あなたを生かす聖書の言葉

2022年2月27日(投稿)

今週の聖句    歴代誌上22

 聖書「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ」

(歴代誌上22:1)

イエス様がお生まれになったときも、ローマ皇帝による人口調査がなされました。人口調査は、増税と兵力増強のためになされたと言われています。それは、自己の権力の誇示につながる行為でありました。ダビデによる人口調査が「サタン」(21:1)の働きと断定され、「悪とみなされ」(7)たのは、神がその王座を固く据えてくださるという基本的事柄に対する信頼を裏切る行為であり、更に言えば、自分を神にしようとする行為であったからである、と言ってもよいのです。

ダビデはその罪に対する裁きを受けます。疫病が流行したのです。ダビデは罪の悔い改めのしるしとして、先見者ガドの勧めに基づいてオルナンの麦打ち場を買い取ってそこに祭壇を築き、焼き尽くす献げ物(罪の赦しのための献げ物)と和解の献げ物を献げたのです。そしてそこが、のちの神殿建築の場所となるのです。上記の聖句のように、ダビデ自身が「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ」(22:1)と語っているとおりです。

しかし、それは、麦打ち場という場所が神殿の場所にふさわしいということではありません。焼き尽くす献げ物、和解の献げ物が献げられることが神殿にふさわしいし、それこそが神殿においてなされるべきことであるということです。教会堂で言えば、駅に近いとか駐車スペースが広いというようなことも、必要なことかもしれません。しかし、それ以上に、そこで何がなされているかです。焼き尽くす献げ物、和解の献げ物が献げられている所、つまり、人の思いが主になるのではなく、罪の赦しと和解をもたらしてくださる主が主とされている所にこそ、主の神殿であるのです。わたしたちの礼拝において、罪の赦しと神との和解を賜う主イエス・キリストが真に主として崇められているならば、こここそ正に主の教会にふさわしいのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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