あなたを生かす聖書の言葉

2022年1月30日(投稿)

今週の聖句    歴代誌上10

 聖書「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず…口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったため、主は彼を殺し…た」

(歴代誌上10:13,14)

「イスラエルの最初の王はだれか」と、当時わたしが出席していた教会の牧師が、聖研のときに問いました。神学校に入ったばかりのわたしは、ダビデと答えました。牧師は違うと言い、新約聖書に同じ名前の人物がいるだろうとヒントをくれました(パウロのユダヤ名です)が、答えられません。ダビデやその子ソロモンは有名なのですが、最初の王であるサウルは影が薄いのです。否、サウルは、イスラエル統一のために、十分、働きました。聖書のことを何も知らなかったわたしの浅学、無知蒙昧が、問題だったのです。

しかし、歴代誌では、サウルの扱いはそっけないだけではなく、彼の悪い所しか記されていません。サムエル記上は、931章においてサウルに言及していますが、歴代誌はここの939にその名が出てきて、僅か10:114だけで彼に関する記述は終わります。しかも、彼の死の話が記されているだけです。その死にざまが記されたのち、上記1314節のように記され、「主は彼を殺し…た」と言われるのです。勿論、主なる神が、直接手を下した訳ではありません。サウルは、ペリシテ軍によって殺されました。しかし、「主は彼を殺し…た」のです。無知蒙昧ではなく、実に彼の主への背反が大問題だったのです。

自分の相続分を半ば奪い取って、父の家を飛び出した放蕩息子が帰って来たとき、父は「死んでいたの生き返」ったと言いました(ルカ1524)。主なる神に背いた者は、御前では死んだに等しいのです。サウルは御言葉に聞かず、主に尋ねもしませんでした。主への背反です。彼は、そのとき肉体的には生きていましたが、霊的には既に死んでいました。殺されたのです。放蕩息子のように、父の恵みを覚えて御許に立ち帰ることが、御前で生きる道なのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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