令和4年9月号(第146号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
三 木
MIKI
 兵庫県 三木市本町 ほか 三木市HP

三木市観光協会HP




 三木の町は歴史的な生い立ちから見れば、3つの顔を持っている。

 まず1つ目は三木城を中心とした城下町である。三木城は天守閣が現存しておらず、城下町の名残もほとんど残っていないが、戦国時代に起こった秀吉の三木城攻めは有名で、犠牲になった城主別所長治公の首塚が残されるなど、三木合戦の様子は様々なかたちで伝えられている。

 この三木合戦により荒廃した町の復興のため秀吉が推進したのが、のこぎりやかんななど住宅建築に必要な金物生産である。この産業は現在もなお金物の町・三木として受け継がれており、三木の中心的な地場産業になっている。これが2つ目の顔である。

 そして3つ目が、三木合戦の際に、負傷者の治療のために有馬温泉を湯治場として利用するため、有馬温泉との間の道を整備した湯の山街道沿いに発展した在郷町としての顔である。これら3つの顔の面影は、現在も町の各所に残されており、また三木城跡周辺には、歴史資料館や金物資料館が整備され、興味深く町の歴史を探訪できる。

①黒田清右衛門商店
②旧 玉置家住宅 ③舟板壁
④稲見酒造
 
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  ①黒田清右衛門商店 江戸時代から続く金物問屋。1階正面入り口の屋根の上には、大きなのこぎりの看板が載っている。黒田家では、江戸時代から今日まで、代々主人が清右衛門の名を継いでいるそうだ。このあたり、黒田商店を中心に古い町並みがよく残されている。
②旧 玉木(たまおき)家住宅 江戸時代中期に上州館林藩の切手会所(今の銀行)として建築され、明治に入ってから金融業を営む玉置家の店舗兼住宅となった。敷地の奥に離れ座敷や蔵などが次々と増築されていてその繁栄ぶりがうかがえる。母屋は国の登録有形文化財となっている。

③舟板壁 三木の町には三木城の外堀の役割を果たしていた美嚢(みのう)川が流れている。この川は同時に舟運による交通路の役割も果たしていたが、明治に入り陸路が整備されると、舟運は衰退していった。そのとき廃船となった舟の船板が家の腰壁などに利用されている。

④稲見酒造 明治中期創業の造り酒屋。三木は代表的な酒米である「山田錦」の特産地だったため、必然的に酒造りにも力がはいったようだ。新酒ができたことを知らせる杉玉が、1階の軒下にずらりとつるされていて、「志るしの杉玉」と呼ばれている。