令和4年7月号(第144号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
尾 崎
OZAKI
 大阪府 阪南市尾崎町 阪南市HP

阪南市観光協会HP




 尾崎は和歌山に近い大阪南部に位置し、江戸時代は紀州街道に沿った在郷町だった。また、大阪湾に面していることから漁業を営んだり貿易を商う港町でもあった。
 さらに町の中心には本願寺別院が広大な敷地の中に構えており、そこへの参拝客でにぎわう門前町でもあったようだ。
 歴史の中でいくつもの性格を持ちながら栄えてきたこの町は、現在も町のあちこちに古い商家や町家が残されており、往時の面影を色濃く伝えている。
 現在は、南海電車尾崎駅から西へ徒歩数分で、古い町並みに入るが、大都市近郊の町にしては驚くほどで静かで、時の流れが止まってしまったかのような空間に包まれている。大阪と和歌山を結ぶ道路が、古い町並みを迂回して整備されたせいで、尾崎の町の中に残された道路は、昔の紀州街道を中心とした幅の狭い道路ばかりなのが幸いして、通過交通が全くないためなのだろう。この歴史的な町並みの雰囲気をいつまでも保ってほしいものだ。

@西本願寺尾崎別院
A善性寺 B浜街道
C浪花酒造
 
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  @西本願寺尾崎別院 浜街道に沿って白壁の塀が続き、重厚な山門と櫓が浜街道を見下ろしていて、古い町並みの中で核になる施設となっている。町の遠くからでも櫓の甍が発見でき、町のランドマークとしての役割も果たしているようだ。
A善性寺(ぜんしょうじ)尾崎村の庄屋で、尾崎村の開祖と言われている吉田家の代々のお墓が安置されている寺。武将が城下町を開き、城下町を整備して町の開祖として祀られている話は、全国の各地で時々耳にするが、村の有力者がこのような扱いを受けている例は珍しい。村の発展によほど尽力したのだろう。

B浜街道 紀州街道のうち、海岸線沿いに走るこのあたりを浜街道と呼んでいたようだ。泉州から孝子(きょうし)峠を越えて紀州へ通じる道のため孝子街道とも呼ばれていた。街道の両側には古い町家が各所に残されており、歴史をしのぶ遊歩道にもなっている。

C浪花酒造(成子家住宅)  成子家は江戸時代から続く造り酒屋で、主屋をはじめ離れ座敷や酒蔵など10棟の建物をもつ老舗である。現在の主屋は大正時代に建てられたもので、国の登録有形文化財に登録されている。道路を挟んで向かい側にも古い町家が何軒か残されており、歴史を感じさせられる一角である。