あなたを生かす聖書の言葉

2021年8月29日(投稿)

今週の聖句    列王記下9

 聖書「これは主の言葉のとおりだ。」

(列王記下936)

主なる神は「イエフに油を注いで…王とせよ」と命じていました(列王記上1916)。そのことは、エリヤの後継者エリシャ(が立てた無名の預言者)によって成し遂げられました。イエフは油注がれて、イスラエルの王になります。当時のイスラエルの王はまだヨラムでしたが、イエフが王になるということは、ヨラムの王位陥落を意味していました。実際、イエフはヨラムを殺し、その死体をナボトの所有地の畑に投げ捨てました(列王記下926参照)。

そもそもの事の発端は、そのナボトのブドウ畑事件です(列王記上21章)。否、更に遡れば、当時のイスラエルの王アハブが異邦人のイゼベルと結婚、それを機にバアル礼拝が持ち込まれたことにありました。それは、神の御心に適わぬことでした。殊にナボトのブドウ畑事件は、アハブとイゼベルが結託して神を愚弄するような事件でしたから、神は深く心を痛めました。厳しく叱責されたアハブは罪を悔い改め、彼自身は一旦赦されますが(最終的には2238にある通り、アハブは犬の群れがその血を舐めるほど惨めな死に方をします)、子の代になってから裁きを受けると告げられました。その子がヨラムです。彼は上記のようにイエフに殺されます。また妻イゼベルも悲惨な死に方をする旨、言われており(列王記上2121以下)、事実、遺体の頭蓋骨と両足と両手首しかなく、畑の肥やしのように蒔かれるという凄惨な末路を迎えることになりました。全ては、主の言葉の通りになったのです(26節も参照)。

「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られことはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」(ガラテヤ57)。わたしたちは忘れてはなりません。罪の裁きを免れ得る人は誰もいません。しかし、その裁きを代わって受けてくださった主がいますのです。感謝しましょう、尊い代価でもって罪が贖われているという恵みの事実を!

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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