令和4年3月号(第140号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
長 府
CHOFU
 山口県 下関市長府古江小路町 ほか 下関市HP

下関市長府観光協会HP




 
 関ヶ原の戦いに敗れた西軍の将・毛利家は、防長2藩に減封された結果、本藩は萩に置き支藩を長府において、長府では串崎城の建設と城下町の整備を行った。
 串崎城は関門海峡を望む高台に築かれたが、現在は石垣だけが残され、城址は関見台公園として整備されている。
 城下町のほうは、城から西北に少し離れた位置に、明治に入ってから建設された長府毛利邸を中心として、練塀(ねりかべ)と石畳の舗道で整備された閑静な住宅街として保存されており、観光客と生活者がほどよく共存して武家屋敷街の風情を伝えている。
 また長州といえば明治維新の立役者なので、高杉晋作が挙兵した場所と伝えられている功山寺や、薩長同盟にむけて奔走する坂本龍馬を扶けた三吉慎蔵の邸宅跡が残されていて、激動期の風も感じられる歴史の町である。

@長府毛利邸
A古江小路 B 吉岡家長屋
C横枕小路
 
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  @長府毛利邸 明治にはいってから、長府毛利家の14代目によって建てられた邸宅。まるで神社仏閣のような風格ある建物で広大な庭園とともに、とても個人の住宅とは思えないたたずまいだ。現在は内部が公開され、市民や観光客の憩いの場として親しまれているようだ。
A古江小路(ふるえしょうじ) 高台にある長府毛利邸から海側に下る坂道は、古江小路と呼ばれ、石畳で整備された静かな町並みになっている。現在は新しい住宅街に変わっているが、昔は武家屋敷街だったようで、両側に練塀の続く家並みは長府を代表する町並み景観になっている。

B吉岡家長屋 江戸時代の建物と伝えられている。建築時期も当時の所有者もよくわからないらしいが、敷地の規模からして藩の要職にあった侍の屋敷と思われる。長屋として使われていたようだから、もとは長屋門になっていたのかもしれない。城下町らしく隅櫓のような建て方になっている。  

C横枕小路(よこまくらしょうじ)乃木神社(右側)の南側を東西に横枕小路とよばれる細い路地が通っている。両側に練塀が続き、塀越しに大木の樹葉が覆いかぶさって緑のトンネル状になり、気持ちの良い空間になっていて、格好の散策路や通学路になっているようだ。