◆第30回『北斗の拳』◆(1998/4/1)
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なんだってまた『北斗の拳』なんか取り上げるんだか、と自分でも思うんですが、昨今の「中学生による犯罪」に関する識者の対談の中で「マンガの中の暴力が不条理になってきた」とかいう話があって、過激な暴力シーンの先駆として『北斗の拳』の名前が挙がっていたのですね。「ひでぶ」とか「あべし」とかいう謎の擬音語とともに人間が破裂して死ぬという描写は当時も問題になったものでしたが、でもまだあれには「暴力の理由」があったなぁということで、色々思い出したのでした。
弟が大の『北斗の拳』好きで、ビデオに撮って繰り返し見ていたので、ついつい一緒になって何回も見ていたのですが、私自身もけっこうはまってました。前述の「ひでぶ」とか、あまりにも有名な決めゼリフ「おまえはもう死んでいる」で暴力マンガのイメージが強いけど、その実かなりくさいドラマが展開されていて、そのくささが好きでした。主人公のケンシロウはよくわからない暗い奴でしたが、周りのキャラクターが魅力的だったんですねぇ。ケンシロウの兄のトキにラオウ、南斗聖拳のそれぞれの使い手達――特に南斗水鳥拳のレイ様!
『北斗の拳』が好きっていう女の人はたぶん大抵レイのファンなんじゃないかと思うほど、女性受けのするキャラクターでしたね、彼は。何と言っても見た目が美形だし、最初は妹のために闘い、最後は愛する人のために死んでいくという、格好良すぎる生き方を貫いた人。おまけに声が塩沢兼人さんと来たもんだ。うちの弟も「南斗水鳥拳が一番カッコいい」と言っていて、兄弟そろってレイのファンしてました。
レイの次に好きだったのが実はラオウなのですが……。ラオウは一応悪者でしたが、あの人の悪には一本芯が通ってるというか、妙に格好良かった。それに少年時代のラオウっていうのがめちゃめちゃ可愛いんですよねぇ。なんでこんな可愛い子があんなのになっちゃうんだぁ?と思うほど。またこの少年時代のエピソードっていうのがわざとらしくもドラマティックなんだけれども。あと印象に残ってるのが聖帝サウザー。「愛ゆえに血の涙を流した。愛ゆえに人は哀しみ、苦しむ。だから俺は愛を否定する」というこれまたくさいエピソードの持ち主でした。
過激な暴力シーンは確かに多かったけど、基本的に主人公の振るう拳は弱者を救うためのもので、友情や自己犠牲、改心といったドラマがちゃんとあって、そういうドラマを無視して暴力部分ばかり見る子どもがいるとしたら、それは作品のせいというよりはその子自身の感受性が正しく育ってないせいじゃないのか、と私は思うのですが。でも今のマンガでは本当に「意味なく人を殺してまわる」とかいう不条理な、ドラマのない暴力が多く描かれているそうで……。そういうものが受けるのだとしたら、読者は「不条理な暴力」に共感しているのか、それとも「しょせん世の中なんて不条理なんだ」と思っているのか……。
ところで『北斗の拳』が『北斗の拳2』になった時、バットが美青年になっていたことに驚いた人は多いはず。リンが美少女に育ってるのはまあ許すとしても、バットがあんなふうになるわけないだろ、都合が良すぎるぞ!と。ま、大体『北斗の拳2』は都合の良すぎる設定の多いお話でしたけどね。
●次回予告●
次回は未定です。あしからず。
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