あなたを生かす聖書の言葉

2022年1月2日(投稿)

今週の聖句    列王記下25

 聖書「この地の貧しい民の一部は…そのまま残された」

(列王記下25:12)

南ユダは滅びました。神の民イスラエルの歴史が終わったかのように思えます。それなら、神の救いの御計画はどうなるのでしょうか。それも終わるのでしょうか。神の働きも、結局は、無為に終わるのでしょうか。

聖書はバビロン捕囚について記す中で、上記のような聖句を記しています。24:14にも同じような言葉があります。バビロン捕囚の後にも残された民がいたのです。彼らは経済的に貧しいだけではなく、信仰においても取るに足りない者たちでした。しかし、その貧しい残りの者の中から、神は新しい神の民を生み出すのです。そして、その者たちを通して救いを成就してくださるのです。人は不誠実になり、不信仰にもなります。そして、そのことの故に、自らに滅びを招くこともあるのです。しかし、神が誠実であることは変わることなく、神はその約束を ( たが ) えることはなさらないのです。

列王記は、その記述を終える前に、興味深いことを記します。それは、南ユダの最後から二番目の王であったヨヤキン解放の記述です(2730節)。最後の王ゼデキヤはヨヤキンの叔父であり、ダビデ家の直系ではありません。ダビデ家の直系の最後はヨヤキンです。彼は第一次バビロン捕囚のとき、バビロニアに連行されましたが、「捕囚となって三十七年目…に…出獄」(25:27)を許され、バビロンにおいて手厚くもてなされたのです。南ユダの直系は生き残ったのです。神は、そのように残りの者を通して、救いの御計画を進めてくださるのです。そこに、新しい神の民への希望を見出すことができるのです。人間の不誠実や不信仰、或いはこの地上の変化、変動が、神の救いの御計画を妨げることはできないのです。

「あなたがたをお招きになった方は、真実で必ずそのとおりにしてくださ」(Tテサ5:24)ることへの信頼を深めながら、信仰生活を送って参りましょう。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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