みーばい亭の
ヤドカリ話
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39.湧きいずる命


嗤うナベカ
ゾエア、メガロパ、コペポーダ、ベリジャー・・・
魔界からの使者を片端から喰らう正義の味方(?)だったのだが・・・。




20年以上前になると思うが、テレビの深夜劇場で「蠅男の恐怖」という古いアメリカ映画を観た。
なんてこともないB級映画なのだが、ちょっと心に引っ掛かった違和感のせいだろうか、今でもけっこう細部まで憶えている。
普段からアメリカ映画には何かと違和感が多いのだが、この映画で特に感じたのは蠅男の特殊メイク(かぶりもの?)・・ではなくて、子供が捕虫網でハエを捕まえて母親に見せるという何気ない場面だった。
何故か?
私自身、虫捕り小僧だった子供時代を振り返ってみても、わざわざ捕虫網でハエを捕まえた記憶など一切無い。
ハエとは「うんこをなめたきたないくちでたべものをなめてばいきんをつけるわるいむし」であって、見つければ問答無用で叩き殺すものだったのだ。
アメリカの子供は、チョウやトンボ感覚でハエを採集しているのか?
アメリカのハエはウンコに集らないのか?
そんなどうでもいいような違和感が、寝惚け眼で観たB級映画の記憶を鮮明に保っているのだから、面白いものである。

ちゃぶ台の上を五月蠅く飛び回るイエバエ。
蠅捕りリボンにくっついた大小さまざまなハエ。
漬物樽からボワっと舞い上がるコバエの群れ。
そして鮨屋の前に出された生臭いトロ箱に集まる巨大なキンバエ。

蒸し暑い昭和の風景と共に懐かしくよみがえる夏の思い出・・・そう、そんな風景も、いつの間にかそこはかとなく懐かしい「思い出」になってしまった。
昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと移ろう時代の中で、身近にハエの姿を見なくなって久しい。
トイレは汲み取りから水洗へと変わり、台所から糠床が消え、魚は切り身で買うものになり、わずかな生ゴミはフタ付きのポリ容器に密封されて屋内に保管され・・・、思えばハエたちにはずいぶんと住み難い時代になったものだ。
それでも、しぶとく生きているのが、ハエがハエたる所以の逞しさ。
休日に庭いじりをしていると堆肥の匂いに誘われて、どこからともなくキンバエが飛んでくる。
「おや、久しぶり」と懐かしさもあって、陽射しを浴びて一心不乱に堆肥を舐めているキンバエをじっくり観察してみると、今更ながら実に美しい姿をしていることに驚かされる。
金を薄く延ばして太陽に透かすと緑色に見えるそうだが、キンバエの背中はまさにそんな感じの緑色。
「金蠅」とは良く名づけたものである。
少々珍しくなったとはいえ、あれほど毛嫌いしていたハエを、庭先でのんびりと眺めているのだから、人間なんて勝手なものだ。
今なら虫籠に入れて飼うのにも、それほど抵抗はないだろう。
「蠅男の恐怖」が公開されたのは1958年。
アメリカという国は、半世紀以上も前から、ハエに嫌悪感を持ち得ないほど偏執的に衛生的な文明国だったということか。

閑話休題(それはさておき)

男やもめに蛆が湧く・・などという言葉があるくらいだから、ハエは「湧く虫」の代表だろう。
もちろんパスツール博士の「自然発生説の検討」から二百数十年を経た21世紀の文明国ニッポンにおいて、「生き物が湧く」ことなど絶対に有り得ないのは子供でも知っている常識中の常識。
無機物から生命が発生したりすれば、それは付喪神、すなわち妖物、物の怪の類である。
生き物は必ず親から生まれることに疑いを持つなど現代人として金輪際あってはならないことなのだが、白状すると時折そんな常識に疑問を感じることがある。
「だったら、コイツはどこから来たんだい?」
耳元で囁くその悪魔とは・・・、リビングに6年間鎮座している「磯水槽」である。





カミナリベラ、ソラスズメダイ、ホンベラ、アナハゼ、ウバウオ、クモハゼ、メジナ、ナベカ、イソスジエビ、スジエビモドキ、ホンヤドカリ、ケアシホンヤドカリ、ユビナガホンヤドカリ、ヤマトホンヤドカリ、ベニホンヤドカリ、クロシマホンヤドカリ、イソヨコバサミ、ブチヒメヨコバサミ、ケブカヒメヨコバサミ、トゲトゲツノヤドカリ、イソガニ、ヒライソガニ、アカイソガニ、ヒメアカイソガニ、マメコブシガニ、イソクズガニ、クボガイ、イシダタミ、イソニナ、アラムシロ、スガイ、ボサツガイ、ヨロイイソギンチャク・・・。
今までに採集して飼い主自らの手で水槽に入れた生き物達である。

だが、磯水槽に棲みついたのは彼らだけではない。

コシオリエビの仲間、ヒザラガイ類数種、小型のヒトデ、ヤツデヒトデ、腔腸動物のポリプ数タイプ、付着性二枚貝、グソクムシの仲間、ケヤリムシ・カンザシゴカイの仲間数種、種不明のイソギンチャク、キクスズメ、ヒメヨウラクガイ、ヨコエビ類、カイアシ類(コペポーダ)、オウギガニの仲間、イワイソメ・ミズヒキゴカイ・巨大ウミケムシその他環形動物数種類、センチュウらしき生き物、最古の生命体シアノバクテリア、明らかにクラゲと思しき浮遊生物、ケフサイソガニ、その他正体不明の生命体多数・・・。

数え上げれば正規の住人よりも多くの異形たちが、どこからともなく現れては消えていった。
中にはウミケムシのように10㎝を超えて磯水槽最大の生き物になったツワモノも居るし、水槽の立ち上げ直後から居るヒメヨウラクガイ(魔貝)は、今や最古参である。
もっともたいていは「あの時入れたアレについてきたな・・」と、およその出自を推理できるのだが、中には今目の前を漂っている稚クラゲのように、「なんで?」「どこから?」「いつ?」と、クエスチョンマークに塗れたヤツが居たりするから、一筋縄ではいかない。
ふにふにと泳ぐクラゲをてれてれと眺めてふにゃふにゃになった脳内に疑問と疑惑が渦巻いている今この時、目の前に白木綿で頭を包んだ行者が登場して、「この水槽は付喪神と化しておるわ、喝~っ!」などとやられたら、「やっぱり、そうやったんか」と、素直に納得してしまいそうな自分が怖い。
やっぱり、我が家の水槽は魔界とつながっているのかも・・。







ケフサイソガニ
水槽内を甲幅3㎜にも満たない稚ガニが歩いているのを見つけたのが去年の春。
一年が過ぎ、甲幅20㎜ほどに成長した姿は紛う事なき「ケフサイソガニ」。
もちろん採集した覚えはない。
だいたい冬場磯採集はお休みなので、日本海から来たのではないことは確か。
だったらどこから来たのか?
早春、ほんの少し水が温んでアサリが太りだすと、みーばい亭のメニューを調達する為に河口の干潟へ貝捕りに出かける。
そのついでに、緑藻やシオフキをヤドカリたちのおみやげに拾ってくる。
おそらく、その時にメガロパか稚ガニの状態で紛れこんだのだろう。
それにしても生息地と全く異なる環境の、おまけに甲殻類喰いのナベカが這い回る磯水槽で良くここまで成長したものだ。
ユビナガホンヤドカリといいアラムシロといい、干潟の連中も荒磯連合に劣らずけっこう強かなようだ。





謎の浮遊生命体。
見かけは間違いなくクラゲ、それもカサに切れ込みがないので、エフィラではなくれっきとした稚クラゲに見える。
カサの直径は2㎜ほど。
いったいどこからやってきたのだろう?
確かに腔腸動物のポリプは何度か現れたが、それがどこかに定着してエフィラを分離しているのだろうか?
それにしては、突然稚クラゲの形で出現したのが解せない。
やっぱりクラゲは、海水が凝り固まって自然に発生すると、考えた方がすっきりするのだが・・、いや、いかんいかん。
今はアトムの世紀。
ここは科学文明大国ニッポン。
中世の欧羅巴人やないんやから・・。
けど、やっぱり・・・悪魔が耳元で・・・(^^;







こちらはお馴染みのユビナガホンヤドカリだが、彼らの中にもいつの間にか稚ヤドカリの姿で住み着いていた個体が何匹かいる。
干潟の緑藻は、流されないように貝殻や時には生きた貝から生えている。
想像だが、隠れ場所の少ない干潟のカニやヤドカリは、ゾエアからメガロパやグラウコトエに変態して着底する時、この海藻や貝を拠り所にするのではないだろうか。
そう考えると、けっこうな確立で甲殻類が「湧く」理由も説明できる。
それにしても水槽に入れる緑藻は水中ではなく完全に潮の引いた陸上で拾った物。
しかも、そのまま海水なしでビニール袋に入れて、日の当たる車内に何時間も放置した上で、水合わせも何もせずに水槽に放り込んでいる。
そんな環境で生き残っているのだからたいしたものだ。
毎年、オカヤドカリの幼生飼育に苦労しているせいで、甲殻類の幼生にはひ弱なイメージを持っているのだが、実はけっこう丈夫なのかもしれない。






2007年10月に「小紅と地味~な住人たちで」紹介したクボガイ&キクスズメ。
揃って未だ健在である。
大家の方の大きさはほとんど変わっていないようだが、店子は大家を覆い隠さんばかり成長している。
おまけに良くみると脇に小さな仔貝もくっついている。
大きい方は採集した時点でくっついていたとして、この仔貝はどこから来たのだ?
もしかして、水槽で繁殖したのか?
そういえば、時々ガラス面に1~2㎜ほどの貝のようなモノが付いているなぁ。
このキクスズメ、水槽に現れてすでに5年。
究極の地味キャラだが、魔界水槽の意外な伏兵である。





流れてきたクリルをキャッチするヒトデマン
あまり動かないイメージのヒトデだが、意外に活動的な生き物で、時には思いがけない運動能力を発揮して飼い主を楽しませてくれる。
このヤツデヒトデも自然発生組。
おそらく越前みやげの苔石に付いてきたのだろう。
最初はちゃんと「八つ手」だったのが、いつの間にか分裂して「四つ手」になってしまった。
確かに、ごちゃごちゃとした狭い水槽では、シンプルな四つ手の方が活動しやすいように思えるが、意図的に分裂したのなら恐るべき適応能力である。
おまけに非常に貪欲で喰ったら喰っただけ大きくなるスーパー生物。
招かれざる客とはいえ、けっこうお気に入りだったが、あまりの成長ぶりに60cmでは面倒見切れないと判断、残念ながら昨秋最後の磯下りの日に、故郷の日本海へお帰りいただいた。
それにしても天を持ち上げるアトラスの如しその勇姿は、今見ても惚れ惚れする。
元気でやってるかなぁ・・。




この磯水槽、2年前に水漏れで水槽本体を交換したが、濾材のサンゴ砂やアクセサリー類は6年間入れっぱなし。
もちろん、エアリフト式の底面濾過だから、プロテインスキマーなど使用していないし、餌の食べ残しもそのまま放置してある。
生体の死骸も小さな物なら取り出さずに、餌として提供している。
掃除もごくたまにサイフォンでデトリタスを吸い出す程度。
管理人としてはビオトープ風の環境をめざしているつもりなのだが、考えてみれば非衛生な汲み取り便所みたいなものである。
この前時代的な水槽環境が、様々な生き物が湧き出ずる源になっていると考えるのは、管理人の欲目だろうか。
別に不便で非衛生な前世紀に戻りたいわけではないが、衛生観念が暴走しすぎてハエ一匹入り込む余地のない世の中っていうのも味気ない。
パスツール博士には申し訳ないが、あの頃夏の陽射しを浴びて五月蠅いくらいに飛び回っていたハエたちは、人々の暮らしの中から自然に湧いてきたのだと思いたい今日この頃。
2010.04.17

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