令和3年6月号(第131号)     トップページ  年月別リスト 地域別リスト
河内長野
KAWACHINAGANO
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河内長野市観光協会HP



 河内といえばまず思い浮かべるのは、南北朝時代に、南朝方を支えて大活躍した楠木正成だろう。河内長野は彼の強い影響下にあった地域であり、その足跡や言い伝えなどが数多く残されている。

 また京都から高野山へと向かう東高野街道と、大阪・堺方面から高野山へと向かう西高野街道とが合流する町でもあっため、高野山参詣の入り口の町として賑わった。「女人高野」と呼ばれている天野山金剛寺も近くにあり、宗教的・文化的なかおりの漂う町だったようだ。

 現在の河内長野は、大阪の都心から電車でわずか
30分ほどの近さで、地形も緑豊かな丘陵地であることから、大阪市内に通勤するサラリーマンにとって格好のベッドタウンとして発展し、整備されてきた。

 これら新興住宅街の中に埋もれてしまいかねない中世から近世までの歴史遺産を、個性的な町づくりに生かそうと「中世と出逢えるまち」と銘打って、住む人々にも訪れる人々にも味わい深い町となるべく整備が進められている。
@吉年邸 A酒蔵通り B西條合資会社 C三佳屋  
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  @吉年邸 吉年家は江戸時代から鋳物師(いもじ)職を引き継いできた家柄で、現在も河内長野市に本社を置いて鋳鉄製品の製造販売を行っている。鋳物師にちなんで敷地の正面角に、銅鐸と梵鐘をイメージした「高野街道」のモニュメントがある。背後に茂る楠木の巨木は樹齢推定500年だそうだ。
A酒蔵通り 高野街道のうち、南海高野線河内長野駅前から、西条酒造あたりまでの2300mの区間を「酒蔵通り」と名付けて町並み景観の整備が進められている。舗道はカラー舗装され、通りに面する住宅の門や玄関先には、高野街道の行燈と、新酒の完成を告げる杉玉が飾られている。

B西條合資会社 江戸時代から続く酒造店。右が現店舗で、酒樽のある左が旧店舗。旧店舗の主屋と土蔵は国の登録有形文化財に登録されている。高野街道を挟んで現・旧店舗の建物が建ち並んでいるため、この部分の通りを「酒蔵通り」と名付けて町並み整備が進められている。

C三佳屋(みよしや) 西條酒造の隣にある料理店で古民家を活用して営業している。古民家は昔の商家らしく、広い間口の主屋に袖蔵を備えた堂々とした建物である。酒蔵通りには沿道に飲食店がないので、地元の人や観光客に親しく利用されているようだ。