レイ・キンセラ にとっての "Field of Dreams" "僕は36歳 家族持ちで野球好き その僕が 農夫になる。 あの ”声” を聞くまで 型破りなことは 何もしたことがない。" ある日、レイは自分のトウモロコシ畑で、”声”をきく "If you build it , he will come" (それをつくれば、彼はやってくる。) これは、レイの心の奥底で響いた、彼自身の願いであった。 しかし本人はそれに気づかない。 彼は思い悩んだあげく、 "それ" とは野球場のことで、 "彼" とはシューレス・ジョー・ジャクソンのことだと確信する。 幼い頃から、父親ジョンから子守唄がわりに聞かされつづけた、悲劇の名プレイヤーである。 トウモロコシ畑をつぶして野球場をつくる そんな途方もない夢をレイに決意させたのは何だったのか。 映画の中では、レイが妻アニーに思いを語っている。 「親父は年に負けた。 僕の年には、親父は老人だった。 親父にも夢はあったろう だが何もしなかった。 "声" を聞いたかもしれないのに 耳を貸さなかった。 何一つ冒険をしなかった。 僕はそうなるのが怖い。 そういう冒険ができるのも これが最後だ。」 しかし、それだけではなく、 レイは知らず知らずのうちに、シューレスジョーの姿に父親のジョンを重ね合わせていたのかもしれない。 長年マイナーリーグでキャッチャーとしてプレーしていたが、ついに大リーグ入りを果たせなかった父。 14才の時、テレンスマンの「船を揺らす人(The boat rocker)」を読んで父親を否定するようになり、17才の時にひどい言葉を浴びせ家を飛び出して以来、音信不通のまま、父は死んでしまっている。 アイオワのに帰る車中で、グラハムを後部座席に乗せ、テレンス・マンはレイに尋ねる。 「何て言ったんだ 親父さんに」 「 "犯罪者を英雄視している。" と 」 「誰のことだ。」 「シューレス・ジョーだ。」 「彼が八百長をしていないことは、知っていたんだろ?」 「当時は17歳で・・・ それを謝る機会が来る前に、親父は死んだ。 女房にも会わず、孫娘を見ることもなく・・・ これがその罰だ。( 後部座席のグラハムを指し ) わかっている 親父はもう戻らない だから彼の英雄を呼び戻した。」 このことに対する、ある種の"罪ほろぼし"として、 レイは、自らがつくる野球場で、シューレス・ジョーら、志半ばで倒れた悲劇の大リーガー達にプレーしてもらうことに情熱をそそいだのだ。 シューレス・ジョーは、仲間達ともう一度野球をすることができ、 テレンス・マンは、著作活動再開を約束してトウモロコシ畑の中に消えていき、 ムーンライト・グラハムは、大リーガーのピッチャーからから打点をあげた。 そして、最後に残ったレイの前には、 野球を愛し、大リーガーを夢見ていた、若き日の父ジョンが現われる。 最後になって、レイはジョーから教えられる。 実は、「彼」とは自分の父親のことだったと。 そして、レイの聞いた「声」は自分自身の声だったと。 これが、この映画の最大の売りであり、"オチ"である。 レイはジョンに対して呼びかける。 「お父さん。キャッチボールをしよう。」 このキャチボールは20年間の空白をうめる、父と息子の心の会話のようだ。 「親父にはできなかったが、自分にはできる。」 「親父のようにはなりたくない、親父をこえたい。」 こんな、息子なら誰もがもつ願い 「無念の生涯を終えた親父。その親父に対して不実であった自分。」 「その溝を埋めるため、親父と再会し、真実の心で接したい。」 そんな、36才の男が心に秘める願い レイにとっての「フィールド・オブ・ドリームス」とは、 これらの願いを実現する場所だった。 「親父のようにはなりたくない。」 息子の大人への旅立ちは、父親の生き方を否定することから出発します。 そして、 父親の生きざまや人生を認めることが、その旅のゴールなのです。 |