「西暦の始まった最初の数世紀にあっては、教会は神を『不在地主』のようにみなしがちであった」(ナイト)と言っている人がいます。それを裏付けるようにUペトロ3:4はこう言います。「父たちが死んでこの方、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか」。ここでは、「西暦の始まった最初の数世紀」だけではありません。「天地創造の初めから」、世の中のことは何一つ変わっていないと言っているのです。その分、主なる神は少しも働き給うてはいないということです。そのような生ける主への不信が教会の中、キリスト者の間にもあったのです。それは、或いは今でも同じかもしれません。大っぴらに口にはしませんが、心の中でひそかにそのように思っている人々がいないではないかもしれません。
この詩編は、そのことを真っ向から否定します。後半の6〜14節では、主なる神こそ天地を創造し給うだけではなくて、その被造物を恵みの御手をもって支えてくださっていることが歌われています。何よりも、わたしたち人間に対して、主は恵みをもって関わってくださっているのです。わたしたちは罪の数々に圧倒され、神に背いているにも拘らず、神はわたしたちを贖ってくださっているのです(4節)。5節の「あなたに選ばれ、近づけられ/あなたの庭に宿る」という部分を、「名指しされて、神と共に歩むことができるようにされた人」と訳している人がいますが、主なる神は、御子によってわたしたちの罪を贖ってわたしたちの名を呼んで、共に歩む者としてくださっているのです。それほどの豊かな恵みの支配下にわたしたちは居るのです。だからわたしたちはいつも「あなたに向かい、賛美を捧げ」(1)るのです。
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