糖尿病患者の血糖コントロール状態を判定する最も重要な指標はHbA1cですが,私達が研究を始めた頃は,HbA1cがいつの血糖を表すか明らかではありませんでした.現在では,HbA1cは過去1ヵ月の血糖が50%,その前の1ヵ月の血糖が25%,更に前の2ヵ月の血糖が残りの25%の寄与をすることが分かっています.従って,過去の血糖が同じ比率でHbA1cに寄与するのではなく,最近の血糖ほど寄与率が大きいということになります.では,どのようにしてこのことが明らかになったのでしょうか? このページでは,HbA1cがいつの血糖を表すかについて分かりやすく説明したいと思います.HbA1cと過去の血糖の関係というのは非常に重要で,この問題を正しく理解できれば,HbA1cおよびグリコアルブミンに関する生理学的な問題のほとんどが分かるようになります.
表1.HbA1cはいつの血糖を表すか?
図1.血糖値が急速に改善した場合のHbA1cの変化
皆さんは「HbA1cがいつの血糖を表すか?」についてきちんと把握できているでしょうか? 直観的に「HbA1cは表1の時期の血糖を表す」と考えてはいけないのでしょうか?
HbA1cが初めて実用化された頃ですが,「HbA1cがいつの血糖を表すか?」について多数の研究がなされました.その結果,HbA1cは1ヶ月前の血糖と最もよく相関するという結果が得られました.この結果から表1に示すような解釈が提起されたわけですが,これらの解釈はかなり直感的で,生理学的なベースに基づいた科学的な結論ではありませんでした.私達は,研究の過程で,このような答えはいずれも正しくないことを発見しました.では,なぜこれらの答えが正しくないと言えるのでしょうか?
このような問題を考える場合,単純に患者データを収集するだけではなく,生理学的なモデルを構築し,定量的な検討を行うことが必要です.
HbA1cと血糖の関係を調べる場合,血糖値が階段状に改善した場合にHbA1cがどのように変化するかを検討するのが,最も簡単かつ分かりやすいでしょう.糖尿病の場合,教育入院を行うと血糖値が一気に改善するケースを多数経験しますので,このようなモデルは臨床的にも最も分かりやすいモデルであろうと思います.
血糖値が階段状に改善した場合,HbA1cが表1のような血糖を表すのであれば,治療後のHbA1cの変化は図1のようになります.最初に,HbA1cが1ヶ月前の血糖を表す場合を考えてみましょう.この場合,HbA1cは治療開始後1ヶ月間は変化せず,1ヶ月後に急に低下し,それ以後は新しい定常値を維持することになります.同様に,HbA1cが2ヶ月前の血糖を表すのであれば,HbA1cは2ヶ月後に急に低下することになります.一方,HbA1cが過去1ヶ月間の平均血糖を表すのであれば,HbA1cは治療開始直後から直線的に低下し,1ヶ月後に新しい定常値に達し,以後はその値を維持することになります.同様に,HbA1cが過去2ヶ月間の平均血糖を表すのであれば,HbA1cは2ヶ月間に渡り直線的に低下し,以後は新しい常定値を維持することになります.
図2.教育入院した糖尿病患者の血糖とHbA1cの経過
では,実際の糖尿病患者のHbA1cはどのような変化をするのでしょうか? 上に述べたモデルのうち,実際のHbA1cの変化と一致したものが正しいということになります.
図2に著明な高血糖で入院した2型糖尿病の1例を示します.この症例の空腹時血糖は,入院時は330mg/dLという高値でしたが,10日後には110〜130mg/dLに低下し,以後は良好な状態が続いています.HbA1cは,入院時は16.3%という高値でしたが,1ヶ月後には11.4%,2ヶ月後には8.4%,3ヶ月後には7.2%と低下し,4ヶ月後からは6.4%前後の良好な値を維持しています.すなわち,HbA1cは,治療開始後は急速に改善し,その後,次第に低下速度が減少し,4ヶ月で新しい値に収束するという変化をしています.
糖尿病の教育入院に携わっておられる方々であれば,血糖コントロールが著明に改善した症例では,この症例と同じパターンでHbA1cが低下することをしばしば経験しておられることでしょう.このように実際の症例におけるHbA1cの変化は,表1や図1のような変化にはなりません.赤血球寿命は約120日ですので,過去120日の血糖値がHbA1cに寄与する筈であり,HbA1cが定常値に達するまで120日かかったという本症例の結果は,非常に納得できる結果となっています.
図3.HbA1cに対する過去の血糖の寄与率
以上のように,臨床データと比較すると,HbA1cが単純に1〜2ヵ月前の血糖を表すわけではないこと,あるいはHbA1cが過去1〜2ヵ月の平均血糖を表すわけでもないということが分かります.では,HbA1cは過去の血糖をどのように反映するのでしょうか?
ここで,考え方を整理するため,図3に示すように,過去の各月の血糖を\(G_1\),\(G_2\),\(G_3\),\(G_4\)とし,各月の血糖のHbA1cに対する寄与率を\(x_1\),\(x_2\),\(x_3\),\(x_4\)%とします.このように血糖と寄与率を決めると,HbA1cは次のように表されます.
\begin{align}
HbA1c = β \left(\frac{x_1}{100} G_1 + \frac{x_2}{100} G_2 + \frac{x_3}{100} G_3 + \frac{x_4}{100} G_4 \right)
\end{align}
\(β\)は血糖値に対するHbA1cの比例係数で糖化係数と呼びます.各月の寄与率の合計は100%ですから
\begin{align}
x_1 + x_2 + x_3 + x_4 =100
\end{align}
となります.
図4.血糖値が階段状に改善した場合
図5.血糖値が階段状に変化した場合のHbA1cの変化
図6.HbA1cと過去の血糖の関係
従って,血糖値が階段状あるいは階段状に近い速さで改善した症例のHbA1cの経過を解析すれば,HbA1cに対し過去の血糖がどのように寄与するかを解析することができるわけです.図2に教育入院例におけるHbA1cの経過を示しましたが,皆さんも自らの症例で検討してみてください.大多数の症例で,HbA1cがこの症例と同じ変化をすることが分かります.これらの結果から,図6に示すように,HbA1cに対する過去の血糖の寄与率は,直前の1ヵ月が50%,その前の1ヵ月が25%,更に前の2ヵ月が残りの25%になるという結論が導かれるわけです.