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この詩編も103編と同じように、初めと終りに「わたしの魂よ、主をたたえよ」という促しの言葉があります。詩編103は主の御計らいを覚えればこそ、主をたたえよと促されれていたのに対して、この104編では、神の創造の御業を覚えて、主をほめたたえよと促されています。
特に注目したいことが二つあります。ひとつは、10〜23節の内、14節において「家畜」に言及されていることです。家畜は飼い主の適切な管理の許で、充分な餌や生息のための施設を整えられて、生きることになります。他方、その家畜と対比されるように、種々雑多な野生動物に言及しています。「野の獣」「野ろば」(11)「空の鳥」(12)「コウノトリ」(17)「野山羊」「岩狸」(18)「若獅子」(21)などです。彼らは、家畜のように人間の世話を受けることがないのに、きちんと生きているのです。彼らもまた神に創造されただけではなく、神の御手によって支えられているのです。主イエスが「空の鳥をよく見なさい」(マタイ6:26)と仰せになって示そうとしたのと同じことが、ここでも指摘されていると言って良いでしょう。そのように創造者なる神はいっさいを造られただけではなく、統べ治め給うのでもあります。
もう一点は、混沌のシンボル、サタンの使いと思われていた海の怪獣「レビアタン」に言及されている点です(26)。それも、神の支配下にあるのです。ということは、喜ばしくないこと、嫌なこと、辛いこと等が及んだとしても、わたしたちはそこでもなお、主なる神の御手の内に居るのです。そのことを覚えればこそ「主が御自分の業を喜び祝われるように」(31)、わたしたちも「わが魂よ、主をたたえよ」と言い聞かせて、主とその御業を賛美してゆくのです。
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