不思議とは
■本ホームページは不思議をテーマとした名所案内
不思議という言葉の意味は多様だ。『広辞苑』によると、「不思議」とは、「不可思議の略。①思いはかられぬこと。いぶかしいこと。あやしいこと。奇怪。方丈記〔世の-をみること、ややたびたびになりぬ〕②あやしく思う。不審の念を持つ。諸国ばなし〔-を立てるもことわりなり〕」とある。本書の不思議は、辞典的な意味に止まらず、①伝説や伝承のあるもの、②神秘的なものや信仰の対象になっているもの、③江戸期の地誌で案内されているもの(江戸期の上層町人の感性やロマンを味わう)、④他に類例の少ないもの(珍しいもの)、なども不思議に含めている。
■不思議に関する井上頼寿の考察
初めて京都の七不思議を体系的にまとめた『京の七不思議』(昭和19年)の著者井上頼寿(1900~79)は、不思議の本質について次のようにいう。すなわち、不思議は大別すると、「観光客」向けのものと「京都の人」向けのものがあるという。観光客向けの不思議は、地方では有名なのだが、地元では案内者の外はあまり注目されず、一方、京都の人向けの不思議は、地方に知られることは少なく、浮沈が激しいという。結局、観光客向けの不思議は、長い間生命を保ち、必然的に名物、名所の類になるという。安永年間(1772~81)に刊行された『本願寺七宝物由来』(作者不詳)という書物に、「宝物」という言葉にわざわざ「ふしぎ」という仮名が付されてるが、これこそ不思議の意味を正しく理解したものだという。
■詣でる人と神仏を繋ぐものが不思議
また井上頼寿は、詣でる人と神仏を繋ぐものが不思議に他ならないという。不思議の本質を捉えた言葉として卓見ではなかろうか。わたし流に表現すると、詣でる人と神仏との関係を、「こうありたい、こうであればいい」というロマンに仮託したものが不思議というものではないのだろうか。これらの神仏には、高僧や歴史上の著名な人物など、神格化された人物を加えてもいいだろう。一千年の都である京都には、古くからたくさんの神仏が鎮座している。詣でる人と神仏を繋ぐ不思議もそれこそ無数にあるといっても過言ではない。そういう意味で、埋れた不思議の発掘にも配慮してゆきたいと考えている。
■洛北/比叡山(延暦寺)、大原、鞍馬寺と貴船神社、上賀茂神社と下鴨神社
■洛東/銀閣寺、金戒光明寺、永観堂、南禅寺、知恩院、八坂神社、建仁寺、清水寺、豊国神社と方広寺、三十三間堂
■洛中/大徳寺、堀川、北野天満宮、京都御苑、出水、新京極
■洛西/金閣寺、妙心寺、御室(仁和寺)、太秦、愛宕山
■洛南/壬生寺と島原、西本願寺と渉成園、東寺、東福寺、伏見稲荷大社、石清水八幡宮
お知らせ |
■次回更新予定(「青蓮院周辺の不思議」)
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