あなたを生かす聖書の言葉

2021年8月8日(投稿)

今週の聖句    列王記下6

 聖書「主に祈り、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。」

(列王記下6:17)

「アラムの王がイスラエルと戦っていたとき」(8)のことです。アラム軍の行動は、主なる神によって、逐一、エリシャを通してイスラエルの王に示されます。アラム軍の王が、内通者がいるのではないかと疑うほど、すべて筒抜けです。やがて、それはエリシャのせいだということが、アラム軍の王にも分かります。そこで、アラム王は全軍をもってエリシャを成敗すべく、彼が住んでいる町を包囲します。エリシャの従者が朝早く起きてみると、アラムの大軍が包囲している現実を見て、恐れおののき、「ああ、御主人よ、どうすればいいのですか」と訴えます。そのときエリシャは、上記のように「目を開いて見えるようにしてください」と、主なる神に祈ります。その後、従者が再び外を見たとき、そこには「火の馬と戦車が…囲んで山に満ちているのを見た」(17)のです。アラム軍に勝る主の大軍が、エリシャたちを守っていたのです。その主なる神にある事実を見る信仰の目が、従者には必要だったのです。

( ) よ、父の我らに賜いし愛の 如何 ( いかに ) に大いなるかを。我らは神の子と ( とな ) へらる。既に神の子たり」(Tヨハネ31、文語訳)。わたしたちに既に及んでいて、断じて見損なってはならない「我らは神の子と称へらる。既に神の子たり」という恵みの事実が、ここに記されています。その事実を見ることができるよう、神は御子をお遣わしになり、十字架にお掛けになって罪を贖い、更には死人の中からの復活によって、御前に神の子として生きる命を賜ってくださいました。今や、艱難がわたしたちを取り囲んでいて、この従者のように、わたしたちも「どうすればいいのか」と思います。しかし、わたしたちには、「既に神の子たり」という恵みの事実が及んでいるのです。その事実を見る信仰の目が与えられるよう、祈って参りましょう。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

今週の聖句(バックナンバー)