ダビデは外敵との戦いで多くの血を流した(歴代誌上22:8)が、ソロモンは「イスラエルに平和と静けさを与える」(22:9)者なので、平和の主であり平安と調和を与える神を崇める神殿建設にふさわしいとされました。そのソロモンによる神殿建築に先立って、神殿礼拝のための体制について記されているのが、歴代誌上23〜27章なのです。
その体制作りには、いくつかの特徴があります。一つの事は、神殿では通常は祭司とレビ人が主になって奉仕しますが、ここではそれ以外の、言わば脇役であり、あまり注目されることがない務めを担っている者たち(詠唱者、門衛、軍隊たち)にも言及されていることです。そのことを通して考えさせられることは、教会を形成するために、特に長老教会では牧師、長老、執事、教師(神学教師)という四つの務めを担う者たちが重んじられますが、実際には、教会員一人一人の奉仕によって神礼拝が成り立っている、ということです。礼拝に連なるということ自体が奉仕であり、その神礼拝において欠けてもよい人は一人もいないのです。何の務めも担っていないと思える人であっても、御前では大切な存在であるのです。ジグソーパズルは、たった一個のピースが欠けただけでも完成しないのと同じようなものです。礼拝は、いつでも総員礼拝であるべきなのです。どの者も教会の成立には必要かつ重要なのです。
もう一つの注目すべき点は、各役割を担う者たちがクジ引きで決められたという点です(24:5他)。「くじは膝の上に投げるが/ふさわしい定めはすべて主から与えられる」(箴言16:33)とあることで分かるように、くじによったということは、すべては主なる神の定めに基づいてなされるということです。ですから、主の教会に連なっている者たち全員で、主なる神の御心が成ることを願って、主をこそ主としていくのです。
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