令和4年8月号(第145号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
横浜山手 3
YOKOHAMA YAMATE
 神奈川県 横浜市中区山手町 横浜市HP

横浜市緑の協会HP




 横浜山手は、元町商店街の南東に拡がる高台の住宅地一帯で、幕末の日米修好通商条約に基づく神奈川開港により、外国人居留地として開発・整備された。
 山手のふもとにあり港に接するエリアである関内居留地は、入江を埋め立てた湿地帯だったため、居住地としては不向きで、もっぱら業務地としての利用に特化し、関内に隣接する環境の良い山手エリアが、住宅地として注目され、次々と西洋館が建設されていったようだ。しかし大正12年の関東大震災により、それらの建物はほとんど失われたが、住宅地としての恵まれた立地は失われず、高級住宅地として復興・再生して今日に至っている。
 現在は残された西洋館や文教施設・公園などが散策路に沿って散在し、格好の街歩きコースとなっている。住宅地でありながら、人気の観光コースとなっているが、安っぽい飲食店や土産物店が全く目につかないのが大変好感が持てる。

➈外国人墓地
➉山手資料館 ⑪イギリス館
⑫山手111番館
 
 ←画像をクリック  
  ⑨外国人墓地 ペリー提督の意向により造成・建築された外国人専用の墓地で、公園のように美しく整備されている。そのため今では市内有数の観光スポットになっており、いくつもの歌謡曲の歌詞として取りあげられて市民に親しまれている。正門の設計者は米国人建築家のJH・モーガン。
⑩山手資料館 関東大震災後に建築された建物が多い山手の西洋館群のなかで、この建物は数少ない貴重な明治建築である。当初は本牧に中沢邸の応接間として和風住宅に接続して建てられ、昭和初期には諏訪町に移築されて園田邸となり、昭和52年にこの地に移築された。

⑪イギリス館 もと英国領事館公邸で昭和初期に建築された。2400㎡という広大な敷地に建つ豪邸である。しかし外観はいたってシンプルで、これが当時の英国紳士の好みだったのだろうか?ごてごてした意匠の洋式建築から、すっきりしたモダニズム建築への移行時期だったのかもしれない。

⑫山手111番館 関東大震災後の大正15年に建築された旧ラフィン邸。玄関前に3連のアーチのパーゴラを備えたスパニッシュスタイルの邸宅。住宅地街の中にあって、周辺の環境に違和感なくなじんでいる。地階は喫茶室として利用されていて、西洋館巡りのカップルやグループでにぎわっていた。