スルッとMyself sonic☆prayer様より コレでハマりました


1作目も見たからついでに、と軽い気持ちで入った「陰陽師II」

1作目当時の陰陽師ブームには、ちょこっとだけ乗っていた。
獏さんの原作は未読だったけれど、岡野さんの漫画は読み始めていたかもしれない。
映画の配役が決まったという記事に、
「ふーん、あのヘンだけどなんかスゴイひとが晴明やるのか」
と思った覚えは、ある。

ヘンだけどなんかスゴイひと。
大河ドラマ「花の乱」は、大河至上最低視聴率を現在に至るまで誇っているらしい地味なドラマだったが、
我が家では結構評判が良かった。それというのも、登場人物になんだかヘンなひとがいたからである。
とにかく今まで見たことのない、若いんだか年寄りなんだか分からないちょっとばかり貧相なそのひとは、
一たび喋り始めると周囲のどの役者をも圧倒する朗々たる声の持ち主だった。
そのせいで今は亡き萬屋錦之介の「大五郎@子連れ狼より甲高い声」により一層ウケることにもなったのだが、
次第にこのヘンなひとの登場が待ち遠しくなってきた。
彼の役柄は細川勝元、主人公(日野富子)からすると、悪い奴のカテゴリーに入る。
得体の知れない底意地の悪さみたいなオーラがあり、とにかく出てくるだけで筋そっちのけで挙動が楽しめたからだ。

そして最期、おじいちゃんになったこのヘンなひとは、綺麗に均された竜安寺の石庭っぽいところで謡いながら舞った。
文字通り、舞ったのだ。宙に。爺ちゃんメイクで。爺ちゃんなのに。ぴょ〜ん・くるっと。
「な、なんかすごくなかった、今の!」
この臨終シーン(だったはず、たぶん…)によって、「ヘンなひと」は「ヘンだけどなんかスゴイひと」
格上げされることとなった。
オカン「野村っちゅうたら、東京の狂言のひとちゃう?」
出てこなくなってから気づいても遅いというものだが、とりあえず顔と名前と生業はこのときにインプットされたらしい。

しかし朝ドラ「あぐり」の時、すぐには気づかなかった。
「相手役のひと、なんかヘンな顔やな」としばらく考えていて、
エイスケ=ヘン=勝元=ああ、あのときの!
と思い当たった。
でもエイスケさんは宙に舞ったりはしないし、朗々と厭味を言ったりもしないし、ちょっと見逃すと
すぐいなくなっていたので、残念ながらたいして印象には残っていない。たぶん、臨終シーンも見逃している。
(「メリー・ポピンズ」のディック・ヴァン・ダイクのような紅白の縞々の背広を着てあぐりにご馳走し、
「いなくなるときに限って優しいのね」と言われて困ったように笑っていたシーンがあったような気はするが…)

で、陰陽師1作目。
やっぱりスゴイひとだった、とは思った。舞う姿がどうにも決まっていて、スゴイなと。
思ったが、漫画版の安倍晴明がデフォルトだったせいで、例の泣くシーンに違和感大ありだった。
クールな人にはずーっとクールでいてほしかったのだろう。
(後に、彼自身も最初は「晴明、泣くの?」と戸惑ったらしいと知り、なんとなく安心した)。
なにやら乙女チックな匂いも嗅ぎ取ってはいたのだが、いかんせん1作目公開時は、のんびり
他事に目を向ける余裕がなかったので、鑑賞は1度きりで終わった。

「陰陽師II」の話に戻る。
琵琶の音に誘われた、と思っていた。
べぉ〜ん・べんべんべん・べぉ〜んと胸をかきむしられるような音色に惹かれるから、
2度3度4度5度と足を運びたくなったんだと思っていた。
そして見ていると、何かとても懐かしい感じがしてきた。それは何かと突き詰めると、
特撮の「私ら頑張って作ってますねん」加減が、過去の記憶を呼び覚ましたことに気づいた。
天の岩戸で、岩がぼかーんぼかーんとそそり立ってくるシーンで、
「スター・トレック5」を思い出したのだった。惑星シャカリの「神」出現シーンを。
さすがに晴明は「あんたホンマに神様?」なんてID提示を求めたりはしないが、
なるほど「神」が出てくるのも同じではないか。
そういえば、「登場人物の紹介は済んでるんやから、ワシらの世界を見せたるで〜」な
マニアックな雰囲気もそっくりだ。

スタトレ5といえば、シリーズ屈指のサイテー映画として名を馳せてしまっているが、
私にとっては「これでトレッキーになりました」な記念すべき作品だった。
「おやめ下さい、クリンゴンの前では」
危ない所を助けられ、なりふり構わず抱きつきにいったせんちょーが冷静沈着なヴァルカン人に
言われたこの言葉が気になって気になって(クリンゴンの前じゃなけりゃいいってことなのか?と)、
ついには「スラッシュ物」に流れ着くまでに至った金字塔だ。ちなみに、数多の陰陽師サイトにお邪魔して、
「そっちのスジも似てる」と確信するに至っている。

閑話休題。

映画と原作熱にひとしきりうなされ、原因は琵琶でも笛でも晴明でもなく萬斎さんだったことを悟り、
なぜ彼が気になるのだろうとつらつら考えていた時に、「三人三様」と文藝春秋の蜷川さんの言葉に出会った。

-- 彼には、邪悪な血が流れている。
-- …その昏い血こそが、彼の魅力の根源である。

これだったのか、と目からウロコが落ちた。
「オイディプス王」を見、狂言に触手を伸ばすことになったのは、蜷川さんのこの言葉のおかげである。

前から、「これ、いいわあ」と思った曲がほとんどUK物なのはなぜだろうと思っていた。
英国の歴史に刻まれた闇だまりの部分を無意識に身に纏うミュージシャン達と、
狂言の歴史に刻まれた闇だまりの部分を無意識に身に纏う彼。
どちらも、何か得体の知れない「昏さ」がある。
私は、その暗部に惹かれるのかもしれない。