北イスラエルの王がヨアシュであったとき、南ユダでは王ヨアシュの子供アマツヤが王になります。同じ時代に同じ名前の王が北と南にいる。以前、南も北も(しかも同じ時代に)王の名がヨラムということもありました。更にここで言えば、14:23には北イスラエルの王がヤロブアムになったとありますが、北イスラエルの初代の王も同じ名です。ですから、普通、こちらをヤロブアムU世と呼びます。王の名前だけでも覚え難いのに、南北で王の名が同じだなんて、ややこしいことだと思わずにおれません。その上、14:15-16は13:12-13と同じ記事です。繰り返す理由は不明です。混乱するのは私だけでしょうか。
それはさておき、今のヤロブアムU世は「主の目に悪とされることを行」(24)ったが、「主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われ」なかった(27)とあるのです。他方、南ユダのヨアシュの子アマツヤは「主の目に適う正しいことをした」(3)とあります。それは、彼が自分の父を殺した者たちを裁いたがその子らは裁かなった。つまり、復讐心に生きず、律法を忠実に守ったということで、そのように言われているのでしょう。しかしその後、彼は北のヨアシュ王を攻めますが、惨敗します(8以下)。それは明らかに無意味な攻撃で、責められて然るべきですが、何の咎めも受けていません。
そのような記述を読むとき、事の背後には神様の契約への真実があると思わずにおれません(上記聖句参照)。イスラエルの王や南ユダの王たちだけではありません。全てのキリスト者も同様です。神はわたしたちと契約を結んでくださったのです。受洗はその契約の時でもあります。その契約を、わたしたちが自分の罪の故に無視したり、御心に反することをすることがあっても、神の側では忠実に守り、わたしたちを救いへと導き給うのです。
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