あなたを生かす聖書の言葉

2021年5月9日(投稿)

今週の聖句    列王記上19

 聖書あなたはこれまでのだれよりも悪を行い、行って自分のために他の神々や、鋳物の像を造り、わたしを怒らせ、わたしを後ろに捨て去った。」(列王記上199)   

ソロモン以降分裂した、北イスラエルの最初の王はヤロブアム、南ユダの王はレハベアムでした。この14章には、両者共、御心に適わなかったので滅びたと記されています。今日はヤロブアムに注目しますが、彼の息子が病気になったとき、妻に変装させてシロにいる預言者アヒヤの言葉を聞きに行かせます。そのとき、アヒヤはヤロブアムの子供は死に、彼自身も亡びる、と告げます。その理由を示しているのが、上記9節の言葉です。

「わたしを後ろに捨て去った」という言葉は、後に預言者エゼキエルが主なる神を「忘れ…後ろに投げ捨てた」(23:35)と叱責したことを思い起こさせます。主なる神を、後ろに投げ捨て去るのです。主のことは後回しで、自分が先であり、また自分を主にするのです。自分を第一とし、自分の主張を通そうとするのです。主の名を口にするとしても、自分の願いの実現に役立つと思える時だけです。それは、「主の名をみだりに唱えて」(十戒の第三戒)いるのと変わりはありません。故に、彼らは御前に立つを得ないのです。

 マルコ10:32には、「エルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた」とあります。主イエスはわたしたちの救いの成就のために、弟子たちも驚き、恐れるほどの固い決意をもって先頭に立ち、十字架にかかるためにエルサレムに向かったのです。今や、着衣を脱いだ主キリストの背中には、わたしたちの罪の贖いのために鞭打たれた傷跡があるでしょう。その傷痕に象徴されている主の愛に促されて、主を後ろにするのではない、主を先頭に高く掲げて従っていくのが、わたしたちキリスト者であります。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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