キリスト者は、週の初めの主の日(日曜日)に主イエス・キリストを礼拝することでもって、一週間の歩みを始めるのです。礼拝の時間は、通常では長くても90分ほどです。それは、一週間の全時間の0.9%ぐらいです。しかし、その時間がわたしたちキリスト者の信仰生活の要なのです。そのわずかな礼拝の時がないと、わたしたちの生活全体が崩れてしまうのです。土台を失った建造物のように、信仰生活が崩れるのです。だから、どのような事態になっても、わたしたちは週の初めの主の日の礼拝を守るのです。
ダビデの子ソロモンが王位に就いて初めに為したことも、上記の聖句からも分かるように、礼拝でした。神礼拝が、彼の王としての最初の仕事だったのです。歴代誌は、ダビデについては殆ど記さず、その子ソロモンについては高く評価し、またその信仰や業績についても好意的に記しています。それはソロモン自身が素晴らしい働きをしたからだけではなく、礼拝をもって一切の働きを始め、それこそが神の喜び給うことであったからです。そのことを知って、わたしたちも神礼拝を第一とする歩みをなしていくよう、聖書は促しているのです。
神礼拝で始めるということは、「何事でも願うがよい」という神の語り掛けに、ソロモンは自分の富や財宝、名誉、宿敵の命ではなく、神の民を治めるのに必要な「知恵と識見」を求めたということで分かるように、神の御心を主にするということでもあります。いつでも、何よりも神の御心に従うことを願い、主の御栄が現されることを願うのです。そこで、かえって、わたしたちに必要なものが、充分に備えられることになるのです(8∼12参照)。
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