【人物解説のページ】 あ 行 |
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姓 名 | 生国 | 解 説 | W | |
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あ | ||||
アーサー王 | イギリス | サクソンと戦ったケルトの伝説的英雄。トーマス・マロリーの「アーサー王の死」はこの伝説の集大成。その配下の12人の円卓の騎士たちの物語とともに語り継がれる | W | |
相沢忠洋 | 日本 | 考古学者。東京生まれ。納豆などの行商をしながら独学で考古研究を続け、1949年群馬県の岩宿において旧石器時代の遺跡を発見、縄文時代以前の研究の端緒を開いた | W | |
アイスキュロス | ギリシャ | 詩人。「ギリシャ悲劇の父」。エウリピデス、ソフォクレスと共に「ギリシャの三大悲劇詩人」と称される。「縛られたプロメテウス」「アガメムノン」など七編が現存 | W | |
アインシュタイン(アルベルト) | ドイツ | 理論物理学者。ユダヤ系ドイツ人。ナチに追われて米国に帰化。相対性理論(1905年)で従来の宇宙観に根本的変革を与え現代物理学の基礎を築いた。ノーベル賞受賞 | W | |
アウグスティヌス | ローマ | 古代キリスト教最大の教父・思想家。混迷の西ローマ帝国でカトリック教義の確立に貢献。後のスコラ哲学に大きな影響を及ぼした。「告白録」「神の国」 | W | |
アウレリウス(マルクス・アントニヌス) | ローマ | 五賢帝の最後の人。寛大な統治政策を行なったが、異民族の侵入・ペストの流行に苦慮、ローマが乱れ始める。「自省録」を著したが辺境諸族の討伐の陣中に没した | W | |
赤毛のアン | カナダ | ルーシー・M・モンゴメリーの長編小説の主人公。孤児院暮らしだったアン・シャーリーが11歳でカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでのお話 | W | |
赤頭巾ちゃん | フランス | ペローの童話「赤頭巾」の主人公。少女が、母親の使いで祖母のもとへ行くが、食い殺した祖母になりすましていた狼に食べられてしまう。グリム童話にもある | W | |
アキレス | ギリシャ | ホメロスの叙事詩「イリアス」の主要人物。トロイ戦争でのギリシャ軍の勇将。不死身であったがトロイア王子パリスに唯一の弱点であるかかとを射られて死ぬ。アキレウス | W | |
アクイナス | イタリア | トマス・アクイナス | W | |
アクティウムの海戦 | ― | ギリシャ西北海岸沖でオクタヴィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合艦隊を撃破した。それによって彼はローマ帝国の覇権を握り100年の内乱も終わりを告げた | ― | |
明智光秀 | 日本 | 近江坂本城主。織田信長に重用されたが1582年京都本能寺に信長を襲い自害させた。同年山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、逃走中農民に竹槍で殺された | W | |
足利義昭 D | 日本 | 室町幕府一五代将軍。1568 年、織田信長に擁されて将軍となる。のち不和を生じ信長を討とうとしたが、1573年京都を追われ、室町幕府は滅亡した | W | |
アショーカ王 | インド | マガダ国の王で紀元前3世紀頃、初めてインドを統一。仏教に帰依し、法(ダルマ)を統治の理想とし、それを各地の磨崖碑や石柱碑に刻んだ | W | |
飛鳥美人 | 日本 | 奈良県明日香村、高松塚古墳の壁画に描かれた女子群像。1972年網干善教氏が発掘。文化庁が直ちに保全策を講じなかったため劣化が生じている | W | |
阿直岐 | 中国 | 百済からの帰化人。応神天皇の時に、百済王の使者として来日。経典に通じ、太子菟道稚郎子に教えた。史 (ふびと) の祖とされる | W | |
阿知使主 | 中国 | 後漢の霊帝の曾孫とされる渡来人。東漢氏(やまとのあやうじ)の祖とされる。応神天皇の時、多くの民を率いて渡来し、のち呉国に遣わされ、織女・縫女を連れ帰ったという | ― | |
渥美格之進(かくさん) | 日本 | 水戸黄門漫遊記の黄門の部下。儒学者安積澹泊(あさかたんぱく―水戸藩士。「大日本史」編纂に顕著な功績があった)がモデルとされる。助さんの相棒 | W |
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阿弖流為(あてるい) | 日本 | 蝦夷の族長。北上川流域を支配。789 年征東大将軍紀古佐美軍を破る。802 年征夷大将軍坂上田村麻呂に降る。田村麻呂の助命にもかかわらず河内国杜山で斬殺された | W | |
阿倍仲麻呂 | 日本 | 遣唐使。717 年、渡唐。玄宗に寵遇され、李白・王維らと交友があった。海難のために帰国が果たせず、在唐五十余年、同地に没す。「天の原ふりさけ見れば春日なる…」 | W | |
阿倍比羅夫 | 日本 | 古代の水軍の将。蝦夷・粛慎を討ち、大化改新後の蝦夷経営に従事。中大兄皇子の命により百済救援の水軍の将として半島に向かったが白村江の戦いで大敗した | W | |
天照大神 | 日本 | 古事記・日本書紀に記された女神。伊邪那岐命・伊邪那美命の子。皇室の祖神。伊勢の皇大神宮に主神としてまつられる | W | |
アムンゼン | ノルウェー | 探検家。1911 年イギリスのスコット隊に先駆け、初の南極点到達に成功。イタリアのノビレ探検隊の救援に北極へ赴き、消息を絶つ | W | |
アメンホテプ四世 | エジプト | 古代エジプト第18王朝の王。太陽神アトンを唯一神とする宗教改革を行い、自らもイクナートンと称した。今のテル・エル・アマルナに遷都、アマルナ芸術を育てた | W | |
アラジン | ? | 「千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)」中の一編「アラジンと不思議なランプ」の主人公。中国生まれの貧しい少年で、魔法のランプの中に住む大男の力を得て幸福になる | W | |
アリス | イギリス | ルイス・キャロル(チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)の童話の主人公。兎の穴から奇妙な国に落ちた少女アリスがさまざまな不思議な出来事を経験する。「不思議の国の―」 | W | |
アリストテレス | ギリシャ | 哲学者。プラトンの弟子。アテネ郊外に学園リュケイオンを創設。その学徒は逍遥学派と呼ばれる。中世スコラ哲学をはじめ、後世の学問への影響は大きい | W | |
アリヤバーター | インド | 数学者・天文学者。その著「アリヤバーティア」で円周率を3.1416としている。また、地球の自転を唱えた | ― | |
在原業平 | 日本 | 歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。歌風は情熱的。「伊勢物語」の主人公とされる。美女小野小町に対する美男の代表として後世の演劇・文芸類でもてはやされた | W | |
アルキメデス | ギリシャ | 数学者・物理学者・技術者。てこの原理やアルキメデスの原理の発見とともに、灌漑用の揚水機など多数の機械を考案。円周率の計算でも知られる | W | |
アルセーヌ・ルパン | フランス | モーリス・ルブランが書いた推理小説シリーズの主人公。当初は神出鬼没の怪盗であったが、後半は冒険家や刑事・探偵にもなる。怪盗ルパン、ルパン | W | |
アレクサンドロス | マケドニア | マケドニアの国王 。遠征軍を率いてペルシャを滅ぼし、インドのパンジャブ地方まで進出。ギリシャと東洋を含む大帝国を建設した。アレキサンダー大王 | W | |
安史の乱 | 中国 | 唐の中期、安禄山父子・史思明父子が起こした反乱。玄宗を退位させたが、ウイグルの援助を得た唐により鎮圧された。こののち、節度使による地方分権化が進んだ | W | |
アンデルセン(ハンス・クリスチャン) | デンマーク | 童話作家。「人魚姫」「親指姫」「醜いアヒルの子」など約150編の童話のほか、小説「即興詩人」、連作童話「絵のない絵本」、自伝「わが生涯の物語」などの著作がある | W | |
アントニウス | ローマ | 政治家。カエサルの死後オクタビアヌス、レピドゥスと第2回三頭政治を結成。のち、クレオパトラと結びオクタビアヌスと対立、アクチウムの海戦で敗れエジプトで自殺した | W | |
安和の変 | 日本 | 藤原氏が、左大臣源高明・橘繁延らに皇太子廃立の企てありとして、左遷・流罪に処した政変。源満仲の密告に乗じた他氏排斥の謀略で、以後藤原氏北家の全盛期を迎える | W | |
安禄山 | 中国 | 武将。ソグド系出身。玄宗の時、平盧・范陽・河東の三節度使を兼ねて大兵力を擁し反乱(安史の乱)を起こす。翌年、洛陽で即位、皇帝を称したが、次男慶緒に殺された | W | |
い | ||||
イエス・キリスト | ユダヤ | ベツレヘムで生まれ、ガリラヤのナザレで育つ。ユダヤ教を批判しエルサレムで十字架の刑に処せられた。イエスは救世主(キリスト)とみなされキリスト教会が成立した | W | |
伊邪那岐命 | 日本 | 古事記・日本書紀に記された日本を作った男の神様。天照大神 ・素戔嗚尊らの父 | W | |
伊邪那美命 | 日本 | 古事記・日本書紀に記された日本を作った女の神様。天照大神 ・素戔嗚尊らの母 | W | |
一休宗純 | 日本 | 禅僧。後小松天皇の落胤といわれる。京都大徳寺住持。貴族的・禁欲的禅に対し、在家的・民衆的な禅を説いた。詩・狂歌・書画に長じ、また数々の奇行(頓知話)で有名 | W | |
一茶(小林) | 日本 | 俳人。信濃国柏原生まれ。15歳で江戸に出、俳諧を葛飾派の二六庵竹阿に学ぶ。方言・俗語を交え、不幸な境遇を反映して屈折のある異色な作風を示した。著「おらが春」 | W | |
石川五右衛門 | 日本 | 安土桃山時代の大泥棒。豊臣秀吉に捕らえられ1594年8月24日子一郎とともに釜煎 りの刑に処せられた。歌舞伎『楼門五三桐』の「絶景かな、絶景かな・・・」が有名 | W | |
出雲阿国 | 日本 | 阿国。 | W | |
イソップ | ギリシャ | 「イソップ物語」の作者とされる伝説的な古代ギリシャの寓話作家。奴隷の身分であったという。「ウサギとカメ」「北風と太陽」「アリとキリギリス」など。アイソポス | W | |
一遍 | 日本 | 時宗の開祖。延暦寺で天台宗を学び太宰府で法然の孫弟子聖達を師とする。念仏札を配る諸国遊行に出て、各地で念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」を勧めた | W | |
井真成 | 日本 | 遣唐使。2004年10月中国西安市郊外で発掘された墓誌から存在が判明。717年阿倍仲麻呂、吉備真備と共に渡唐。なお733年に渡島した短期留学説との二説がある | W | |
井原西鶴 | 日本 | 浮世草子・浄瑠璃作者・俳人。大坂の人。俳諧では奔放な句を詠み、浮世草子作者として好色物・武家物・町人物などに多くの傑作を残した。「好色一代男」「日本永代蔵」 | W | |
イプセン | ノルウェー | 劇作家。「近代劇の祖」と呼ばれる。理想主義の立場から社会・思想問題と積極的にとりくんだ名作が多い。「人形の家」「幽霊」「民衆の敵」「野鴨」 | W | |
イブン・バットゥータ | モロッコ | 旅行家。イスラム教徒。1325年メッカ巡礼に出発し、30年間アフリカ・西アジア・中央アジア・インド・中国・スペインなどを旅行。口述筆記による「三大陸周遊記」 | W | |
イブン・ハルドゥーン | チュニス | 歴史家。その著「イバルの書」は記念碑的なアラブ民族史。その序章の「歴史序説」の中で、独自の歴史哲学(循環的な歴史観)を展開した | W | |
今川義元 | 日本 | 戦国時代の大名。駿河・遠江・三河を治め、京都進出を謀ったが、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲を受け、討ち死にした | W | |
岩倉具視 | 日本 | 公卿・政治家。初め公武合体に努め、討幕運動に参加。維新後右大臣となり、特命全権大使として欧米視察。帰国後征韓派を退け、内治優先・天皇制確立の政策を遂行 | W | |
う | ||||
ヴァスコ・ダ・ガマ(バスコ) | ポルトガル | 航海者。1497 年からの航海でフリカ大陸南端の喜望峰を回り、大陸東岸を経て、翌年インドのカリカットに達する。1524 年インド総督に任ぜられるが同年死亡。ガマ | W | |
ウィリアム・テル | スイス | オーストリアの圧制に反抗したスイスの伝説的英雄。弓の名手で、息子の頭にのせたリンゴを射抜いて悪代官ゲスラーの鼻をあかす。シラーの戯曲、ロッシーニのオペラ | W | |
ヴェスプッチ(アメリゴ/アメリクス) | イタリア | 航海者・商人。南アメリカの北岸(ベネズエラ)を航海しそれを記録した書簡集を出版した。ヴァルトゼーミュラーがそれを紹介、彼のラテン名にちなみアメリカと命名した | W | |
ヴェルディ | イタリア | 作曲家。それまでの歌手中心を変えて管弦楽の劇的効果に重点をおく手法で多くの傑作を発表、イタリア歌劇に黄金時代をもたらした。「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」 | W | |
上杉謙信 | 日本 | 越後の春日山城で北陸地方一帯を領有。甲斐の武田信玄、小田原の北条氏康らと和戦を繰り広げた。、特に武田信玄との川中島の戦いは有名 | W | |
ウォーカー(ジョン) | イギリス | 薬剤師。初め医学を志したが、薬品に関心を深め薬剤師となる。1827年塩素酸カリウムと硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを作った | W | |
牛若丸(未) | 日本 | 源義経の幼名 | W | |
え | ||||
衛青 | 中国 | 前漢の将軍。武帝の妃の弟。匈奴との戦いに功をあげ、甥の霍去病とともに大司馬に任ぜられた | W | |
栄西 | 日本 | 臨済宗の開祖。比叡山で天台の教義を学び二度入宋して臨済宗を伝えた。鎌倉に寿福寺を、京に建仁寺を創建して天台・真言・禅の道場とし禅宗の拡大に努めた | W | |
エイブラハム・リンカーン | アメリカ | ケンタッキーの貧農に生まれ独学で弁護士となる。のち第16代大統領。南北戦争で北軍を指導、63 年に奴隷解放宣言を発布、戦勝直後にフォード劇場で暗殺された | W | |
エウクレイデス | ギリシャ | 数学者。「 幾何学原本」13巻を著してギリシャ数学を集大成し、幾何学を証明的学問に仕上げた。ユークリッド学派の創始者。ユークリッド | W | |
エウリピデス | ギリシャ | 詩人。アイスキュロス、ソフォクレスと共に「ギリシャの三大悲劇詩人」と称される。そのすぐれた心理描写は近代的で後世への影響も大きい。 「メディア」 「エレクトラ」 | W | |
エジソン | アメリカ | 発明家。新聞売り子から電信技手となり、1876年に電話機を完成。その後蓄音機、炭素線電球、X線透視装置、映画など生涯に1300以上の特許を得て発明王といわれる | W | |
エドワード・フィッツジェラルド | イギリス | 詩人・翻訳家。ウマル・ハイヤームの「ルバイヤート」の訳で名高い | ― | |
エラトステネス | ギリシャ | 数学・天文・地理学者。地球を球体と考え、二地点の太陽高度の差と距離とから地球の周囲の長さを算出。「エラトステネスの篩(素数の判定法)」で知られる | W | |
延暦寺焼き討ち | 日本 | 織田信長が浅井・浅倉氏と共に僧兵を養い敵対する延暦寺を全山焼き払い、古代寺社勢力の最大拠点に大打撃を与えた | W | |
お | ||||
王維 | 中国 | 唐の詩人・画家。仏教に帰依し、詩仏と称される。詩風は陶淵明に似、自然を歌詠した五言絶句にすぐれる。また、山水画を得意とし、後世、文人画(南宗画)の祖とされる | W | |
王羲之 | 中国 | 東晋の書家。隷書をよくし、楷・行・草の三体を芸術的な書体に完成、「書聖」と称された。その書は日本には奈良時代に伝わり、上代様の成立に大きな影響を与えた | W | |
大海人皇子(おおあまのおうじ) | 日本 | 天武天皇。天智天皇の弟 | W | |
大国主命 | 日本 | 古事記・日本書紀に記された出雲神話の主神。素戔嗚尊の子孫。少彦名神らとともに、国土を造って経営し、皇室の祖先に国を譲ったとされる | W | |
応神天皇 | 日本 |
第15代の天皇。4世紀末から5世紀初頭にかけて実在性が認められる最も古い天皇である。大阪府羽曳野市にある仁徳天皇陵に次ぐ日本第二の大型古墳が有名 |
W | |
大友皇子 | 日本 | 天智天皇の皇子。太政大臣となり叔父大海人皇子(天武天皇)と対立。近江朝廷を作ったが壬申の乱で大海人皇子に敗れ縊死した | W | |
大伴旅人 | 日本 | 歌人。家持の父。大納言まで昇進。万葉集所収の歌は主に大宰帥在任中のもので率直な抒情的歌風で知られる。山上憶良らと筑紫歌壇を形成した | W | |
大伴家持 | 日本 | 歌人。旅人の子。越中守・中納言など地方・中央諸官を歴任。万葉歌人中479首で歌数が最も多く編者の一人とされる。繊細・優美な歌風で万葉末期を代表する歌人 | W | |
太安万侶 | 日本 | 文人。民部卿。元明天皇の勅により稗田阿礼の伝誦した神話(旧辞)・歴史(帝紀)を筆録、翌年古事記三巻を見城。日本書紀の編纂にもあたったという | W | |
王莽 | 中国 | 新の建国者。幼少の平帝の外戚として実権を握り、毒殺して国を奪い新とする。復古主義政策で重税と悪政により混乱と反抗を招き15年で滅んだ | W | |
オクタヴィアヌス | ローマ | 養父カエサルの死後アントニウス・レピドゥスとともに第2回三頭政治を組織。アクティウムの海戦でアントニウスを破り、元老院からアウグストゥスの称号を受けて皇帝となる | W | |
阿国 | 日本 | 出雲大社の巫女だったといわれ芸能団を組織して各地を歩き、1603 年京都四条河原で念仏踊りを興行し、さらに簡単な所作を加えて阿国歌舞伎に発展させた(オペラ) | W | |
桶狭間の戦い | 日本 | 尾張桶狭間の北田楽狭間で、上洛途上の25000の今川義元軍を3000の織田信長軍が奇襲して敗死させた戦い。信長の全国制覇の端緒となる | W | |
織田信長 | 日本 | 今川義元を桶狭間の戦いに破り将軍足利義昭を追放し室町幕府を滅亡させた。安土城を築いて全国統一に乗り出すが雄図半ばで明智光秀の急襲を受け、本能寺で自刃 | W | |
お茶 | ― | オランダ東インド会社が日本の平戸港からヨーロッパへ緑茶を伝えた。これがイギリスで紅茶が広まるきっかけとなった。これが後にアヘン戦争まで引き起こす元となった | W | |
オットー1世 | ドイツ | 父ハインリヒ一世の国家統一のあとを継いで、王権を拡充した。ドイツ諸侯をおさえ、イタリア経営に意を用い、ローマ教皇より初代神聖ローマ皇帝として戴冠。オットー大帝 | W | |
小野妹子 | 日本 | 推古朝の官人。607 年聖徳太子の命により第1回の遣隋使となり「日出處天子」で始まる有名な書簡を隋の皇帝に手渡し立腹させる。子孫には小野小町や小野道風など | W | |
小野小町 | 日本 | 平安前期の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。恋愛歌で知られ、古今和歌集をはじめ勅撰集に六二首が入る。絶世の美女とされ伝説も多く謡曲などの題材となった | W | |
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