イスラエルの王アハズヤが病気になったとき、イスラエル神に祈ることをせず、エクロンの神バアル・ゼブブに治癒を求めて使者を出します。それを知った神は、エリヤを通じて、神を信頼しないのだから「上った寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ」と告げます(4節)。普通ならここで悔い改めるのですが、アハズヤそれに対して怒り、エリヤを抹殺すべく50人隊長を遣わします。しかし、50人の兵卒たちは、天からの火によって滅ぼされます。同じことが繰り返されます。アハズヤな頑なな心は変わりません。三人目の50人隊長が派遣されます。この隊長は前のことを知っていますから、エリヤに懇願し、命乞いをします。エリヤは、その隊長に既に自分が語ったことを王に告げるように言い(16節)、彼を帰します。それでもアハズヤは悔い改めることなく、エリヤの言葉の通り、寝台から降りることなく、病死します。
この王の愚かさを笑う訳にはいきません。「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、「苦しい時の神離れ」もあるのです。わたしたちもそうなりかねません。困難や苦難が続くと真の神に信頼し、祈ることを止めかねないのです。アハズヤが頼りにしたバアル・ゼブブとは「ハエの王」という意味だそうです。力はたいして無いのですが、
黴
菌を運ぶという意味では侮れません。それよりの興味深いのは、バアル・ゼブブは、マルコ3:22の悪霊の頭ベルゼブルと関係があると言われていることです。その悪霊の頭を、主イエスは既に駆逐してくださっているのです。わたしたちには、今や何も恐れる物はありません。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(Uコリント12:9)と仰せになる勝利者キリストへの信頼をもって、その主に信頼して祈り、主を崇める歩みをしてゆけばよいのです。
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