あなたを生かす聖書の言葉

2022年1月23日(投稿)

今週の聖句    歴代誌上5

 聖書「アラムの子らはアロン、モーセ…。…ソロモンがエルサレムに建てた神殿で祭司として仕えたのは、このアザルヤであった。」

(歴代誌上5:29,36)

歴代誌上19章の内、前半は、主にユダ部族のことに言及されていましたが、後半(527以下)になると、主にレビ部族(祭司、神殿礼拝に仕えたレビ人たち)のことが記されます。歴代誌が祭司たちを中心に記すのは、以前触れたように、神殿中心にイスラエルの歴史を見ているからです。イスラエルは礼拝共同体なのです。御心に適って正しく礼拝が為されていてこそ、神の民イスラエルと言える、と歴代誌史家は理解しているのです。

例えば529に、アロンとモーセが出てきます。どちらが重要かと言えば、普通はモーセだと思うでしょう。実際、聖書は圧倒的に、モーセの働きを詳細に語っています。出エジプト記からヨシュア記まで、殆どモーセがらみです。他の文書も随所でモーセに触れます。しかし、歴代誌では、モーセはここに一度名前が出るだけで、この後はアロン(祭司)の子孫名が記されることになり、ソロモンの建てた神殿で祭司として仕えたアザルヤが、アロンの末裔であったことが明らかにされます(36)。歴代誌では、祭司、即ち神殿での神礼拝を司る者が重んぜられているのです。御心に適った神礼拝を献げることに関心があるのです。9章が、おもにバビロン捕囚からの帰還後の祭司やレビ人の働きに言及しているのも、礼拝共同体の回復を願っているからなのです。

Tペトロ29は、わたしたち教会のことを「王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」と語っています。この教会も王の系統を引く祭司です。わたしたちも、祭司のように神礼拝に仕えることが願われるのです。礼拝を守り難い時です。しかし、どのような時代になっても、神が御覧になったとき、神に栄光が帰されている正しい礼拝であると仰せになって、神がお喜びになるような礼拝を守って参りましょう。それが教会の務めです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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