会報No.35表紙

会報No.35
−おきなぐさ−

目次

  1. 第42・43回例会報告−
    読書会「ポラーノの広場」

    妹尾 良子

  2. 第44回例会報告−
    読書会「春と修羅(第1集)」1回目

    川崎 貴
  3. 宮沢賢治朗読物語−その1
    友田 清司
  4. タイトル雑録
    川崎  貴
  5. 編集後記

第43・44回例会報告

 「ポラーノの広場」の読書会を10月27日、12月22日と2回連続でしました。
 いつもどおり、少しずつ音読をしては、その部分の感想・疑問点を話し合いました。

その頃わたくしはモリーオ市の博物局に勤めて居(を)りました。

あの年の五月から十月までを書き付けましょう。

 物語の最初に、「前十七等官 レオーノ・キュースト誌 宮沢賢治訳述」とあり、モリーオ市の博物局に勤めていたキューストが、「イーハトーヴォのすきとほった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市」で過ごした日々を回想し、宮沢賢治が翻訳したという形式がとられていること。イーハトーヴォ、モリーオ、センダード、シオーモ、トキーオなどの地名、キュースト、ファゼーロ、ロザーロ、テーモ、ミーロ、そしてデステゥパーゴなどの人名の、面白さ。
 そして、5月から10月と季節を限定していることなどを確認しながら、読み進めました。

あんまりええ天気なもんだから大将ひとりででかけたな。

 遁げた山羊が、キューストとファゼーロを出会わせ、「ポラーノの広場」の伝説を思い出させ、探すことになっていきます。

わたくしにはどうしてもそんなにはっきりはよく読むことができませんでした。

 つめくさのあかりの中にうかんだ数字を読みながらいくと「ポラーノの広場」に行けるというので出かけます。でも、キューストは、数字はちゃんと読めないし、「番号なんてあてにならない」とまでいいつつ、山猫別当と出会い、「ポラーノの広場はあるが、花を数えて行くようなところではまい」と忠告を受けます。

その栗の木がにはかに ゆれだして 
 降りてきたのは 二疋の電気栗鼠

 

 「ポラーノの広場」にいくと、山猫博士というあだ名のデステゥパーゴたちが、選挙のための酒盛りの場にしてしまいます。そこで、ファゼーロとデステゥパーゴが、決闘するはめになってしまいました。

毎晩毎晩野原にファゼーロをさがしに出ました。

 ファゼーロが行方不明になりキューストは警察に呼ばれます。

毒蛾がひどく発生して居りまして、夕刻からは窓をあけられませんのでございます。

 キューストは、出張ででかけたセンダードで、デステゥパーゴと出会います。

夜行って歌へば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう

友だちのないにぎやかなながら荒さんだトキーオ市のはげしい輪転機のとなりの室で一通の手紙を受け取りました。

ポラーノの広場の歌
つめくさ灯ともす夜のひろば
むかしのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて
とりいれまぢかに年ようれぬ
まさしきねがひいさかふとも
銀河のかなたにともにわらひ
なべてのなやみをたきゞともしつゝ
はえある世界をともにつくらん

 せっかく、ポラーノの広場をいう理想郷を自分たちで作り上げていくということになったのに、キュースト自身は荒んだ街で暮らし、参加しません。

なつかしい青いむかし風の幻燈のように思われます。

 それぞれ、物語を堪能した後で、「透き通った風の不思議な理想郷の伝説に心ひかれる」「しろつめくさの野原の美しい情景と社会主義的世界の混在が賢治らしい」「なつかしく思いながらも、過去形にして書いている部分が、宮沢賢治=キューストに思える」などの感想がでました。
 2回目の12月22日は、読書会終了後、全員で焼き鳥屋へ移動し、川崎さん、高槻さん、友田さん、南さん、掘さん、妹尾で生ビール&チューハイで忘年会となりました。
 お疲れ様でした。

第44回例会報告

 今回の例会から「春と修羅(第1集)」を読んでいくことになりました。その第1回目として、1回の例会でどれだけ(量的に)読み進めるかという見当を付けるつもりでしたが、1回目は「序」に終始してしまいました。それでもまだまだ時間が足りないという感もあって「奥が深いぞ」と改めて思いました。
 この「序」に関しては「この序文は相当自信がある。後で識者に見られても恥ずかしいものではない」と賢治が語ったというエピソードや「私はあの無謀な「春と修羅」に於いて序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し」た、と書かれた書簡が残っていますが、確かに深く意味を探らずに読んでみても、賢治のその意気込み、壮大な命題への自負が伝わって来ます。
 例会では、丁寧に読んでいきましたが、

  • 「わたくしという現象はー」の「現象」とは?
  • 「有機交流電燈」と「因果交流電燈」の対比は?
  • 「幽霊の複合体って?」
等々、第1段冒頭より疑問がどしどし出てきました。刻々変化してゆく過程でのその時々に観察される状態という意味での「現象」。本来電燈は人工的無機物であるが、賢治はここで「電燈」を「風景やみんなといっしょにせはしくせはしく明滅」する因果が交流する電燈であり、その因果関係を背負った有機的な交流電燈であるとしている。そして「わたくし」はそこから発せられる青い光り(=心象)であり、物理的本体としての電燈である身体や社会自体が消滅しても、光りは未来永劫「たしかにともりつづける」。というような解釈に一応落ち着いたでしょうか(記憶が定かではありません)。科学的な語彙の中にふっと紛れ込んだ「幽霊」という言葉についてはもう少し追求してみたかったです。
 第2段で賢治は前段での「わたくし」の規定が万物に共通すると主張し、第3段では「けれども」それは共通して感じているに過ぎないことを認めた上で、それでも2千年もたった頃には証明される日が来るかもしれないと願望しているのですが、その願望はこの「序」を書いた時点では半ば確信だったと思われます。「青ぞらいっぱいの無色の孔雀」や「きらびやかな氷窒素」、「透明な人類の巨大な足跡」という単なる装飾ではない美しい表現の意味についても例会でもう少し掘り下げられればよかった、と今思っています。言葉については全段通して、「神と鉱質インクをつらね」とか「宇宙塵をたべ」だとか「銀河や海胆が新鮮な本体論をかんがえ」る、etc.とかの表現が非常にユニークで新鮮に感じられるという感想がありました(出版当時は極少数の知識人がそういう受け取り方をしたようです。賢治としては最大限「因果の時空的制約のない表現法だったのでしょうか」。)
 最終段2行目の「時間」について、「春と修羅」刊行後の手入れで、賢治が書き直そうとした形跡があるのは、次行の「第四次」と重複しているためだろう(賢治は「第四次」という言葉を「時間」という意味で使っていた)、という意見もありました。
 「第四次延長」=「(空間+時間)×永遠」というような意味でしょうか。信仰者賢治らしい深淵な命題についての科学者賢治らしい壮大な実験が「心象スケッチ『春と修羅』」だったとして、果たして賢治の心象に共感できるか、「序」の主張が証明されるにはまだ時期尚早かもしれませんが、賢治の実験にどこまでついていけるか、これから詩を読んでゆくのが楽しみです。
 (加齢と共に記憶力が著しく低下しています。例会報告になっていないかもしれません。申し訳ないです。― 歳のせいにするな、という声も聞こえますが。)

宮沢賢治朗読物語 その1

 あーちゃん、いーちゃん、うーちゃんよ、ええか、わしゃ、もう老いぼれじゃ。バタバタしとるうちになあ、わしもいつボテッと死ぬかも知れん。死んだらなあ、2・3日のうちに焼き場で焼かれて、煙になってしまうんよ。あとには、カスみたいな骨のほかにはな〜にも残らんじゃろう。人生ちゅうもんは、そんなもんじゃよ。でな、まだしゃべれるうちになあ、わしの「宮沢賢治の朗読の経験」とやらを少しでも話しておこうと思うんじゃがな、おもろうなかったら、捨ててくれたらええがな。もしも、わしの話の中にやで、ちょっとでもあんたらの役に立ちそうなことがあったら、役立ててくれたらええがな、まあそういうこっちゃ。
 えらいショボくれた前触れで、いったい何の話かって。そりゃ、ほかでもない、例の宮沢賢治のこっちゃわさ。あんたら、宮沢賢治のことは、知っているかな。小学校6年の教科書に載っていたはずやな。覚えているかいな。確か『やまなし』という話があったやろ。クラムボンは笑ったよとか、死んでしまったよとか、どうのこうのっていうやつじゃ。あの話を書いた人が宮沢賢治じゃ。
 わしらが小学生やったころはなあ、その話は載っていなかったと思うんじゃが、それとも、載っていたけど、わしが覚えとらんだけのことかもしれん。自慢じゃないけど、わしゃなあ、ガキのころは読書ちゅうようなもんは大嫌いでな。テレビを見たり外で遊びまわったりしてるほうがな、よっぽど性に合っていたっちゅうわけじゃ。それがまた、なんであのまじめくさそ〜うな宮沢賢治なんかと付き合うようになったかというとやなあ。そのへんには、いろんな事情があったわけじゃよ。
 わしが29歳のときにな、紙箱屋を営んでた親父がガンで死んだんじゃ。そのころは、零細企業の経営継続もなかなか難しい状況じゃった。資金もなかったしねえ、サラリーマンになる資質もなかったからねえ、ないないづくしというところで、わしなりに考えた結果、自宅の1室を利用して、学習塾を開くことにしたんじゃよ。
 学習塾っちゅうたら、学校が終わって夕方ごろから、勉強を教えるとこじゃなあ。成績のええ生徒を集めて、難しい学校にたくさん合格させて、評判上げて、生徒増やしてっちゅうのが多くの学習塾の経営方針の相場というところでね、わしゃ天邪鬼(あまのじゃく)じゃったんかねえ、宣伝のチラシに「成績の悪い生徒を優先に教えます」って書いたんじゃよ。そしたら、次々と生徒が来よったよ。確かに成績の悪いのがたくさんなあ。で、その子らを教えるのに、まず文章をしっかり読む習慣をつけにゃあいかんと考えてなあ、そんでもって「声に出して本を読む」という授業を始めたわけよ。
 さてそこで、何を読むかというところでじゃな、何とか勉強に興味をもたせようと企らんでじゃな、どうせ読むなら、そのうち教科書に出てくるもんを読んだら、「あっ、これ読んだことあるわ〜!」てな具合になったらええじゃろと考えたわけじゃ。そやから、宮沢賢治のほかに夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、芥川龍之介というあたり教科書によく出てくるような作品を読んでいくようにしたわけじゃ。
 それが、わしと宮沢賢治との本格的なつきあいの始まりだったんじゃよ。要するに、学習塾をしてなかったら読んでなかったかも知れんのじゃ。子どもらもしょうことなしに宮沢賢治とつきあいだしたっていうわけじゃよ。きっかけは、まあそんなとこじゃがな、読み出してみたら、これがなかなかおもしろ〜かったんじゃ。何よりも子どもらが読んでるときにへらへら笑ったり、読み終わった後に話にでてきたせりふをくりかえしよるんじゃ。例えば「キックキックトントン、キックキックトントン」とか「まどうてくれ、まどうてくれ」とか「こんなことは実にまれです」とか「さよならね、さよならね」とか。
 へえ、宮沢賢治の童話は何10年も前に書かれたもんじゃのに、現代っ子たちのユーモアの感覚に届いているんじゃなあとつくづく感心したんねえ。それよりかわし自身が楽しゅうてな。生徒が読んでる最中に、思わず声に出して笑ろうてしまうときもあって、生徒たちもそんな先生の様子を見て、「ああ本よみのときにおもしろかったら、笑ろうてもええんや」と、思うたみたい。元来子どもは、笑うんが好きなんじゃなあ。マンガにも笑う場面がたくさんあるけど、宮沢賢治の童話にもけっこうたくさんある。そういうことを子どもらは、先入観なしに見つけたみたいじゃ。まあ、宮沢賢治を読んで笑う光景は、わしのいう<立体化教育>の成功例のひとつと自慢してもええじゃろな。
 あーちゃんや、いーちゃんや、うーちゃんたちもなあ、これをきっかけに宮沢賢治の童話をまるで音楽のように味わえたらええと思う。特に、声に出して読むことを勧めたいなあ。な〜んて考えて、わしがいろいろやってみた経験談を、これからもとぼとぼとしていきたいというわけじゃ。

タイトル雑録−おきなぐさ

  賢治がその作品にしばしば登場させ、愛した野草。キンポウゲ科オキナグサ属。多年草で乾燥地に生育するそうですが、その生育場所である里山の減少や、農業の機械化に伴い耕作用牛馬が減り、その飼料用の草が繁り、背の低いおきなぐさに日光が照射しなくなり枯れた、等の理由で「絶滅危惧植物図鑑」(環境省刊)では絶滅危惧植物U類に指定されています。2月下旬頃からつぼみをつけ、3〜4月に開花し、5月頃実った種子がふわふわとした白髪白髭のようになるので「翁草」、「白頭翁」(中国)、「ハルミコッ(老婆草)」(韓国)、などと命名されているようです。日本では昔は「ねっこ草」とも呼ばれ、万葉集にも詠われています。賢治は童話『おきなぐさ』で「おきなぐさ」では「あのやさしい若い花をあらわさない」と言い、「うずのしゅげ」と呼んでいます。
 その中で賢治は、チューリップと同じようにコップ型の花の形態が光のトリックで色の変幻する美しさを讃え、そして銀の綿毛となった種子が潔く光の中へ飛散していく様子を哀しく描いています。
 昨年秋、花巻の「賢治童話村」に1000株のおきなぐさが植裁されたという記事が、岩手日日ニュースに掲載されていました。きっと今頃は「黒繻子のはなびら」が、春の光に「燃えあがってまっ赤」に咲いていることでしょう。 

編集後記

  • ご無沙汰してしまいました。前号から季節は秋→冬→春とめぐってまいりました。世界情勢もめまぐるしく変化する中で、何の制約も受けることなく賢治を鑑賞できることは幸せなことだと思ったりします。第44回例会では「春と修羅」の「序文」を、4人の参加者が感じたままの感想を思い思いに話し、鑑賞しました。
  • 今回の編集会議で、国語の教科書に掲載される文芸作品についての話が出ていました。森鴎外や夏目漱石が教科書から消えかけていきそうな中で、宮沢賢治だけは根強く残っているそうです。「やまなし」に関しては教科書掲載作品として賛否両論あったようですが、この作品は随分と子供たちに賢治の不可思議な魅力を伝えたのではないかなと思ったり(願望ですが)しています。
  • 「賢治百姓真似一笑」は前回をもって第1部終了となりました。また第二部の登場をお楽しみに。今号からは「宮沢賢治朗読物語」を連載いたします。
  • 最近例会参加者が5、6人止まりです。気候も良くなりましたし、久し振りの方も是非足をお運び下さい。
     また例会に参加できない方は会報への投稿で参加していただけたらと思います。近況報告でも結構です。