寛次郎の土の世界

初期(大正時代)

 

「青磁鱔血文桃注」

1922年(32歳)

 

初期の作品は中国古陶磁を範とした、技巧的で、華麗なもの。この水注も、桃という中国で尊ばれる果物を題材に、完成度の高い作品となっています。

 

 

 

「三彩鳥天使水注」

1923年(33歳)

 

釉薬は中国唐の三彩に倣っていますが、題材は鳥に乗る天使という西洋的なもの。

天使の背中の入れ物から水を入れ、鳥の口から水が出てきます。

 

 

中期(昭和初期〜昭和20年)

 

「辰砂刷毛目扁壷」

1937年(47歳)

 

 初期から中期へは意識的に転換。それまでの技巧的な表現から、土味のある、使うことを意識した作品となります。また、精神的な表れとして、それまで作品に入れていた銘を、一切入れなくなります。

 この赤い釉薬は、寛次郎が初期から晩年に至るまで愛しつづけた「辰砂(しんしゃ)」という釉。

 

 

 

 

「白地草花絵扁壷」

1939(47歳)

 

寛次郎の代表作のように取りあげられることの多い作品です。いわゆる、賞与や名誉といったことに全く興味のなかった寛次郎ですが、この作品と同型のものを寛次郎の友人がミラノのトリエンナーレに出品。本人が知らぬ間にグランプリを受賞しました。寛次郎は「私個人がもらったものではなく、作品がもらったものです。」と語りました。

 

         

 

後期(昭和20年〜41年)

 

 

「呉州筒描彩釉扁壷」

1953年(63歳)

 

戦後は、使える使えないの枠をも飛び越え、自由で、エネルギッシュな作風となります。

この作品は、私の大好きな作品の一つで、宇宙人の顔のように感じます。(実際に見たことはないのですが)。

寛次郎の陶器はカラフルで、バラエティに富んでいることも特徴の一つです。

 

 

 

 

「三色打薬扁壷」

1962年(72歳)

 

後期は、特に「造形」に心を奪われていたようです。シンプルでありながら不思議な造形のものをたくさん残しています。この作品も、技法としては、筆にたっぷりとふくませた釉薬を打ちつけただけですが、造形とともに、不思議な力強さがあります。地球内部のような原始的なものを感じます。

初期の作風が30歳代で、そしてこの作品がなんと72歳で、というところにおもしろさを感じます。肉体は老いても精神は老いず、というところでしょうか。

 

 

トップへ