北イスラエルと南ユダには多くの王がいましたが、この章に出てくる南ユダの王マナセはイスラエル史上最悪の王でした。皮肉なことに、その政権は55年と最長でした。彼は、バアルの祭壇、アシェラ像、異教の祭壇、万象の祭壇、幼児犠牲、占いやまじない、口寄せ、霊媒など、ありとあらゆる異教の習慣が取り入れました。彼の治世に活動した預言者も、彼の治世の初期にイザヤとミカがいたぐらいで、その後、絶えてしまいました。預言者たちを迫害し抹殺したからです(ヘブライ11:37には「のこぎりで引かれ」て殺された預言者がいると記されていますが、これは、マナセがイザヤに対してしたことを言っているという説があります。真偽のほどは確かではありませんが、さもありなんと思わずにおれません)。
マナセはそれほど、徹底して主とその御言葉を排除したのです。なぜでしょうか。当時の大国アッシリアと手を組んだからでしょう。前の王ヒゼキヤはアッシリアの攻撃を跳ね返しますが、アハブは手を組んだ方が国際社会で優位に立てると考えたのでしょう。神の御心よりも自分の益を主に考えたのです。
勿論、主なる神が放置しておくはずはありません。彼らへの裁きが11〜15節に記されています。「両方の耳が鳴る」=起こる悲惨のすさまじさの比喩。「はかり縄、下げ振り」=地面が平らになり何も残らない⇒「わが嗣業の残りの者を見捨てて、敵の手に渡す」。「残りの者」は最後の希望ですが、それもいなくなるのです。しかし、神は「無からの創造」をなさる神です。神は自由な恵みの御心に基づき、二代後にヨシヤ王が立てられて宗教改革が為されます。
神は諦めません。人々が拒否することが分かっていても、独り子なる神を送ってくださいました。わたしたちを愛し給うからです。その御子の到来を覚える待降節が近づいています。感謝し、御言葉に聞きましょう。
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