令和5年11月号(第160号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
馬車道
BASYAMICHI
 神奈川県 横浜市中区常磐町 横浜市HP

馬車道商店街 HP




 幕末まで寒村に過ぎなかった横浜は、日米修好通商条約の締結により開港地の一つとして指定された。その結果、貴重な海外貿易の基地となり、まちの中心部には外国人居留地が整備され、商業の隆盛とともに、欧米の文化・文明を吸収して近代的な都市へと急速に変身していった。
 馬車道はその居留地のなかで、馬車を走らせるために整備されたメインストリートであり、また東京~横浜間に開通した乗合馬車が行きかっていたことなどから、「馬車道」と呼ばれるようになり、通りの名称であるとともに、沿道周辺の地域名称として親しまれるようになっていった。
 国道××線とかいう記号的な呼称よりも、歴史を感じさせる響きがあるため、この呼び名が定着していったのだろう。現在の馬車道は、街路樹の間にガス灯が復元され、また近代的なビルの合間には歴史を感じさせる様式建築が保存・活用され、横浜を代表するビジネス・商業エリアとなっている。
①馬車道通り ②県立歴史博物館 横浜第二合同庁舎 ④旧横浜銀行本店  
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  ①馬車道通り  馬車道通りには、日本で初めてガス灯と街路樹が整備され近代的な町並みづくりのひな型となったようである。歴史的な建造物や老舗商店とともにその景観は引き継がれ、現在では気持ちの良い散策路になっている。左手前の平安堂薬局は明治3年創業の紀伊国屋薬舗から継承されているそうだ。 
②県立歴史博物館 明治後期に建築された旧横浜正金銀行本店で、関東大震災や太平洋戦争時の空襲にも耐え、戦後修復されて博物館として利用されている。大規模で威風堂々とした建物で、馬車道のシンボリックなモニュメントとしての役割も果たしているようだ。
③横浜第二合同庁舎 国の行政機関が集まった庁舎。大正末期に関東大震災復興事業として建築されたもので、最初は生糸検査所として使われていた。日本のRC建築の先駆者と言われている遠藤於菟(おと)の作品である。交差点の角地部分だけが景観保存され背後は超高層ビルに再開発された。
④旧横浜銀行本店 昭和初期に旧第一銀行横浜支店として建築された。昭和55年に横浜銀行本店別館となり、現在はヨコハマ創造都市センターとして活用されている。当初の建物の玄関周辺部分のみが修復保存され、後ろに続く部分は、超高層オフィスビルに生まれ変わっている。