山の辺の道 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の大和平野いわゆる奈良盆地は、大昔、大きな湖で、人 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
「山の辺の道」は「東海自然歩道」に組み込まれ |
出発を「天理駅」か「桜井駅」かにするかは自由ですが欠点は両駅とも最終目的地から少し |
|
|
「天理駅」から「石上神宮」までの乗り物ですがバスは午前中1,2便で、しかも、バス |
|
|
|
天理市は名前の如く天理教の宗教文化都市です。『天理教』と染め抜いたハッピ姿を多く見ることで天理市だと理解出来ます。 |
|
万葉で知られる「布留川(ふるがわ)」の面影は、上流に行け |
|
|
神域の入り口には鳥インフルエンザなどの影響 |
大鳥居をくぐると古杉に囲まれた境内で、格式高く由緒ある古社の風格が感じとれます。塵、落葉がきれいに掃き清められた境内は人影もまばらで、ひっそりと静まり返っ |
「石上神宮(いそのかみじんぐう)」は政治に大きな影響力があった有力な豪族「物部氏」 |
|
「拝殿」は神社造では「切妻造」が殆どであ |
した感じとなっており、全体としてしっとりと落ち着いた気品漂う建物となっており |
|
|
「摂社出雲建雄神社拝殿(せっし |
門に当たるものとして設計されたのでしょうか?拝殿は黒々とした杉木立と相まって水墨画のような情景でした。 |
自然環境の中で飼育されております神鶏が、野鳥から今大 |
![]() |
|
「うち山や とざましらずの 花ざかり」 |
|
|
|
|
しばらく行くと、「内山永久寺」の放生池が見えてまいります。内山永久寺は明治の廃 |
|
|
|
「夜都伎神社(やとぎじんじゃ)」は萱葺の神社で社寺では始めて見る屋根材でした。背景 |
|
|
|
|
環濠が埋め戻されて出来た公園でその後方に写真の環濠が存在します。 |
|
|
|
外敵から防御するための「環濠」らしいですが外敵に狙われるくらい裕福な村落だった |
|
|
|
|
「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」は「西殿塚古墳」とも呼称されております。
|
|
|
|
共同墓地の中を通り過ぎるとそこは「念仏寺」でした。 |
|
|
|
「衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路をゆけば生けりともなし」 |
|
|
古都らしく白漆喰で際立つ屋根の住宅が点在しており「山の辺の道」にふさわしい風景 |
|
|
「長岳寺(ちょうがくじ)」は弘法大師が開基 |
近い将来、「歴史街道」といえば「山の辺の道」となりますことを願わずにはいられません。 |
|
「鐘楼門」は現存最古の遺構で、寺院でも、 |
|
|
「本堂」は南面しております。苑池を隔て本尊を拝まれると極楽浄土が心の中に浮か |
|
「阿弥陀三尊像」は「玉眼」を採用した我が国初 |
脇侍の「観音・勢至菩薩像」は我が国では珍しい半跏趺坐像です。中宮寺の「弥勒菩 |
|
「弥勒菩薩像」は古墳群に囲まれた寺院だけに古 |
|
|
境内にて |
|
|
|
「天理市トレイルセンター」
は「長岳寺」と隣接しており、見晴らしの良い場所にあり、 |
|
|
|
「山の辺の道」は「崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)」の東側を通りますが
、陵は西を |
|
|
|
春霞に煙る大和盆地と葛城山脈、二上山の眺望で「山の辺の道」ならではの素晴らしい |
|
大和棟が美しい民家の板壁に、『行く人に
|
|
|
|
|
|
|
|
「景行天皇陵」も西向きですので、国道まで下がる必要がありますが、今回は上記の景色 |
|
|
|
![]() |
|
陵堀から見た「三輪山」 |
なだらかな稜線の葛城山脈 |
|
|
|
道は上り坂でこの先に「相撲神社」があります。「山の辺の道」から外れておりますので間 |
|
|
|
|
土が露出しているところに「土俵」が |
土俵を必要としなかったと思われるからです。その勝負で殺された当麻蹶速を祀る五輪塔 |
|
|
|
|
|
「相撲神社」と「兵主神社(ひょうずじんじゃ)」とは隣接しており「二の鳥居」に向かって |
|
|
唐破風の向拝をもった「拝殿」で、拝殿の奥には三屋根の建物がありました。これが神 |
|
|
ここ「穴師」が我が国のミカンのふるさとで街道にはミカンの無人スタンドが軒並みあります。 |
|
|
葛城山脈と二上山 |
右側の森が「崇神天皇陵」です。 |
「穴師兵主神社」「相撲神社」辺りは大和平野が眺望できる絶好の場所です。万葉が詠ま |
|
「巻向川」は穴師と檜原の間を流れております。昔は水滔々と流れていたことでしょう。 |
|
「ぬばたまの 夜さり来れば |
|
|
|
|
|
|
「檜原神社」は「大神神社」の摂社で、神殿、拝殿もなく
、ただ赤松と渾然一体となっ |
|
|
|
![]() |
|
![]() 檜原神社窯跡 |
|
|
立派な注連縄が「鳥居」と言う珍しいものです。その鳥居を通して西方を眺めると二つ
夕日の撮影に3月13日に「桧原神社」へ行きましたらカメラマンの数が少ないので社前 |
|
|
|
|
![]() 龍王山 巻向山 三輪山 |
![]() 三 輪 山 |
コースから外れますが、「檜原神社」を西に少し下ったところに「井寺池(いでらいけ)」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「玄賓庵」の山門を撮影していると2人の方が来られ山門右に植えられた「椿」を見てい |
|
|
|
木漏れ日の縞模様の道を行くと |
|
|
|
|
|
|
|
|
鳥居をくぐって玉砂利を踏む音を聞きながら行くと間もなく石階段です。階段を上がり |
|
「霊泉の井戸」は神殿の左横を進むとあります。 |
|
|
|
「三輪明神・大神神社」で、「大神神社」と書いて「おおみわじんじゃ」と読みます。 |
|
|
ゆるいカーブになった参道を進むと石階段がありそれを一段一段上がって行くと独特の |
|
|
幾星霜の歴史を見続けてきた「巳の神杉」は、千古の昔から、 |
で、これらの象徴は子孫繁栄・五穀豊穣を祈願するもので当時では悲壮な願い事だったこ |
|
|
|
|
「平等寺」は大神神社の神宮寺で |
|
|
「多宝塔」ではなく「二重塔」とは珍しいです。 |
|
|
|
|
|
「金屋の石仏」は鉄格子の扉に守 |
なぜかもう既に2体揃って安置されております。 | ||
|
|
|
|
|
|
「海柘榴市観音」は街角のどこにでもある「祠」のようなものですが近隣の方にとっては
「海柘榴市」は、古代から栄えた交易市です。大陸の使節も大和川(初瀬川)の舟運を利 |
|
|
「佛教傳来の地」とは、仏教が初めて日本に送ら |
|
「三輪山」は467bの高さで神奈備その |
|
|
檜材で赤松はあまり聞かれません。 |
|