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たのしい 人名歴史年表
              



姓       名 生国 解                           説
      
マキャベリ イタリア 政治思想家。政治を宗教・倫理から独立した存在として、純粋に力関係において捉え、近代政治学の先駆者となった。政治思想書「君主論」が有名 W
マザー・テレサ マケドニア カトリック修道女。「神の愛の宣教者会」を設立。インドのカルカッタで、「死を待つ貧しい人の家」を開き、病める人々や貧しい人々への奉仕を行う。ノーベル平和賞受賞 W
マゼラン ポルトガル 航海者。1519年スペイン王カルロス1世の援助を得て西回りで航海し南アメリカ南端の海峡を発見し、自ら命名した。フィリピン諸島に到達したがマクタン島で原住民と戦い死亡 W
マチス(アンリ) フランス マティス W
松尾芭蕉 日本 俳人。伊賀上野の生まれ。京都で北村季吟に師事。のち江戸に下り蕉風を確立し、俳諧を和歌と対等の芸術的地位に引き上げた。俳文・紀行文でも著名。「奥の細道」「笈の小文」 W
マティス(アンリ) フランス 画家。後期印象派の1人として出発。フォービスム(野獣派)運動を積極的に展開。大胆な線の運用、色彩の装飾化などによって20世紀絵画を代表する独自の芸術を築き上げた W
マネ フランス 画家。明るい色彩感と都会的感覚の絵を描き、印象派誕生のきっかけを作った。代表作「草の上の食事」「オランピア」
W
マホメッド アラビア イスラム教の創始者。メッカの貧家に生まれ6歳で孤児となり祖父や伯父に養われ隊商に従事。40歳ごろ天啓によりイスラム教を開きイスラム共同体の基礎を築いた。ムハンマド W
間宮林蔵 日本 探検家。常陸の生まれ。幕府の蝦夷地御用雇となり蝦夷地に勤務、伊能忠敬に測量を学ぶ。千島・西蝦夷・樺太を探検。間宮海峡を発見し、樺太(サハリン)が島であることを実証 W
マラトンの戦い ギリシャのマラトンで、アテナイ軍とアケメネス朝ペルシャの遠征軍が激突、ギリシャ側が勝利を収めた戦い。兵士エウクレスがアテナイまで走り「我ら勝てり」。マラソンの語源 W
マルクス ドイツ 経済学者・哲学者。弁証法的唯物論による科学的社会主義の創始者。エンゲルスと共に 「共産党宣言」を発表。晩年はロンドンで貧困のうちに研究と実践活動を続けた。 「資本論」 W
マルクス・アウレリウス ローマ 五賢帝の最後の人。寛大な統治政策を行なったが、異民族の侵入・ペストの流行に苦慮、ローマが乱れ始める。「自省録」を著したが辺境諸族の討伐の陣中に没した。アウレリウス W
マルコポーロ イタリア 旅行家。1271 年中央アジアを経て元に至り、フビライに仕え各地を旅行。ジェノバとの戦いで捕虜となり、獄中で「東方見聞録」を口述、日本を黄金の国ジパングとして紹介 W
マルチン・ルター ドイツ 宗教改革者。1517 年、教皇の免罪符販売に反対して、95か条の提題を発表し、宗教改革運動の発端をつくった。破門されたが屈せず聖書を独訳した。ルーテル W
      
ミケランジェロ イタリア ルネサンスの彫刻家・画家・建築家。正確な描写に基づく激しい肉体表現にすぐれる。彫刻「ダビデ」、システィナ礼拝堂の天井画「創世記」壁画「最後の審判」など W
水戸黄門(みとこうもん) 日本 徳川光圀 W
源高明 日本 醍醐天皇の皇子。安和の変に連座、藤原氏の陰謀で大宰権帥として配流される。その後藤原北家の勢力が不動となっていく。朝儀に通じ、有職故実書「西宮記」がある W
源満仲 D 日本 武将。経基の子、頼光・頼信の父。安和の変で、源氏発展のきっかけをつかんだ。摂津多田荘に住み多くの郎等を養い、多田源氏を称したので多田満仲ともいう。摂津源氏の祖 W
源頼光 D 日本 平安中期の武将。満仲の長男、頼信の兄。頼信と共に後の源氏の興隆の礎を築く。射術にすぐれ、大江山酒呑童子退治伝説の主人公とされる。部下に頼光四天王がある W
宮本武蔵 日本 剣豪。美作の人という。諸国を修業して二刀流を創始し、吉岡清十郎・佐々木小次郎を破ったことで名高い。水墨画をよくした。水墨画「枯木鳴鵙図」、著書に「五輪書」 W
ミュラー(ポール) スイス 化学者。植物の害虫対策を研究。1939年、すでに発見されていたDDTを新たに合成。その殺虫効果を発見した
ミレー フランス 画家。農民と共に生活し農民の働く姿や生活を敬愛と詩的情感をこめて描いた。「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」など W
        
ムッソリーニ イタリア 政治家。第一次大戦後ファシスト党を結成。ローマ進軍による政権獲得後、首相などの要職を独占。ナチスと結び、第二次大戦に参戦。失脚後パルチザンに処刑された W
ムハンマド アラビア イスラム教の創始者。メッカの貧家に生まれ6歳で孤児となり祖父や伯父に養われ隊商に従事。40歳ごろ天啓によりイスラム教を開きイスラム共同体の基礎を築いた。モハメッド W
村上天皇 日本 醍醐天皇第一四皇子。摂政関白を置かず親政をしき、後世「天暦の治」と称された。しかし実際には政治の実権は依然摂関家にあり、親政は表象にすぎなかった。「後撰和歌集」編纂 W
紫式部 日本 女流作家・歌人。藤原為時の娘。才媛のほまれ高く、一条天皇中宮彰子に仕え、「白氏文集」を進講。藤原道長や藤原公任らとの交流もあった。「源氏物語」を著す W
      
メネス エジプト 上下エジプトを統一した第一王朝初代の伝説的始祖。即ち最初のファラオとされる。ナルメルとも呼ばれるが諸説がある W
メンデルスゾーン ドイツ 作曲家。作風は初期ロマン派の中では古典派に近い。17歳の時、「真夏の夜の夢」を作曲し、バッハの「マタイ受難曲」を演奏して人々に再認識させた。「バイオリン協奏曲」 W
          
モア(トマス) イギリス 人文学者・政治家。ヘンリー八世に重用され大法官となるが、英国教会の分離を認めず辞任。反逆罪に問われ刑死。人文主義の立場から「ユートピア」を著し、イギリス社会を批判した W
孟子  中国 戦国時代の魯の思想家。孔子の思想を継承して「孟子」を残す。故郷で門人の教育にあたった。仁や孝行を重んずるとともに、富国強兵は覇道であるとして反対した W
孟嘗君 中国 戦国時代の斉の王族。各地の有為の士を食客として数千人も養い、勢力を振るった。戦国末の四君の一人。「鶏鳴狗盗」で有名 W
モーセ イスラエル ヘブライ人の伝説的指導者。出エジプトを指導。シナイ山で「十戒」を授かるモーゼ W
モーツァルト オーストリア 作曲家。ウィーン古典派に属し古典音楽の神髄を発揮、生涯に六〇〇曲以上を作曲しドイツ歌劇の道を開く。代表作歌劇「フィガロの結婚」「魔笛」交響曲「ジュピター」他多数 W
モーパッサン フランス 作家。自然主義の代表作家の一人。多くの作品を残し、人生の諸相をあるがままに、簡潔、的確に描いた。短編「脂肪の塊」、長編「女の一生」 W
モナリザ イタリア レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵。この絵のモデルはフランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻であるエリザベッタ・デル・ジョコンダであるとの説があるが不明である W
モネ フランス 画家。光と色の外光描写に特徴的な画風を生み出した印象派の代表的画家。その作品「印象・日の出」から印象派の呼称が生まれた。連作「睡蓮」「日傘を差す女」 W
モンテーニュ フランス 思想家。人間観察と己れの考察を書きついだ「随想録」により、ルネサンス期最大のモラリストとして批評的懐疑主義、理性的内省、寛容の精神を示した。モラリスト文学の先駆 W
文武天皇 日本 天武持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。母は元明天皇藤原不比等らに命じて大宝律令を制定した。「万葉集」「懐風藻」に入集 W
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