生」じゃない「高校3年生」をやり抜くのだけど。

 文章はとても易しいし、そんな微に入り細に入った心理描写があるわけじゃないのに、ケンタくんの心の動きはとてもよくわかる。よくそんなに子どもの頃の気持ちを覚えているものだな、と感心してしまう。私も「記憶」としてはけっこうよく覚えている方だと思うけど、さすがにその出来事について自分がどんなふうに感じていたかまではわからない。入学したての小学校がどんなふうに見えていたか、そもそも一年生の時に同じクラスだった子の顔も名前もさっぱりわからない。

 子どもは子どもなりにいっぱい考えて、いっぱい悩んで、そしていっぱいがんばっている。なんかこう、あらためて自分の子どものことを、「毎日ちゃんと学校行ってて偉いなぁ」と思ってしまった。大人はすぐに「学校楽しい?」なんて訊くけど、世の中そんなに楽しいことばっかのはずないやん! 自分と違う人間が狭い教室に35人もいるんだよ。職場なんてあなた、たったの5人でもお付き合い大変なのにねぇ。嫌な子もいれば嫌なこともいっぱいあって、でも楽しいこともどうにか見つけて、毎日がんばってるんだよね、子どもたち。

 あと、ケンタくんの至福の時として出てくる「横町の夏休み」。横町で低学年も高学年もみんな一緒に仲よく遊ぶんだけど、その辺のところで『横町の子は「もっと誰かいないかな」と言って探しに行くのに、住宅の子は他に誘いに行こうって考えない。2人で遊んでてもつまらないのに』って記述が出てくる。「ああ」、って思った。今どきどれくらい「横町」が残っているものか、おっきい子もちっさい子も一緒になって遊んでる地域がどれくらいあるのかわからないけど、少なくともうちの近所には子どもがいなくて、うちの子は約束をした日しか遊びに行かない。もっと近くに公園とか空き地とかあって、そこに子どもが集まってれば、「とりあえず行ってみよう」って遊び方ができたんだろうか。幼稚園の時は、交通事故とか誘拐とか色々心配で、いちいち親が電話で相手の親に「行ってもいい?」と確認して連れて行ったりしてた。なんだかな、と思ってはいたんだけど。やっぱりそれって、不自然な遊び方だよな。もうちょっと大きくなったら、勝手に遊びに行くのかな? 居所がわからなくなると困るし、迷惑にもなるから、最初に行った家以外の家には遊びに行くな、と言ってる親ごさんの話も聞く。安全な道端も、大勢でわいわい遊べる空き地もなくなっちゃった今、子どもはどうやって遊びや友だちの輪を広げていけばいいんだろう。

 うん、是非“親”に手にとってほしい本です。

『勉強ができなくても恥ずかしくない』全3巻(ちくまプリマー新書)
以上 橋本治


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