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たのしい 人名歴史年表
              


姓       名 生国 解                           説 W
      
大化の改新 D 日本 中大兄皇子藤原鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた古代政治史上の一大改革。蘇我蝦夷入鹿父子を滅ぼし孝徳天皇を即位させ、自らは皇太子として中央集権的支配の実現へ進む W
太公望  中国 周の軍師。周の文王が、渭水で釣りをしていた呂尚を見て、「吾が太公(祖父・古公亶父)、子を望むこと久し」と言ったという「史記(斉世家)」の故事から。 呂尚の尊称 W
太宗(李世民)  中国 唐の第二代皇帝。高祖李淵第二子。父と挙兵、中国を統一。三省六部・租庸調制・府兵制などを整え「貞観の治」を現出。東突厥をはじめ周辺を征服したが、高句麗遠征には失敗した W
高村光太郎 日本 詩人・彫刻家。彫刻を学びロダンの影響を受ける。また、早くから詩を発表。詩集「道程」「典型」「智恵子抄」、彫刻に「手」など。なお、妻智恵子も画家として知られる W
タキトゥス ローマ 古代ローマ最大の歴史家とされ、史料としての評価は高い。またその著述の文学的評価も高くラテン文学の白銀期の作家の一人。代表作「ゲルマニア」のほか「歴史」「年代記」など W
武田信玄(晴信) 日本 父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃を平定。越後の上杉謙信川中島で激戦を展開した。1572 年、西上の途次、三方ヶ原徳川家康を破ったが、翌年三河の陣中で病没 W
武内宿禰 日本 古事記・日本書紀に記された人物。大和朝廷の初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に244年仕えたという。複数の人物とも言われる。蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖とされる W
橘逸勢 日本 官僚・書家。804 年最澄空海らとともに入唐。承和の変に加わったとされ、伊豆に流される途中に遠江国で客死。隷書を得意とし嵯峨天皇、空海と共に三筆の一人に数えられる W
タレス ギリシャ 哲学者。ギリシャ科学・哲学の祖。万物の根源を水とした。また、幾何学・天文学・航海術などに通じ最初の宇宙論を論じ、日食を予言した。 W
      
チェーホフ ロシア 作家。短編の名手、近代演劇の完成者として知られる。帝政末期のロシアの現実を絶望と希望の微妙なニュアンスをもって描いた。「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」 W
チャイコフスキー ロシア 作曲家。ドイツ・ロマン楽派の流れをくむ西欧的なものとスラブ的国民音楽とが融合した憂愁・甘美な曲が多い。「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」「悲愴」他 W
チャンドラグプタ2世 インド グプタ朝第三代の王。西部インドに版図を広げ、文芸も奨励し、グプタ朝の最盛期を現出した。中国名、超日王 W
張儀  中国 戦国時代の縦横家。秦の宰相となり、韓・魏・趙などの大国の王に「連衡」策を説いて蘇秦の「合従」策を破っ W
張騫  中国 旅行家。匈奴挟撃のため武帝により大月氏国に派遣され、途中10数年匈奴に抑留された。その見聞により西域事情が判明し東西交易が活発化した。その後も西域との交流に活躍 W
チョーサー イギリス 詩人。近代英詩を創始、「英詩の父」と称される。鋭い人間観察を特色とする独自の文学世界を確立。また、ロンドン英語を文学的標準語の地位につけた。代表作「カンタベリー物語」 W
チンギス・ハン モンゴル モンゴル帝国の創始者。モンゴルを統一し遊牧領主制を確立。ホラズムから南ロシアにまで遠征、征服地を4人の息子に分封し、ユーラシアにまたがる一大帝国を築いた。成吉思汗 W
      
ツキディデス ギリシャ 歴史家。アテネの人。ペロポネソス戦争を客観的・実証的に記述した「歴史(戦史)」8巻を著わす。世界最初の科学的歴史叙述と言われる W
ツタンカーメン エジプト 少年王。その墓が1922年テーベ近くの「王家の谷」から発見され古代史研究の有力な史料となっている。黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品が完全な形で出土した W
ツルゲーネフ ロシア 作家。農奴制や余計者、女性の自立などの社会問題をすぐれた詩人的感性でとらえ、多くの長編を残す。「猟人日記」「ルージン」「貴族の巣」「初恋」「その前夜」「父と子」「処女地」 W
      
テオドシウス ローマ ローマ帝国最後の統一を果たした。392年キリスト教を国教化。引退時に帝国を二分して二人の息子に譲り、ローマ帝国の東西分裂を確定づけた。以後西ローマは混乱没落していく W
テレサ マケドニア マザー・テレサ W
天智天皇 D 日本 中大兄皇子の時、645年(大化1)藤原鎌足と図って蘇我氏を滅ぼし、皇太子として様々な改新を行った(大化の改新)。即位後都を大津に移し、近江令を制定 W
天武天皇 日本 大海人皇子。天智天皇の弟。672 年壬申の乱で大友皇子を破り、飛鳥浄御原で即位。国史の撰修に着手、八色姓を制定し律令体制を推進した W
        
陶淵明(陶潜)  中国 東晋の詩人。役人生活の束縛を嫌って「帰去来辞」を賦して辞任し、故郷に帰って酒と菊を愛し自適の生活を送った。その詩文は平淡で自然な表現を特徴とし、日本でも愛好された W
湯王  中国 殷王朝の創始者。成湯、天乙ともいう。名臣、伊尹らとともに夏の桀王を討って殷王朝を建国したという。後世、儒教では聖人とされている W
董仲舒  中国 前漢の儒学者。武帝のとき、五経博士を置き儒教を統一国家を支える原理とすべきことを建言。後世の儒学隆盛のもとをつくった W
トーマス・エジソン アメリカ 発明家。新聞売り子から電信技手となり、1876年に電話機を完成。その後蓄音機、炭素線電球、X線透視装置、映画など生涯に1300以上の特許を得て発明王といわれる W
徳川家康 日本 三河の生まれ。今川義元織田信長と結び東海に勢力を拡大、一時は豊臣秀吉に従い秀吉の死後は関が原の戦いで勝利し、征夷大将軍となり江戸幕府を開いた W
徳川光圀 日本 水戸藩主。中納言の唐名黄門により、世に水戸黄門とも。儒学を奨励、俊才を招き、「大日本史」を編纂した。希代の名君と賞される。「水戸黄門漫遊記」助さん格さん W
舎人親王 日本 天武天皇の皇子。母は天智天皇の皇女新田部皇女。勅により日本書紀を編纂。死去に際し太政大臣を贈られる W
杜甫  中国 盛唐の詩人。若い頃、科挙に落第し各地を放浪し、李白らと親交を結ぶ。生涯流浪の生活を送る。国を憂い民の苦しみを詠じた多数の名詩を残し、後世「詩聖」と称される W
トマス・アクイナス イタリア 神学者・ドミニコ会士・聖人。スコラ哲学の完成者。アリストテレスの哲学をキリスト教的に発展させ、それを哲学・神学の土台として、理性と信仰の調和を説く。「神学大全」 W
トマス・モア イギリス 人文学者・政治家。ヘンリー八世に重用され大法官となるが、英国教会の分離を認めず辞任。反逆罪に問われ刑死。人文主義の立場から「ユートピア」を著し、イギリス社会を批判した W
豊臣秀吉(羽柴秀吉) 日本 織田信長に仕え重用され筑前守。本能寺の変後、明智光秀を討ち、四国・九州・関東・奥羽を征して天下を統一。太閤と称した。朝鮮出兵も戦果上がらず。日吉丸、木下藤吉郎 W
トラヤヌス ローマ 第13代皇帝、五賢帝の一人。元老院と協調してローマ市の整備に努め、積極的な対外発展によってメソポタミアまで進出、在位中にローマ帝国の版図は最大となった W
止利仏師 日本 仏師。渡来人司馬達等の孫。北魏の仏像形式を取り入れながら、日本式に洗練された様式を完成。法隆寺金堂の釈迦三尊の光背には止利仏師の銘がある。鞍作止利、鞍作鳥 W
トルストイ ロシア 作家。複雑なロシア社会を描き、リアリズム文学の最高峰とされる。また人道主義の立場から社会・宗教・人生の問題について生涯煩悶を重ねた。「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」 W
トロイ戦争 ホメロスの叙事詩「イリアス」に描かれている戦争。スパルタの王妃ヘレネを奪還するため、ギリシャ軍が包囲10年目に、大きな木馬に兵を潜ませてトロイに潜入し陥落させた W
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