エリヤが活動した時のイスラエルの王はアハブでした。彼は「それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くこと行な」(列王記上16:33)いました。具体的には、バアルやアシェラ像を礼拝したのです。それに対する報いでもありましょうし、警告でもありましょう、長期間の干ばつに襲われるのです。アハブ王はそれをエリヤのせいだと主張したので(18:17)、どちらの神に従うのが正しいのか、エリヤはバアルの預言者450人と対決するよう提案します。雄牛を薪の上にのせ、火をつけずにおき、神の名を呼んで、火をもって答える神こそを真の神と認めるという戦いです。
バアルの預言者450人は「朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、われわれに答えてください」」(26節)と祈り、更には祭壇の周りを跳び回り、大声で叫び、剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでして祈りましたが、何も起こりません(28∼29節)。他方、エリヤは一定の準備のあと(そこには12の石、4つの瓶、3回という数字が出てきますが、どれも完全数です。エリヤの神への全き信頼を示すものでしょう)、上記聖句にあるように主の名を呼び、祈りました。すると、主の火が降って雄牛を焼き尽くしたのです(30∼37節参照)。
偶像は「据え付ければそれは立つが、そこからは動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない」(イザヤ46:7)のです。しかし、わたしたちの神は、エリヤが祈ったように「アブラハムの神、イサクの神、イスラエルの神」であり、「わたしはある」(出エジプト3:14)と仰せになる活ける神です。現に、その神は、独り子なる神を死人の中から復活させられて、今も活きてわたしたちに臨ませてくださっているのです。その主なる神への信頼、信仰が、わたしたちを生かすのです。
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