表示文字:  背面色:

大祭

[ 古い祭り ] [ 行列順序 ] [ 祭り一日 ]
■【祭り】
巡行  【朝神事】 深夜(早朝午前2時頃)、六町の氏子うじこが松明たいまつ・剣鉾けんぼこを先頭に各町の当屋とうや宅を出発します。神社には下在地町、西河原町、中在地町、村松町、忠在地町、上蔵町の順で東西の宮座みやざに入ります。東の宮座は北から村松町、中在地町、上蔵町。西の宮座は北から西河原町、忠在地町、下在地町です。最後の上蔵町の宮座到着は午前2時30分頃です。
 2時40分、境内けいだいでは東西宮座前の「大松明おおたいまつ」(過去8m)の点火、奥の拝殿はいでん・社殿では神事しんじが執とりり行われます。
  大松明が消えると、午前5時20分に子供神輿みこしが神社を出発、午前5時30分に神輿が神社を出発します。先を行く子供神輿だけは村松の旧一言社へ行き戻って、また行列に合流します(※令和8年は道路事情が悪く旧一言社へは行きません)。行列の一行は御旅所おたびしょである山住神社へ向かいます。山住神社に到着すると、神輿が拝殿に安置あんちされ(6時50分)、ここ山住神社でも神事が行われます。神事終了は午前7時頃です。朝用剣鉾は各町の当屋宅へ持ち帰ります。

 【昼神事】 午後1時過ぎ、各町の氏子が昼用剣鉾とともに御旅所の山住神社に集合します。午後1時30分頃に、行列が石座神社へ向けて出発します(還幸行列かんこうぎょうれつ)。先頭は下在地町の御幣ごへいで、その後に6町の一和尚いちわじょう、剣鉾と続きます。剣鉾の一部や神輿は十王堂橋から心光院前へ、さらに東の中央信用金庫前の交差点まで行き、この間に「剣差し」や「神輿ふり」を行います。その後は引き返し北上します。
 この行列の中には、各町当屋宅の「お稚児ちご」、途中(洛陽病院)からは「花笠はながさ」が加わります。
 道中、大人や子供の「神輿振みこしふり」や「鉾指ほこさし」(数十年ぶりに復活)がお祭りに賑にぎわいを添えてくれます。行列は午後4時頃に神社へ入ります。神輿が拝殿へ安置されると、奥の神事とともに拝殿前で岩倉史謡踊りしようおどりの奉納ほうのうがあり、これにて祭りも終了します。


[[ 古い祭りでは ]]
①いまの「大松明」の他、「相撲すもう・走馬はしりうま・尻しりたたき祭」の奉納ほうのうがありました。大雲寺に二人の力者頭りきしゃかしらがいて、深夜その差配さはいで大雲寺から神輿を御旅所まで移動し、御旅所に神輿を安置をしました。さらに彼らが朝まで神輿を守護しゅごしたといいます。

②行列の順序が、金棒かなぼう(実相院部屋者へやもの)、御幣・剣鉾けんぼこ(下在地町)、他町の剣鉾、扇持、畳紙持、稚児、神輿、神殿(乗馬)、氏子総代(乗馬)、宮本の稚児(乗馬)、神輿、御旅の神主かんぬし(乗馬)、大雲寺の法師一老二老(乗馬)、稚児(乗馬)、座衆、花傘(実相院からでる)のときがあったようです『洛北岩倉』。
 二人の神主、「御旅の神主」と「神殿こうどの」がいて、神殿は宮元町から選ばれた「宮神主」と称し、祭礼の中心となりました。上記2つの神輿は「雄」と「雌」の神輿でしょう。子供神輿はまだありません。

※①と②では内容が異なり比較できませんが、①の方が古いように思えます。「力者頭」と「実相院部屋者」や「(大雲寺の)法師一老二老」の文言もんごんから、当社が大雲寺の守護社であった頃で、祭りの起源が偲しのばれます。

③昭和28~32年頃(社務所にパネルが保存されていました、ここで紹介します)
神輿二基と剣鉾
 
神殿と氏子総代が乗馬
在りし日

■【現在の行列順序】(先頭から①~⑬)
①社旗宮元町が担当gyoret
②金棒引き宮元町と次期宮元町から出る2名
③御幣(御幣持ち)下在地町当役が担当
④各町の一和尚(いちわじょう、いちばんじょう)
⑤各町の剣鉾下・西・中・村・忠・上
⑥稚児・付添6町の6名、宮元町はプラス1名 計7名
⑦花笠途中、洛陽病院前から参加 宮元町の方々
⑧子供神輿6町から集う子供達
⑨太刀上蔵町担当
⑩大人神輿6町の若衆と有志
⑪神職 
⑫白丁宮元町と次期宮元町の総代2名
⑬奉賛会長




◁