詩編32編は、七つある罪の悔い改めの詩編の内の一つと言われています。しかし、この詩編には、5節に「主にわたしの背きを告白しよう」という言葉がある以外は、積極的に自分の罪を懺悔、告白するような言葉は記されていません。むしろ、ここには、主なる神がわたしたちの罪を赦してくださったということが、より強く語られています。
例えば、今週の聖句に挙げた7節です。「あなたはわたしの隠れが。/苦難から守ってくださる方。/救いの喜びをもって/わたしを囲んでくださる方」と言われています。この「囲む」という字は、「不動の愛」を示す字であると言われています。神の慈しみ、神の愛は、不変であり、不動であるのです。わたしたちは直ぐ変わります。神に対する在り方も変わります。1∼2節にあるように、主なる神に背いて傲慢に生きているという罪が暴露されることになり、その咎が神のノートに記帳され、記録に残されてしまうということは、多々あるのです。しかし、そうなっても、主なる神はその背きを赦され、罪を覆ってくださり、咎を数えることはなさらないのです。
そのような神の不動の愛、変わらざる恵みが最終的に示されたのが、キリストにおいてです。パウロは、「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れた証書を破棄し、これを十字架につけて取り除いてくださいました」(コロサイ2:13∼14)と語りましたが、そのように御子の十字架において、わたしたちの罪を示す証書にバッテンをつけて破棄し、更には破り捨てて、放棄してくださったのです。その主の不動の恵みによって生きるを得ていることを覚えて、その恵みの事実を信じ受け入れることこそが、罪の悔い改めであるのです。
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