仏像の誕生-1

 今回の「仏像の誕生」については予備知識もなく悪戦苦闘しながらなんとか纏めまし
たが満足する内容とはいえません。しかし仏像の誕生は素人の私のとって興味尽きな
い内容であることは事実です。
 少しストゥーパに触れた後に仏像について記載いたします。
 インド・パキスタンと我が国との仏教には大きな違いがありインド・パキスタンで
は仏教をささえたのは王侯貴族、豪商、比丘などでした。これらの関係者が没落する
と仏教も運命共同体として栄枯盛衰の理の通り両国の仏教は消滅していきました。
 ただ、インド・パキスタンでの仏教興隆時代は、仏教建築の寄進、既存の建築物の
改修、拡張に上流社会の男性のみならず女性までもがわれ競って驚くような寄進して
おりましたことは奉献塔の多いことと建築を荘厳する浮彫り彫刻の多さが物語ってお
ります。我が国でも功徳を求めて寄進を競う平安時代がありましたが寄進したのは一
部の特権階級だけだったのでインド・パキスタンとは比べようがありません。 
 これからの説明ではインドのマトゥラー、パキスタンのガンダーラと記載しますが
当時はインドのマトゥラー、インドのガンダーラだったことを念頭に置いといてくだ
さい。

          

 「ストゥーパ」の形状ですがインドでは円形基壇に半球状の伏鉢、平頭、その上に傘
蓋で構成されますがあまり高くそびえる塔は好まなかったようです。一方、ガンダー
ラでは方形基壇に複数の円形状の胴部に半球状の伏鉢を乗せその上に平頭、傘蓋を置
いております。両国では基壇の形状が大きく違います。 


        ストゥーパ 

  「ストゥーパ」は紀元前の作品
です。下の欄楯(らんじゅん)(
矢印
)(玉垣)の向こう側に下の繞
道(にょうどう)がありさらに上の
欄楯(緑矢印)の向こう側にも繞道
があります。
 後述のサーンチー第一塔をご参
照ください。
 ストゥーパの伏鉢に掌印(青矢
)が付いております。上の繞道
を3回の右回り礼拝をしたのでし
ょう。右手で仏陀の象徴たるスト
ゥーパに触れながら右繞礼拝する

ことによって来世には浄土に近づけることを願っていたのでしょう。

 

   
 南塔門 下の繞道(サーンチー第一塔)


   上の繞道(サーンチー第一塔)

  下の繞道にある階段を上がると右図
の上の繞道に出ます。
 この階段は南側しかないところから
現在は北側が正門となっておりますが
当初は南側が正門だったことでしょう。

 

 当初の伏鉢の表面は漆喰できれいな表
面に仕上げられておりました。現在もそ
の厚い漆喰塗りを所々で残されておりま
す(後述)。この繞道を伏鉢に触れながら
3回右回りで回ったことでしょう。

           

 「サーンチー」は前回書きましたように国立インド野外美術館と言えるところです。
巨大な伽藍配置だった面影はありませんが紀元前1世紀からの美術作品が見られる貴
重なサーンチーです。前回の「仏陀の生涯」の掲載写真にはサーンチーの作品が多数あ
りました。アジャンター石窟でのしつこいもの売りにはうんざりですがその点、サー
ンチーでは一切なくサーンチーの感激の余韻に浸ることが出来ます。
 サーンチーの巨大伽藍が廃墟の状態になりながらも第1塔、第2塔、第3塔が奇跡
的に残ったことは美術的価値においても素晴らしいことです。象牙職人の作品という
だけあって細部まで丹念に彫りあげた壮麗な作品を心ゆくまで満喫してください。
 仏教美術の起源は仏教建造物を荘厳するため本生譚、仏伝の浮彫彫刻でその集合体
がサーンチーです。 


        サーンチー第一塔(東門)

 「サーンチー第1塔」
の東門です。
 第一塔の基壇の
     直径は36.6m、
高さは16.46mです。
  「塔門」は東西南北
に四つあり、塔門の表
裏には精緻な浮彫り彫
刻で埋め尽くされてお
ります。


      平頭と傘蓋


    伏鉢(白い部分が漆喰)

 当初は舎利容器を納めた空間を反円形に土盛りで固めただけだったのがその上から
切石が組まれさらに漆喰仕上げといたしました。写真では漆喰が剥がれて石組みが露
出しております。それらと並行して円形基壇、平頭、傘蓋が追加され現在の姿になり
ました。これらの改造工事が完了いたしましたのが我が国の弥生時代でその当時の姿
を今に残すサーンチーです。それがじっくり拝観出来て写真撮影も自由という恵まれ
た所で私など2回目は長時間滞在しておりました。昨年までストゥーパの表面と彫刻
が黒くくすんで汚れておりましたが現在は写真のようにきれいに整備復元されており
ます。

  塔門、欄楯も木製から石製にグレードアップ出来ましたのは多くの供養者が功徳を
競ったからです。
 古代インドの貴人たちを埋葬した墳墓がストゥーパの淵源ということですが古代イ
ンドでは土葬の習慣だったのでしょうか。もし、火葬ならあとはガンジス河に流す筈
ですがそういえば仏陀もガンジス河に流していないのは何故でしょう。
 ストゥーパの丸い形は仏陀の円満な思想の表現でしょう。サーンチーは支配者の墓
ではなく仏陀という聖人の墓ですから豪華さはないですが周囲には欄楯と鳥居の元祖
のような塔門があります。
 インド、パキスタン共に野外のストゥーパが完全な形で残っているのはサーンチー
だけではないでしょうか。パキスタンでは完全どころか無残な姿のストゥーパしかあ
りませんでした。

 サーンチーは何時間いても見あきないほどの作品群ですが総てを紹介することはで
きませんので「聖樹礼拝」のそれも一部を掲載いたします。 

 

 


         サーンチー第一塔(北門)

 有名な「アシャーカ
王柱」が青矢印の所に
立っておりました。
この丁度反対側に折れ
た支柱が置かれており
ます。頂上の4頭の獅
子はサーンチー博物館
に展示されております。
 赤矢印は三叉標で
三叉標については後述
いたします。


  アシャーカ王柱の折れた支柱


    アシャーカ王柱の基部

 サーンチーのアシャーカ王柱の柱頭ですが背中あわせ4頭の獅子で構成されており
ます。図の
頭の獅子は黒色ですがサーンチーの現物は白色です。基壇には4聖獣、
獅子、象、牡牛(こぶ牛)、馬の順に法輪を挟んで彫刻されております。
 
両側の図のように獅子の頭上には法輪(青矢印)が挙げられていたのではないかとも
言われております。基壇に法輪がありますので不必要だったのかも知れません。

の獅子が
獅子吼して邪悪なものの進入を防いだことでしょう。

 柱頭彫刻の数々です。

 


 
獅子の柱頭


 
牡牛(こぶ牛)の柱頭

 


    背中合わせの獅子の柱頭

 

 


     
三叉標


    
        三宝標


 
        三宝標

  左端の「三叉標(さんさひょう)」がサーンチーのものです。三叉標とは蓮華座上にあ
る三叉が仏陀の象徴として崇敬されました。
  「三宝標(さんぽうひょう)」とは三叉の上に三つの法輪を載せたものです。三叉標は
仏陀のみでありますが三宝標は仏陀、法(仏陀の教え)、僧を象徴的に表すものです。
仏陀だけであったのが仏、法、僧の三宝が崇拝されるようになります。仏、法、僧の
成立で仏教教団が出来たことになります。 
 
台座は主に蓮華座が用いられておりますが右端の図は片膝を付いたヤクシャが法輪
を右手と頭で
支えております。両側には三宝標を礼拝する比丘たちがおります。 

 


          サーンチー第2塔

 「サーンチー第2塔」
は現存最古のストゥー
パではないかと言われ
ております。
 基壇の直径は
   14.33mです。
 第2塔には塔門、平
頭、傘蓋がなく欄楯の
みが存在いたします。    

  後述の第51番僧院跡の横を通り未整備の石段を下ったすぐの所にあり、石段は危険
が伴うようなものではありませんが2回目の方たちはパスされてしまわれました。下
記の装飾文様は第2塔の一部で制作年代は紀元前の気が遠くなるような古代です。是
非訪れて浮彫り文様をじっくりとご覧ください。仏伝図はありません。 

 


           第51番僧院跡

 「第51番僧院跡」は
第1塔とほんの近く
にあります。
 手前が東であるた
め東が正門となりま
す。第51番の僧院と
いうことはサーンチ
はいかに巨大な仏教
伽藍だったことが想
像されます。

 


      サーンチー第3塔


 南門(サーンチー第3塔)

 「サーンチー第3塔」の基壇の直径は15mです。南の塔門のみが残っております。
第1塔とは向かい合う近距離にあります。十大弟子の舎利仏、目犍連の遺骨を納めた
と思われる舎利容器が出てきたとのことです。十大弟子も仏扱いされていたというこ
とでしょう。

 
  サーンチーの3塔全ての彫刻は紀元前後に造られたものでよくぞ今日まで残ったも
のだと感心させられます。それよりも工人の技術力の高さと古代に硬い石を加工でき
る工具があったということは驚嘆に値します。

 

 


        ダーメーク仏塔 


   鼓胴部の装飾部分 
  グプタ時代の装飾で幾何学文様、
樹枝文様など美しい文様で荘厳さ
れておりました。

 「ダーメーク仏塔」はインド最大のストゥーパだと言われております。基壇の直径は
 28m、高さは43.6mを誇り、伏鉢鼓胴部は石積みで2段の円筒形となっております。
 8カ所の仏龕(青矢印)には仏像が残っておりません。 

 ダーメーク仏塔は仏教の四大聖地の一つ「サルナート」にあり仏陀が最初に説法した
場所として著名です。鹿の園ですが鹿の数は少ないです。 

 


             アジャンター石窟 全景

  アジャンター石窟」は巨大な仏教石窟寺院で今から約200年前にイギリス人によ
って発見されたとのことです。インドでは珍しい絵画が豊富に残っております。絵画
だけでなく彫刻も優れたものがふんだんにあります。百聞は一見にしかずです。自分
の目でご確認ください。ただ、もの売りには関わらないことです。断る積りで「あと
で」というと出てきたところで待っております。原石などを手渡すのでただでくれる
のかと思えばきちっと代金が請求されます。パンフレットが欲しい場合は要らないと
いう態度で歩いて行くとだんだんと価格が下がります。ある時など価格が半分以下に
下がり高い価格で購入された方は大変悔しがっておられました。
 石窟は手前から順次番号が付けられております。
 手前の川は「ワゴーラー川」ですが乾季の季節だったので水は流れておりません。


   アジャンター第10窟

 
       アジャンター第26窟

  「アジャンター第10窟のスト
ゥーパ」は紀元前の造立だけに
シンプルなスタイルです。2段
の基壇上に半球状の伏鉢を置き
その上に平頭、当然あった筈の
傘蓋が欠落しております。初期
の特徴である装飾彫刻、装飾画、
仏像は刻まれておりません。

 

 「アジャンター第26窟のストゥーパ」は仏像
崇拝に変わる過渡期に造営されたのでありま
しょう。龕の中に仏陀坐像を安置し舎利の代
わりに仏像を納めた仏像舎利となったのでし
ょう。
 高い基壇となったため伏鉢が上に押し上げ
られました。半球状から円球状に近づいた伏
鉢には男女の飛天などの装飾彫刻が施されて
おります。伏鉢に彫刻を入れることはストゥ
ーパが装飾的建造物に変わったということで
しょう。

 

 

    
            アジャンター第19窟

   
        エローラ第10窟 

 「アジャンター第19窟のストゥーパ」は高い基
壇上に円球状の伏鉢となりしかも平頭と傘蓋が
一体化しております。
 仏像を祀った基壇部分が大きくなり伏鉢は仏
像の傘蓋のようになっておりストゥーパから仏
像に主体性が移っております。
 我が国の塔の伏鉢は半球状でインドの古代の
しきたりを踏襲しておりますがその伏鉢は高い
層塔の屋根上にぽつんと乗っております。 

 

 「エローラ第10窟のストゥーパ」
は大きな仏龕となり基壇は分かり
ません。脇侍を従えた仏像を安置
した仏龕はストゥーパから前に張
り出た状態で構築されております。
仏像とストゥーパとは各々独立し
たものという考えでしょう。傘蓋
は欠落しております。

 

 これよりはパキスタンのストゥーパです。

 ダルマラージカー大塔

 


         ダルマラージカー大塔跡

 「ダルマラージカー大塔」は土饅頭型のストゥーパです。直径46m、高さ14mで周囲
には多くの奉献塔が祀られておりました。大伽藍の寺院だったらしいですがその面影
はありませんでした。


    アトラス(ダルマラージカー)


 薬師寺の本尊の台座(北面・玄武)

 基壇を支える「アトラス」については後述いたします。

 

 シルカップ遺跡

 


          シルカップ

 

 

 「シルカップ」は広大
な伽藍ですが見渡した
ところ建造物らしいも
のは下図の方形基壇し
か見えませんでした。


          方形基壇(シルカップ)

 

 5段の階段が設置さ
れた6.65mの方形基
壇です。この方形基
壇上に伏鉢が設置さ
れその上に下図の平
頭と傘蓋が乗ってお
りました。 

 それにしても方形基壇はよくぞ残ったもので基壇の装飾は建築的には貴重な遺構な
のでしょうが理解できませんでした。分ったのは丸柱と角柱が使われていたことと
双頭の鷲のレリーフくらいです。


    角柱と円柱・双頭の鷲(青矢印)(シルカップ)


   平頭・傘蓋

 

 

タフティ・バハイ山岳寺院


  タフティ・バハイ山岳寺院


  タフティ・バハイ山岳寺院

  「タフティ・バイ山岳寺院」は約150mの高台にありますが到着すると真っ先に上の
注意板が目に飛び込んできます。こんな遠隔地まで来て問題を起こす者がいるとは同
胞として恥ずかしい限りです。
 山の中腹を切り開いて伽藍が造られました。この辺りの山には今だ発掘されていな
いところが多くあるとのことで相当数の美術品が盗掘に会い海外に流出していること
でしょう。最近(2007.07.06)の新聞でも密輸仏像が約30点アメリカで摘発され、幸い
なことに押収された仏像はスワート美術館に返されたと報じております。その密輸品
の中には完全な頭光を付けた菩薩坐像がありました。今回気付いたことはガンダーラ
美術は個人蔵が多いことでした。

 


      全 貌(タフティ・バハイ山岳寺院)  

 ガンダーラ平野を見
降ろす素晴らしい景観
です。
 平地は幾らでもある
のに山地に造営された
のは神が宿る山として
選ばれたのでしょう。
 主塔院には方形基壇
(青矢印)のみ残ってお
ります。
 向こう側には僧院が
見えます。
 

 奉献塔区には仏像を祀る小祠堂が有りその小祠堂に祀られていたのが下図の仏像
(模作)です。
 発掘すればまだまだおびただしい仏教美術品が出てくるとのことです。ここでは簡
単なネットで仕切ったところに発掘品が無造作に置いてありました。これでは盗難に
会わないのかと心配になりました。


     奉献塔区(タフティ・バ
イ山岳寺院)  


  仏陀像(小祠堂)

  

 

 ブトカラ遺跡

 「ブトカラは」奉献塔が200基あったという広大な寺院跡です。ゆっくりと回れば
色々な発見があることでしょう。立ち寄る程度でしたので情報はありません。


         ブトカラ遺跡


  獅子(ブトカラ遺跡) 

 「狛犬」の元祖みたいな「獅子像」が寂しそうに佇んでおりました。


         ブトカラ遺跡


   ブトカラ遺跡

 モラモラドゥ僧院


     方形基壇(モラモラドゥ)

  「モラモラドゥ塔」は方形
の基壇とその上の円筒部が
少し残るだけとなり灰色の
瓦礫と化しておりました。
ガンダーラでは基壇が高く
なっていった影響で高い方
形基壇であります。欄楯、
塔門はありませんでした。
ただ、大塔を中心に200基
のストゥーパが並ぶ盛況な
伽藍だったようです。 


 小祠堂(モラモラドゥ)  


         内 庭(モラモラドゥ) 

 
 奉献小塔(モラモラドゥ)


  奉献小塔(模作)

 「奉献小塔」は僧院の祠堂内
に安置されております。素材
はストゥッコで彩色は剥落し
て白色の塔となっており清楚
な感じです。
 下から5段の鼓胴、伏鉢、
逆平頭、七重の傘蓋で伏鉢が
上へ上へと祀り上げられてお
ります。  
  高さ3.6mの奉献塔が寺院
址に残されております。博物
館にあるのがコピーで移動す
れば破損する恐れがあるため
現在も残されたままですが奉
献小塔がここまできれいに残
っているのは珍しく貴重な遺
構といえます。祠堂の左半分
には固定の防護壁があり開い

ている右半分に身体を入れての撮影でしたので一度には撮影できず写真は合成写真で
す。
  円柱部が何段にも重なりしかも相輪も高くなっておりますがバランスは取れており
ます。下から2,3段目の龕には小仏像が祀られております。伏鉢はストゥーパその
ものではなくなり上に祀り上げられ一部分となっております。 
 奉献塔が東南アジアにおいても多く建立されて中には千塔もの寺院がありますが我
が国での奉献小塔は少数しかありません。

 

 ジョーリアン山岳寺院


       ジョーリアン山岳寺院

 

 「ジョーリアン山岳
寺院」は高さ90mの中
腹にある山岳寺院で
見るべきものが多くあ
りました。下図の基壇
がいくつかありました
が一時保管というよう
な陳列で惜しい気がい
たしました。訪れる人
も少ないので整備費用
が出ないのでしょう。


   基壇(ジョーリアン山岳寺院)


      基 壇(模作)


  仏陀像(ジョーリアン山岳寺院) 


 仏陀像(ジョーリアン山岳寺院)

 スタッコ(ストゥッコ)製の仏像で粘土で荒型の像を造り漆喰で仕上げます。
4,5世紀に盛んに造像されました。ストゥッコは漆喰、石灰と同じ意味です。 

  
 瞑想する仏陀像(ジョーリアン山岳寺院) 


 仏陀像(ジョーリアン山岳寺院)   

 

 

 シャンカダール仏塔跡     

 


         シャンカダール仏塔

 

 

 「シャンカダール
仏塔」の表面を飾っ
ていたレリーフは
見当たらず誰かが
持っていったので
しょう。

   
  
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