令和3年7月号(第132号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
三日市宿
MIKKAICHIJUKU
 大阪府 河内長野市三日市町 河内長野市HP

河内長野市観光協会HP



 三日市宿は高野街道に沿った宿場町として発展した。
 高野街道は京大阪から、平安時代に空海(弘法大師)が開いた仏教の霊場である高野山へと向かう参詣道として整備された。
 高野街道は東高野街道、西高野街道、中高野街道と何本も整備され、現在の南海高野線河内長野駅付近で合流して一本になり、紀見峠を越えて高野山に向かう。
 中世の頃、高野山参詣は伊勢神宮参詣と並んで、庶民の信仰とレジャーが合体した行事として盛んになり、高野街道沿道は多くの旅人で賑わい、町並みも発展したようである。
 今日、高野街道沿いの町並みは、都市化によって昔の面影はほとんど残されていないが、ここ三日市宿は、つし
2階建てで塗屋造りの町家が街道の両側に連続してよく保存されており、新しい建物も情緒ある町並み景観に配慮した建て方がされているようで、古い町並みを生かした閑静な住宅地として整備されつつあるようだ。
@八木家住宅 A高岸家住宅 B高野街道 C三日市交番
 
 ←画像をクリック  
  @八木家住宅 江戸時代中期に建てられた町家。八木家は木綿問屋や酒屋を営み「東家屋(とうげや)」という屋号で呼ばれていたそうである。袖蔵を備えた間口の広いつし二階建ての木造建築で、主屋・土蔵とも、国の有形文化財に登録されている。
A高岸家住宅 右手前の建物が元旅籠だった高岸家住宅。その奥が醤油屋兼質屋だった奥川家住宅。このあたり、緩くカーブした高野街道沿いの両側に、豪壮な構えの塗屋造り商家が建ち並んでいて、往時の賑わいぶりを彷彿とさせてくれる貴重な町並みである。

B高野街道 三日市宿を貫いている高野街道の両側には、古い町並みに馴染んだ閑静なお屋敷街が続いている。どの家もよく手入れされているようで美しい外観を保っており、また自動車交通量も少なく、周りの景観を楽しみながらゆったりとした気分で散策できる。

C三日市交番 三日市宿を貫いている高野街道の両側には、古い町並みに馴染んだ閑静なお屋敷街が続いている。どの家もよく手入れされているようで美しい外観を保っており、また自動車交通量も少なく、周りの景観を楽しみながらゆったりとした気分で散策できる。