ふる里の風


ふるさとの風に想う


 太古の昔…瀬戸内海域が地続きであった頃、鬱蒼とした樹海にひときわ高く、扶桑木の樹林が何処までも続いていました。
樹海の下で動物達は気ままに生き、大自然の植生との共生に戯れ遊び、樹海を縫って流れる川面は、彼らの姿を追うともなく映し流れ過ぎていきます。

 微かなさざ波を立てながら川面にそよぎ流れ去る風、川や風の流れを導き誘う扶桑木の樹林、扶桑木は動物達や下草の植生それにきっと“ ひとびと ”のご先祖様達をも柔らかく包み込み、生命の営みにリズムを与え続けてくれました。


 数万年の年月が流れ過ぎました。そして今“ ひとびと ”は、扶桑木の大樹の肌に触れ耳を澄ませる時、遥か遠い古代の大自然のロマンに想いがめぐり、育まれ続けた生命の不思議に引き込まれていくのでした。

 陽が落ちかけ、頬にそよぐ風が少し冷たくなりました。扶桑木を想う深い眠りも、容赦なく昭和〜平成の現実へと引き戻され目覚めます。
遥か遠い昔の “ 扶桑木の里 ”そこに吹く “ ふる里の風 ” 、タイムスリップ出来るものなら、一瞬で良い
感じて触れてみたい  Come back the WIND !!


 
 いずち吹く風

   “ かぜよ風  そもいずち(何方)より  いずち吹く ” 

 ふる里を後にして半世紀、少年時代の感性だけで捉えた心の記憶、ふる里の姿を、思い出すままに綴ってみたい。
漠然とそんな想いで、慣れないキーボードに向かう事にしました。

 長くふる里を離れている者が、無心に過ごした時代のふる里の思い出を、他郷にいてホームページに綴る…オープンなページなだけに、多少の勇気も要りますし、年甲斐も無く気恥ずかしさの戸惑いもあります。

 想いはふる里「愛媛県伊予市」の市木“メタセコイヤ・扶桑木”に托しますが、ページに書き留めたいのは、時が緩っくり流れていたあの頃の姿です。

 喜寿を越えた私です。少年期の記憶は減りこそすれ…の齢です。でも…脳みそを絞れば、まだ少しは甦ってきそうな期待感もあります。
緩っくり流れていたあの頃の時間なら、引き寄せて記憶の壺を力一杯に振ってみよう



 
ふる里  

 ふる里のイメージは人様々でしょう。でも…この言葉は、今世紀それも早い時期に、死語になりそうな気もします。

 明治・大正・昭和そして終戦を挟んで平成へと、地方の若者達の大方は、都会地へと流れ去っていきました。
生まれ育った地を後にした人達が、他郷にいてしみじみ味わうもの、それはふる里という言葉の中に煮詰まったエキスかも知れません。

 二十一世紀を迎え、人や物の移動はめまぐるしく、変化はIT革命と言われる情報奔流の真っ只中です。
ふる里の生きる手だてなど、情け容赦なくもぎ取られていくのでしょう。

 ふる里が二十世紀の郷愁の言葉になった時、人も「ひと」らしい生き方にさよならする時かも知れません。

 再びは訪れない人生、その大半を二十世紀に過ごした一人の「ひと」として、少年期のあり姿の断片を辿り、その折々に托す思いなど書き留めてみようと思う。

 失ってはいけないふる里の姿、「ひと」が「ひと」らしく生きていた時代を記す細い糸だけど、強い絆に育って呉れないかな…あの時代に生きた子達の姿に、新しい世紀に托したい私の想い・希いを少しでも汲み取って頂けたら嬉しいです。

 そう遠くない昔です。
貴方が貴女の立っているその場所で遊んだ、素朴だけど智慧の塊みたいな子達の姿です。
もはや風前の灯?みたいになってしまった、無心の塊みたいに遊ぶ子達の姿を、そっと想い描いてみて下さい。

 前世紀に生きてきた人間が、今世紀を生きる人達に伝える責任がある大事の一つは、あの頃ふる里で遊び過ごした子達の姿、その自然態の記憶の中にきっとあります。


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