「ひとつのことを主に願い」という言葉を読むとき、「必要なことはただ一つだけである」(ルカ10:42)、「あなたに欠けているものが一つある」(マルコ10:21)などのイエス様のお言葉を思いだします。それらの箇所でイエス様が仰せになっている「一つ」とは、さまざまな必要物の内で欠かせない一つということよりも、主なる神とわたしたちの関係が健やかであることでしょう。神との関係が敵対の関係ではなく、和解の関係であることです。そのことがわたしたちにとっては何よりも重要であり、求められるべきただひとつのことであるのです。
この詩人が求めていることも、神との健やかな関係です。「主の家に宿り…その宮で朝を迎える」ということは、神殿で一晩過ごすということではなくて、その宮に臨在したもう神との正しい関わりをもつことです。災いの中にあっても、「主はわたしの光…救い…命の砦」(1節)として臨んでくださり、「仮庵にひそませ/幕屋の奥深くに隠してくださ」り、「敵の上に高く上げさせてくださる」(5節)ということに信頼すればこそ、「主に向かって賛美の歌をうたう」(6)ことです。この詩人は、陥れようとする者、偽りの証人たちによって責められ、主に助けを願わずにおれない状態にありました(7∼12節)。しかし、その中で、「わたしの顔を尋ね求めよ」(8)、「主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ」(14)という託宣を受けたのです。実際、主の御手が差し伸べられているのです。だからこそ、主に信頼し、賛美することができたのです。
わたしたちも、何が起こっても、神が御子において変わることのない恵みの御手を差し延べていただいているのですから、その主への信頼をもてばこそ、その恵みを賜う主の御名を称えてゆくのです。
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