ヒゼキヤ王は、預言者イザヤが遺言を書くことを勧めるほど、深刻な病にかかります(1節)。彼は涙ながらに祈ります(上記2∼3節)。主はその祈りを聞き、涙を見て、寿命を15年延ばしてくださいました(6節)。
実は、列王記下18:13〜20章と殆ど同じことが、イザヤ36〜39章に記されていますが、イザヤ38:10以下には、ここには無いヒゼキヤの讃美の言葉が記されています。その一つです。「主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。/わたしの霊も絶えず生かしてください。/わたしを健やかにし、わたしを生かしてください」(36:16)。死に瀕する病気であろうと、奈落の底に落ちるような苦難であろうと、五里霧中と言わざるを得ない混迷の中に居ようと、主が近くにいれば、わたしたちは生きることができるのです。そして、その「主はすぐ近くにおられます」(フィリピ4:8)。「今や…救いは近づいている…。夜は更け、日が近づいた」(ローマ13:11〜12)のです。ですから、わたしたちは、いつもその主を見上げ、その主に一切を委ねて生きるのです。
後日、ヒゼキヤは、見舞いに来たバビロンの王に、王宮にあるすべてを見せます。しかし、そのことをイザヤに叱責され、そのことの故に南ユダがバビロンに滅ぼされるという預言を受けます。その預言は、ヒゼキヤの死後ちょうど100年経ったとき、実現します(列王記下20:12〜19参照。)事を成就して下さるのは主です。ですから、すべてを見せ、委ねて良いのは主なる神だけです。わたしたちの救いのために、最も貴い独り子をさえ十字架にお渡しになられ、御前に生きる命さえも与えてくださる主なる神をこそ信頼し、すべてを委ねるのです。遣わされて来られて、わたしたちの傍ら近くにいます主イエスへの信頼を深めて、健やかな日々を送りましょう。
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