みーばい亭の
ヤドカリ話
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36.ちびヤドの春



2009.3.27撮影
白が「琴」、ピンクが「ジュニア」
孵化したのが2008年8月11日だったから孵化後228日
上陸が2008年9月14日だったから上陸後194日
稚ヤドカリに変態したのが10月初旬から中旬にかけてだからもうじき半年
同じ親から生まれた兄弟なのに、大きさや体色がまったく違うのがおもしろい



春である。

100年に一度の経済危機とかで、果てしなく世の中が冷え込んでいるが、春である。
かつて植木等のノーテンキな唄声と共にこの世の春を謳歌した「気楽な稼業」も、いまや南極の如きブリザードに晒されている。
そんな中、経営陣の保身の為としか思えない、無茶苦茶な組織変更と、それに伴う人事異動が情け容赦なく通達され、社内はあたかもマグマ渦巻く原始の地球のようなカオス状態にある。
私自身も、激しい地殻変動に巻き込まれて水没寸前の小島から、40kmほど離れた小大陸への移住を余儀なくされた。
早い話が転勤である。

まあ、私の仕事などは、ほとんど電話とメールのやり取りだけで、あとは表とグラフを適当に散りばめた報告書をまとめて会議の席であくびを噛み殺す・・、くらいのものだから、転勤といっても仕事に大した変化は無いのだが、困るのは通勤距離が長くなること。
距離とルートから通勤時間を算出すると、今までの車通勤ではちょっと厳しい。
で、20年ぶりに定期券というものを持つことになった。
それはそれで悪いことではない。
毎日、駅まで歩いていれば、運動不足も多少解消されるだろうし、いつも同じ車両で顔を合わせる原田知世似のOL と恋に堕ちるかもしれない(希望的妄想)。
おまけに、憧れだった駅前の赤提灯で「一寸一杯」というアトラクションにも堂々と参加できる!
新生活が季語になっていることを思えば、環境が一新される今年の春は、久しぶりに訪れた春らしい春ということか。









と、いうわけで何度も繰り返すが春である。
しつこいようだが春である。

アウトドア採集派ヤドカリ好きには、待ちに待った磯シーズン到来だし、インドア購入派オカヤドカリ好きには、越冬の成果が問われる審判の季節である。

特に、初めて越冬に挑戦されたオカヤド飼いさんは、水槽を眺めながら一喜一憂されていることだろう。
セオリー通りに環境設定をすれば、不安なのは初年度だけで、2年目以降は特に心配することも無いのだが、我が家の場合、飼い主が手抜きだの節電だのと余計な雑念を入れて年々越冬環境を悪化させているせいで、毎年それなりの緊張感がある(^^ゞ
そんな気の毒なオカヤドカリたちの中で、例外的に真綿でくるむようなぬくぬくの過剰越冬環境を与えられた個体がいる。
言わずと知れたちびヤド兄弟。
昨夏、みーばい亭で生まれ、見事に上陸を果たした2匹のナキオカヤドカリたちである。
稚ヤドカリの越冬は、本州某所で採集した無効分散個体で経験済みだが、今回はピクピク蠢くゾエア幼生から手塩に掛けて育て上げた個体だから、無事に春を迎えた感慨もひとしおなのだ。
上陸後半年を経て、外観はすっかりナキオカヤドカリらしくなったし、苦手だった植物質の餌も最近はよく食べている。
サイズが小さいことを除けば、すっかり一人前のオカヤドカリである。
現在、前甲長2㎜程度、宿貝は乾燥大豆ほどの大きさ。
これくらいのサイズだと、30cm程度のプラケでも余裕で飼えるし、餌もほんの少しですむ。
糞も目立たないし、ガコガコ喧しくもない。
成熟してもこのままの大きさなら、机の上で手軽に飼えるペットとしてブレイクするのは間違いないだろう。
砂に稚ヤドカリを混ぜたり、情け容赦なく掻き集めた仔ヤドカリに付加価値をつけて売りさばいたりするような悪徳業者が横行する昨今、ここらで小柄な個体同士の交配で累代養殖を繰り返し、お座敷犬やミニブタのように矮小品種として固定するくらいの根性を見せてくれる業者さんの登場に期待したいところであるが・・・。
私が生きている間には無理だろうなァ。






オカダンゴムシの死骸を貪り食うジュニア

ユスリカやハエなどの羽虫も好物だが、冬場は調達が難しいので、オカダンゴムシを重宝している。

オカダンゴムシは昔から日本にいるような顔をしているが、実はヨーロッパからの外来種(森にいるコシビロダンゴムシは在来種)。
我が家の庭では、同じ外来種のチャコウラナメクジと共に不自然な個体密度で発生して、栽培植物を激しく食害するので、害虫とみなして駆除のためにトラップを仕掛けている。
トラップといっても、ワラ束を軒下に積んであるだけ。
冬になると、ここに大量のオカダンゴムシが集まってくるので、一網打尽にする・・・つもりだったのだが、何となく殺しそびれている。
基本的に私は甲殻類が好きなのだ。(念のために書いておくとオカダンゴムシは、オカヤドカリと同じ立派な甲殻類。海岸でお馴染みのフナムシやグソクムシの仲間である)
結果的に、駆除のためのワラ束が、安全で快適な越冬場所になってしまって、さらに個体数が増えるという馬鹿馬鹿しいスパイラルに陥っている(^^;
この、オカダンゴムシ越冬地帯が、冬場の食糧調達場所になっているわけだ。
もちろん、オカヤドカリに与える時はしっかり頭をつぶして殺しておく(下手に情けをかけると、オカヤド水槽がダンゴムシ水槽になってしまう)。
殺したての新鮮なオカダンゴムシに対する嗜好性は・・画像の通り。
小型の個体なら兄弟2匹で軽くたいらげてしまう。
人間が同じ哺乳類である牛や豚の死肉を好むのと同様、甲殻類であるヤドカリもやはり甲殻類が好きなようだ。
その辺り、磯水槽の連中を観察しているとさらに顕著なのだが・・(笑)







3月初旬撮影、一脱皮前の琴

飼育容器は中型のプラケースだが、飼育個体のサイズが小さいので、生息環境を模したビバリウムを楽しむことができる。

前甲長8㎜を超えるいわゆる「生体玩具ハーミーズクラブ」サイズ以上になると、60㎝水槽でも崩されないテラリウムを維持するのが困難なので、どうしても機能性重視のシンプルなレイアウトを組まざるを得ない。
2004年の(くだらない)オカヤドカリ戦争以降主流になっている、プラスチック製品やビー玉などの人工物で飾り付けた「リカちゃんハウス的玩具扱いテラリウム」よりは多少マシとはいえ、タッパーや樹脂製の水入れを水槽内に持ち込むのは、少しでも自然下でのオカヤドカリの生活に触れた経験のある飼い主にとっては、断腸の極みだろう思う。
少なくとも、私はそうだ。
野生動物を飼育するということは、飼い主の生活環境の中で飼育個体の生息環境を出来る限り再現することが基本であることはいうまでもないが、オカヤドカリという「野生動物」との付き合いが深くなればなるほど、飼育環境と生息環境のギャップが身につまされて、やるせない思いでオカヤドカリと付き合うことになる。
まあ、それが野生動物を飼育するということなのだろうが・・。
その点、飼育個体が豆粒サイズなら、ある程度飼育環境を「ビバリウム」として構築することは難しくない。
我が家のちびヤド達が暮らしているのは普通のプラケースだが、珪砂を敷きつめ珊瑚礫を転がし貝殻や(嵐で千切れて流れ着いた)ガジュマルの小枝を配置したレイアウトは、生息地の海岸の環境を模した「ビバリウム」として、十分機能していると自負している。
自分で言うのもなんだが、上の画像も一瞬生息地の海岸で撮影した画像と見紛ったほどだ。
雄大な自然環境を全く知らずに、小さなケージ内で生まれて育った個体故に、少しでも飼い主の脳裏にある自然環境を再現してやろうと考えるのは自分本位の自己満足にすぎないのだろうか・・・?

当のちびヤド達の思いは知る由もないが・・って、大脳無いし(爆)





ここだけの話なんやけど・・・
ホンマはダンゴムシよりワラジムシの方が好きやねん
2009.3.28

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