あなたを生かす聖書の言葉

2021年11月28日(投稿)

今週の聖句    列王記下22

 聖書「王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。」

(列王記下22:11)

キリスト者は静的な存在ではありません。洗礼を受けたら、主の恵みが注がれ御手の内に捕らえられることになりますが、その恵みを覚えればこそ、主の日の礼拝において御言葉に聞き続けることによって、キリスト者にふさわしくなるのです。神の民イスラエルも同じです。御言葉に聞き続けることで、神の民にふさわしくなるのです。

ヨシヤ王は、宗教改革(申命記的宗教改革と言われる)で有名です。彼の二代前のマナセは最悪の王でした。神殿は偶像で溢れ、神礼拝は行われませんでした。ヨシヤ王はその神殿の再建に取り組みました。その工事を命じられた大祭司ヒルキヤは、偶然「律法の書(現在の申命記1228章と言われている)を見つけ」(8)ました。早速、ヨシヤ王のもとに届けられ、それが朗読されます。王はその律法の書の言葉を聞いて、衣を裂きました。そして、女預言者フルダの言葉によって、「心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂」(19節)いたことが、御旨に適うことであることを知るのです。そのように律法の書(御言葉)に聞くことの重要性を改めて知らされ、ヨシヤは御言葉への聴従を基礎とした王国の再建を始めるのです。神が恵みによって自分たちを御自身の民としてくださったことに応えて、御言葉に聞き、主なる神への礼拝の回復を果たそうとした、それがヨシヤ王の宗教改革であったのです。

それは、わたしたちも受け継ぐべきことです。わたしたちの教会は、改革長老教会の伝統に立っています。改革教会とは、厳密に言えば「神の言葉に従って改革された教会」ということです。その際、「「改革」という文字は小さく「神の言葉に従って」という文字をこそ大きく書かなければならない」と、ニーゼルは言いました。わたしたちは、教会の主の日の礼拝で御言葉に聞き続けることによって、御心に適うキリスト者になるのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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