令和6年1月号(第162号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
横浜中華街
YOKOHAMA CHUKAGAI
 神奈川県 横浜市中区山下町

横浜中華街 HP




 幕末に横浜が開港し、外国人居留地が整備される中で、その一角に中国人たちが居住する町が形成されていった。
 現在の中華街では、通りの両側に料理店が縦横に建ち並んでいるが、当初は大工や洋裁師などの職人が中心となり生活を営んでいた町だったようである。
 その後、関東大震災や第二次大戦を経験し、復興のまちづくりとして、中国文化の特色を前面に打ち出した観光化が推し進められ、みなとまち横浜の発展とともに、大きな成功をおさめている。
 近くに、山手の西洋館群と港の見える丘公園や山下公園といった散策路が整備され、隣接して元町通りというショッピングゾーンもあり、飲食店街を中心とした中華街は、全体が観光エリアのなかでうまく役割分担されているようで興味深い。

①善隣門 ②関帝廟 関帝廟通り ④會芳亭  
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  ①善隣門 中華大通りの西側入り口に、昭和30年に建てられ、昭和64年にリニューアルされた。それまで中華街は「南京町」と呼ばれていたものが、善隣門に「中華街」と掲げられたことからその呼び名が定着するようになったそうである。中華街に設けられた10か所の牌楼(ぱいろう)のうちの一つ。
②関帝廟 三国志に登場する蜀の将軍の一人である関羽を祀った神社。初代が江戸末期に建設され、関東大震災後に二代目、太平洋戦争後に三代目、そして平成2年にこの四代目が誕生した。無類の豪傑だった関羽が、商売繁盛や富の繁栄をもたらす神として崇められているのは不思議な気がする。
③関帝廟通り メインストリートである中華街大通りに次ぐサブストリート。東入り口に地久門、西入り口に天長門と名付けられた牌楼(ぱいろう)を構え、通りの両側には中華料理店や土産物店を中心に、観光客向けの店舗が軒を連ねている。極彩色で飾られた異質な世界である。
④會芳亭 平成12年に山下町公園の中に建てられた休憩所。明治初期にこの地にあった料亭の「會芳楼」にちなんで、こう名付けられたそうである。中華街の中は過密な町並みなので、この施設は地域の人々や観光客の休憩所として重宝に利用されているようだ。