日光東照宮

 2001年、初めて日光東照宮を訪れた時はグループ旅行で、団体行動のため満足な写
真は撮れずじまいでした。そこで、写真を入れ替えるため先月(2007.10)再度訪れま
した。修復中だった
「上神庫」の妻に施された著名な2頭の「象の彫刻」も華麗な姿に息
を吹き返しておりました。

  「日光」の地名の起こりは、日光の地形がインド南海岸にあ
る山で「観世音菩薩」の住処である「補陀落山(ふだらくせん)」
と似ているところから、二荒(ふたら)山と呼んでおりました
のがいつしか、その二荒を「にこう・にっこう」と音読みして、
「日光」の字を当てたとされております。日光とは美しい響き
を持ったネーミングですね。
 昔から、山岳信仰の霊場であった日光は海抜640mにあり、
奈良の霊峰「生駒山」も642mとほぼ同じ高さです。
  右の扁額は「法隆寺百済観音堂」のものです。 

  なお、浄土と言えば上記の観世音菩薩の補陀落山を始め、阿弥陀如来の極楽浄土、
薬師如来の浄瑠璃浄土、釈迦如来の霊山浄土など我が国では数多くの浄土があります。
中でも西方極楽浄土が一番知られており浄土と言えば極楽を指すくらいです。
 
みやびの「日光東照宮」とわび・さびの「桂離宮」が同じ江戸時代に建立され、どちら
も人気スポットとなっておりますのは日本人の多彩な美意識の表れでしょう。

 「本地堂」の本尊は、東照宮の本地仏である「薬師如来」を祀っております。その薬師
如来の脇侍といえば「日光・月光菩薩」です。日光菩薩と日光の地名とは何か関係があ
りそうですね。東照宮は神仏習合を今に残すところといえます。 

 「国宝建造物」は5件で、「見ざる言わざる聞かざるの三猿」、「狩野探幽が想像で描い
た象の彫刻」 「左甚五郎作の眠猫」は「東照宮の三彫刻」として名高いものです。

 


       
  石 鳥 居

  「石鳥居」は高さ9m、柱の直径
1.2
m。花崗岩で造られた日本一の石
鳥居です。
 日本三大鳥居の一つで、他の二つは
京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮の
鳥居です。
 「東照大権現」の扁額は「後水尾天皇」
宸筆と伝えられております。
 
 
 石鳥居は「黒田節」という唄で御馴染
みの「黒田筑前守長政」が寄進されたも
のです。

  石鳥居を潜ると左手に五重塔が見えます。鳥居は神社の建築物で一方の五重塔は寺
院の建築物です。現在でも神仏混淆であった神社に塔、寺院に鳥居・神社が存在いた
します。なかでも、東大寺境内には数多くの社が存在しております。神社には多宝塔
が多く存在したようですが廃仏毀釈の影響で移建、取り壊しをされました。

 
    五 重 塔  

  「五重塔」は高さ35mと少し小振りですが絢爛、華麗な
塔です。文化14年(1817)に再建されたものです。
 「塔」は三方の鬱蒼とした杉の木立に溶け込んで、ぼっ
てりした重々しい感じがしませんでした。
  
 
中央の「心柱(直径60cm)」が四層目から鎖で吊り下げら
れ、底部は礎石から浮かせているという斬新なアイデア
が取り入れられております。何故かと言いますと、例え
ば、薬師寺の「東塔」の造立は730年、 「西塔」の再建は
1981年で、
西塔は東塔より30cm高くしてあります。それ
は200年経てば東塔と同じ高さになると設計されている
からです。このように塔の屋根は時代を経ると木材の乾
燥、収縮などで下がって参りますが一方心柱は殆ど縮み
ませんので心柱が最上層の屋根を突き破り、結果出来た
露盤と屋根の隙間から雨漏りがします。そこで、心柱を
吊り礎石から浮かしておきますと上記の問題を避けるこ
とが出来る利点があります。
 また、心柱を吊り下げておきますと地震の際心柱が分
銅の役目をして建物の横揺れを抑え倒壊から免れる耐震
のためとも言われております。

  
  平行垂木(初重〜四重目)
(参考写真)

 
   扇垂木(五重目)
(参考写真)

   「垂木」は初層から四層までが和様の「平行垂木」、最上層の五層目だけが禅宗様の
「扇垂木」となっております。

  「仏塔」の垂木は平行垂木が通例です。ただ、「安楽寺八角三重塔」は禅宗様で造営さ
れており裳階は平行垂木ですが他の垂木は総て扇垂木です。また、「向上寺三重塔」の
場合何故か初層が扇垂木で二層、最上層が平行垂木となっております。両塔ともそれ
はそれは見ごたえのあるものでした。

 「蟇股(かえるまた)は中国からの渡来の
「人字形割束(緑矢印)」が変化したもので、
故郷の中国では人字形割束の人字の「人」が
直線から曲線に変わるだけで、後世まで踏
襲されました。
古代の木製の人字形割束と
しては法隆寺のものが「東南アジア唯一の
遺構」です。
 
蟇股」の由来は、蛙(蟇)が脚を広げてふ
んばった姿勢と似ているところから「蟇股」
と名付けられました。


    
人字形割束(法隆寺金堂) 

 蟇股は我が国では独自な発達を遂げ、神社の「神殿」にも採用されております。 
 なお、蟇股は寺院建築では和様のみで、組物と組物の間の中備(なかぞなえ)のとこ
ろに設けられております。
古代寺院の中備である間斗束が装飾的な蟇股と入れ替わっ
ていきました。
 蟇股といえば後述の左甚五郎作と言われる「眠猫」がよく知られております。 

 
     初層部分(五重塔)

  「東照宮五重塔」の初層の蟇股には
十二支の動物が彫刻されています。
 蟇股は黄矢印の中備のところに設け
られています。蟇股は一面に3個、四
面で合計12個となります。が、残念な
がら正面以外は立ち入れず、他の9個
の蟇股を見ることは叶いませんでした。


         蟇 股(虎)   

 正面の蟇股は向かって右から
「虎」「兎」「龍」の文様が並んでおり
ます。

 徳川の、
初代の将軍は「寅年の家康」、
2代目は「卯年の秀忠」、
3代目は「辰年の家光」で偶然とは
いえ十二支の順番通りです。しか
も龍は四神では東を守護し、
十二支では卯の方向の東であるこ
とから五重塔はほぼ東向きに建っ
ております。
 東照宮では龍、虎の単独彫刻は
存在しますが「龍虎」の組み合わせ
はありません。
 蟇股も、時代とともに建築技術
の向上に伴って構造材から意匠材
へと変わり、目覚しい発展をいた
します。丸彫の彫刻を蟇股に当て


         蟇 股(兎)  


         蟇 股(龍)  

たものまで現われてまいりました。蟇股は当時の棟梁が競って造り上げたものだけに
見ごたえがあるものが多いです。 


         蟇股(田母沢御用邸(日光))


      蟇 股(鈴木神社)  

 


        
表 門(仁王門)

  「表門」は古都奈良では「中門」または
「南大門」といいます。明治時代までは
「仁王門」と称されていたとのことです。  

 構造形式は三間一戸(こ)の八脚門、
屋根は切妻造です。(戸とは出入り口の
ことです。)
 正面には仁王像(寺院)、背面には狛
犬(神社)が安置されています。
 優れた彫刻の展示が表門から始まり
ここだけでも東照宮に来られたことを
実感されることでしょう。

     
 
    三棟造(法隆寺東大門)

 天井の「三棟造」は奈良時代に流行した建
築意匠で、法隆寺東大門、薬師寺回廊があ
ります。

 三棟造とは棟が三つ(矢印)あることです。
 青矢印の「棟」は見えますが、緑矢印の
「切妻造の棟」は天井の上にあるため見えま
せん。
 

  
     吽形の仁王像(正面)


       阿形の仁王像

  正面は猛々しい赤鬼が、背面は可愛らしい狛犬が邪悪者の進入を防いでおります。
 神社である東照宮の表門を守るのは、正面が仏教の仁王で、背面が神道の狛犬であ
るのは我が国ならではのおおらかさでしょう。
 平安時代、狛犬と唐獅子の違いは角のあるのが狛犬と決まっていましたが表門の狛
犬は一方の狛犬にしか角がないので角のある方が雄の狛犬ということでしょう。鬼瓦
でも左右の鬼で角があるのとないものがあれば角のある方が雄鬼です。それに対して
平安時代の阿形の獅子と吽形の狛犬という説もあります。
 唐獅子も狛犬も元を
辿ればインドの獅子にたどり着きます。

    
    吽形の狛犬(背面)

 
     阿形の狛犬(獅子?)

 
     鎌倉時代以前

    
       鎌倉時代以後

 「木鼻(きばな)」の出現は、「平重衡の南都焼打ち」にあって荒廃した「東大寺」を見事
に再建した「俊乗坊重源」が、中国から持ち帰った建築技術の「貫」が採用された鎌倉時
代からです。貫という技術は建築を格段強固にし、構造そのものを大きく変えました。

 木鼻は「木の先端」という意味の「木端(きばな)」が転じて「木鼻」に書き換えられたも
のです。頭貫などの水平材(横木)の先端や、あるいはこれらが柱から突き出した部分
に施された彫刻などの装飾をいいます。
 「大仏様木鼻」には象鼻・獅子鼻・獏鼻などがあり、「禅宗様木鼻」には渦紋・植物紋
などがあります。我が国が誇れる独特の建築意匠です。 
 「法隆寺南大門」は室町時代の再建です。その構造は鎌倉時代以前の様式で貫の技法
は用いられておりませんが、禅宗様の木鼻(若葉のマーク)が設けられております。
 当初は法隆寺南大門の如く横木が柱から突き出た部分のみに彫刻をしておりました
が段々と彫刻美を誇るようになって大きな別木に彫刻したものを柱に張り付けるよう
になります。後世の木鼻は素晴らしいものばかりです。東照宮でも木鼻が多数ありま
すが見ごたえのある作品ばかりです。

   
    木鼻(法隆寺南大門)  

   
         木 鼻(表門)

 

 
            下 神 庫

 「三神庫(さんじんこ)」とは
「下神庫」「中神庫」「上神庫」のこ
とで蔵です。
 三角材を井桁に積みあげた校
倉造でありますが、「古都奈良」
の校倉の形は六角形です。
 下神庫に向かって左に中神庫
がありそれに隣接して上神庫が
鉤の手に配置されております。


   校倉造(唐招提寺宝蔵)


       校倉造(三神庫) 

 


        西  浄

 「西浄(さいじょう)」は下神庫と中神庫の
間にありますが立ち入ることはできません。
その訳は神様のトイレだからです。
 西浄とは禅宗寺院のトイレのことで、東
司(とうす)とも言います。
 西浄の屋根の軒丸瓦紋だけは「三つ葉葵」
ではなく「巴紋(三つ巴)」です。
 現在、寺院の軒丸瓦の殆どが巴紋になっ
たためそれ以前は、軒丸瓦、鐙(あぶみ)瓦
と言われていたのが、巴瓦と言われるよう
になりました。

 

  
          上 神 庫

 「上神庫(かみじんこ)」には
向拝が設けてあります。
 「妻」に施された2頭の「象
の彫刻(青矢印)」の下絵は、
狩野深幽が想像で描いた著名
なものです。
 象の彫刻も見事に復元され
鮮やかに彩られた優美な姿を
見せておりますが彫刻が高い
位置にあり、また三神庫あた
りは径10cmくらいもある自然
の栗石が敷き詰めてあり少し
歩きずらくなっていることも

影響しているのか立ち止まって見る方は殆ど居りません。 
  参考までに切妻造では彫刻のある側を妻、向拝のある側を平といいます。


            象の彫刻(上神庫)

 象は大きな貝殻のような耳、あんこ形の腹と太い尻尾で何かを強調しているのでし
ょうか。

 

 
        神 厩 舎

 上の象の彫刻をご覧になる方が僅
かなのに比べて
「神厩舎(しんきゅう
しゃ)」前は人だかりでした。写真に
人影が無いのは、朝8時に訪れ慌ただしく撮影したものです。
  神厩舎は、神の乗り物である神馬
(しんめ)の厩舎です。きらびやかな
彩色や彫刻で飾られた東照宮にして
は素木造りの素朴で飾り気のない建
物で、屋根は前切妻・流屋造りです。
左右の屋根の長さが違うという他所
ではめったに見れない構造です。  

 昔、猿は馬を災難、病気から守るとされたことから「猿の彫刻」が飾ってあります。
  「馬」を飼う農家では「厩舎」を申の方向に建て、猿にまつまる絵馬などで飾り、馬の
守りとしましたので、猿を大事にしました。ただ、
神厩舎は申の方向には建築されて
おりませんでした。

 
長押の上には「猿八態」の彫刻が八面で施されております。人間の一生を風刺して、
猿の「誕生から妊娠」までの一生に、置き換えたものといわれております。その中でも
左から2番目の「見ざる・言わざる・聞かざる」である「三猿」の彫刻は、皆さんお馴染
みのものです。
 2頭の象の彫刻と見ざる言わざる聞かざるの彫刻は向かい合っております。

 @ 子供誕生。敬宮愛子内親王殿下の
ご誕生。昨年(2000)唯一の明るい話題で
したね。母親は将来、子供の年金がどう
なるのかを案じております。 

 A どろどろした醜い大人の世界を可
愛い子供たちには「見ざる言わざる聞か
ざる」にいたしましょう。当然、この彫
刻は衆目を釘付けにしております。

 B 「浜崎あゆみ」ファンである
小学四年生(2001)の孫娘は、独り立ちし
てしまいつれないです。この孫娘も今や
高校一年生(2007)となり腹の立つことに
ボーイフレンドが居ります。

 C 広い大空に将来の大きな夢を描いた
よき青春時代。もう一度戻ってみたいで
すね。何をするにも年を感じる昨今です。
 若い人たちは遊びと教養に若さをぶつ
けて頑張ってほしいですね。

 D リストラに遭った友人に、君にはふ
さわしい会社がすぐに見つかると慰める
温かい友情。

 E 恋愛時代で、嬉々と木にぶら下がる
雌猿、結婚まではどうかなぁと悩む雄猿。
現代とは逆ですね。

 F 無我夢中の新婚時代。お互いに欠
点を見ないようにしている人生で一番幸
せな時代で将来はバラ色以外考えられな
い時期でしょう。

 G 孫の顔を早く見たい親の気知らずで
若い時代を楽しんでいたが、ついに妊娠。  @に戻ります。このような状況であれば
少子化問題も解決するのですが。 

 

 東照宮には「燈籠」が121基ありますが、「陽明門」内は「東福門院(秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)」のみで、それより12段下がった位置に「譜代大名」、さらに21段下がったところに「外様大名」が寄進した燈籠が安置されております。  

      
       燈 籠

 石鳥居を奉納した「黒田長政の
夫人」が献納した燈籠で大名夫人
が奉納した唯一のものです。

     
         
南蛮鉄燈籠  
 「伊達政宗」寄進の「南蛮鉄燈籠」は、ポルトガ
ルからの輸入鉄で造られたものとして有名です。
掛かった費用は莫大なものだったことでしょう。
 「鉄」の材質は「銅」に比べて融点が高くしかも
硬く加工が大変なため、仏像の彫刻でも「鉄仏」
は僅少です。

 


        御 水 舎

 
          飛 龍(御水舎)  
 立派な翼を持つ「飛龍(青矢印)」は珍しく
古都奈良でもお目にかかることは出来ない
貴重ものです。右側にも飛龍が居ります。

 御水舎(おみずや)の「柱」の素材は木材ではなく花崗岩で造営されたという際立って
壮麗な建物なであり、御水舎に飾られた飛龍の彫刻は東照宮では最高傑作の誉れ高い
ものということで手を清めるだけの手水屋とは想像も出来ない建物です。
 飛龍は細長い胴体ではなく、まるで巨鳥のようであり尻尾は魚の尾鰭(緑矢印)であ
ります。龍と水とは縁が切れないことから飛龍の周囲の文様は波です。

  

 
       回転燈籠

 
    
逆葵紋   


 葵紋(法隆寺五重塔)

  「回転燈籠」はオランダ献上の九角形の燈籠
 でありますが、あまり調べずに製作された為、
 九つの葵紋が逆葵紋になっています。将軍家
 も良くぞ受け取ったものです。
 

 

   
     袴 腰 形 鐘 楼

 「鐘楼」の「楼」とは二階建ての建物の
ことです。
 本格的な鐘楼は楼造です。現在の2
階建てではない鐘楼は、名称だけが踏
襲されました。
 下部は袴腰形をし、階上には朱塗の
高欄を周囲に廻らせた
袴腰形鐘楼」で
す。
後世には袴腰形鐘楼が多く造立さ
れますが簡素な美しさを誇るものばか
りです。
 
 屋根形式は
袴腰形鐘楼は「
入母屋造」
ですが、普通の鐘楼は「切妻造」です。


     鐘楼(法隆寺)


     袴腰形鐘楼(法隆寺)

 

 
      袴 腰 形 鼓 楼

 「鼓楼(ころう)」は中国では多く造られ、
中に配された太鼓で時刻などを知らせてお
りました。我が国では、時刻は「鐘」で知ら
せており、昼間、 鐘が八つ鳴れば、
「未(ひつじ)の刻」で現在の午後2時、それ
から生まれた言葉が「お八つ」(おやつ)です。
現在ではおやつも死語となりました。
 昔は「朝餉(あさげ)・夕餉」の2食時代で
あったため、育ち盛りの子供にとっては午
後2時のおやつはさぞ待ち遠しかったこと
でしょう。
  「鼓楼」は古都奈良では「唐招提寺」にしか
存在しませんが唐招提寺では太鼓は設置さ
れなかったようです

 


         陽  明  門

 「陽明門(日暮門)」は高さ11m、間口7m、奥行4mの八脚門です。
 屋根は四方に軒唐破風をつけた入母屋造、三間一戸の「楼門」です。
 「二重門」は屋根が二重になりますが、楼門は屋根が二階の上に付くだけです。

 屋根は桧皮葺から銅板葺に葺き替えられております。

 頭貫の木鼻は交互に阿吽の唐獅子、中央間に蟠竜の彫刻を付けています。
 
装飾の彫刻で多いのは唐獅子、竜、鳳凰、麒麟、竜馬、獏等の想像上の動物、植物
では菊、牡丹などがあり、孔子、孟子をはじめ、中国の故事や人物など色んな彫刻が
施されています。日本では宗教建造物の装飾に人物の彫刻が飾られるのは異例です。


 彫刻品で門を作ったと言えるほど数多くの彫刻は圧倒される迫力で、そのため、
日が暮れるまで眺めていても見飽きないため「日暮(ひぐらし)門」とも言われます。

 通路の天井には狩野探幽の昇り竜、降り竜が描かれております。

    随身像(ずいしんぞう)(正面)

       阿吽の狛犬(背面)

 阿吽の狛犬には角が無いので阿吽の獅子との説もあります。


  
木鼻(龍馬) 


          2階部分の彫刻(陽明門) 


  
木鼻(唐獅子)   

 木鼻は下層が「唐獅子」で上層が「龍馬」です。龍馬には馬の蹄(青矢印)があります。

 1は「龍」です。
 2は「雲」です。
 3は「獏(ばく)」です。
   獏は悪夢を食べてくれるといいます。江戸
  時代には庶民に親しまれた霊獣だったようで
  す。
   一方、「法隆寺夢違観音」は悪夢を良夢に変
  えてくれるという大変親切な観音さんです。
   「莫」とは隠すとか隠れるという意味で陽が
  隠れれば「暮」となり水がなくなれば砂漠の


       獏(表門)

   「漠」となります。ですから、獏とは我々凡人には見えないはずですが。
 4は「息」で古い記録に息とあるだけで読み方も「いき 」か「そく」かも不明で当然どん
  な生態の動物かも不明とのことです。龍との違いは牙はあるが髭が無いことです。

 5は先述の「龍馬」で東照宮だけでしか見られない貴重な霊獣でなんとなく馬に見え
  ます。
龍馬の読み方は「りょうま」ではなく「りゅうば」です。   
 2
階の回縁は禅宗様の高欄で、四隅に逆蓮柱、組物の「詰組」、「花頭窓」、「扇垂木」
など禅宗様建築の特徴が目立ちます。


    龍(
大崎八幡宮


     
息?(大崎八幡宮

 上記の陽明門の彫刻写真は鮮明ではありませんので仙台市の「大崎八幡宮の御社殿」
に施された彫刻の写真を参考までに掲載いたしました。
 龍の後方下にあるのは雲でしょう。右図は東照宮の息と同類の霊獣ではないかと言
われております。

  
         マ カ ラ 


 息はインドのマカラが変形したのではないか
と言われております。マカラの頭は鰐という空
想上の海獣です。東照宮の息の口は長くないで
すが八幡宮の息の口が長くマカラによく似てお
ります。
 東照宮では息と獏とをはっきりと区別するた
め息の口を長くしなかったのでしょう。


       麒 麟(陽明門)


      麒 麟(陽明門)

           麒 麟(西本願寺) 

 陽明門の唐破風の下で扁額の左右に珍
しい「麒麟(キリン)」が向かい合っていま
す。眺めるには距離がある上に暗くて肉
眼では見辛いです。
 西本願寺の麒麟は唐門に飾られており、
麒麟の特徴である角は一角、足は馬蹄形、
尻尾は牛などが肉眼で見ることが出来ま
す。  

 通常、組み合わせは雲となります。
 麒麟は古代中国で誕生した空想上の動物で動物園で見ることができるキリンとは
関係はありません。
 鳳凰では鳳が雄で凰が雌であるといわれるように麒は雄で麟は雌と言う説もあり
ます。
 四霊(しれい)とは麒麟、鳳凰、霊亀(れいき)、応龍(おうりゅう)ですが高松塚古
墳で有名になった四神は青龍(せいりゅう)、朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)、玄武
(げんぶ)です。


   
屈輪紋


  逆の
屈輪紋

 背面の右から2番目の柱(青矢印)だけが渦を巻く屈輪(ぐり)の地紋(赤矢印)で他の
柱とは逆になっており、特に「魔除けの逆柱」と呼ばれています。

 陽明門の左右の「透塀(すきべい)」
はカラフルかつ多彩な様式美で見ご
たえのあるものとなっておりますの
で心ゆくまでご堪能ください。

 


         
拝殿・石の間・本殿

 東照宮」の中では最も絢爛豪華な建造群で「権現造」の典型的なものです。
 「屋根」は桧皮葺から銅板葺に葺き替えております。
 「石の間」とは「拝殿」と「本殿」をつなぐ間が石敷きであるところからいわれるもので、奈良時代に始まった「双堂(ならびどう)」の名残です。
 「寺院」では正堂(しょうどう)・礼堂(らいどう)、「神社」では神殿(しんでん)・拝殿(はいでん)となり、普通、神殿と拝殿を合わせて本殿といいます。日光東照宮では神殿でなく本殿となっております。


   食 堂    (法隆寺)   細 殿

 「法隆寺」には双堂の源流とも
いえるものがあります。ただ
「正堂・礼堂」ではなく「食堂(じ
きどう)・細殿(ほそどの)」です。
 「法隆寺金堂」の場合礼拝は白
州(しらす)で行われていました。
「法隆寺夢殿」の場合少し離れた
場所に鎌倉時代、礼堂が設けら
れました。

 


         唐  門  

 「唐門」は規模こそ小さいですが豪華絢爛な建物です。
 屋根は四方軒唐破風屋根ですが桧皮葺から銅板葺に葺き替えられております。  
 正面の扉は牡丹唐草、梅、菊等の唐木の透彫で、
入手困難な唐木を使用しているの
で唐門と呼ばれています。

 
左右は透塀になっており、内部に東照宮の中心となる重要な建物、本殿が建てられ
ております。
 


  
降り龍


  
昇り龍

    
     
降り龍

  
   
昇り龍

      唐  門

          法隆寺金堂

  「柱の龍は、唐木の透彫です。
 唐木とは昔、白檀などの南方産の高級硬質材は中国を経由して輸入されたので唐か
らの木ということでの呼び名です。貴重な木材、白檀などの材質は堅く細工にはそれ
なりの技術を要します。「法隆寺九面観音像」は白檀の一木造で719年唐から請来され
ました。

 「唐門」の上部は見事な彫刻の
パノラマです。
 彫刻に纏わる説話は皆さんで
お調べください。


       恙(つつが)


             龍

  四方軒唐破風の屋根の正面と背面には、夜間のガードマンとして百獣の王・虎より
も強いという「恙(つつが)」という奇獣を当てています。
 昼間のガードマンとして東西に「龍」を当てています。
 恙 、龍共に出来栄えが見事なあまり、どこかへ行ってしまわないようにと、恙の足
は金環(赤矢印)で留め、龍もその鰭(翼)を切って飛んで行かないようにしてあります。
違った説もあります。

 唐門の左右に始まり本社を囲む塀、透塀です。透塀は神社では瑞垣(みずがき)と呼
ばれています。全長は約167mもあります。
 上の欄間には花鳥の彫刻、下の腰羽目は波に鴨、鴛鴦、千鳥などの水鳥の彫刻で飾
られております。
 すべて違えてあるという華麗極まりない装飾彫刻は見ているだけで時間が経つのを
忘れることでしょう。  

 


               眠  猫

 「坂下門」の東回廊の蟇股
には有名な名工「左甚五郎」
作と伝えられる「眠猫」があ
ります。奥社には鼠一匹通
さないための「猫」であるの
に居眠りとは職務怠慢、と
いうよりそれだけ平和なん
ですね。

 猫が神社仏閣の装飾のデザインとして使われるのは珍しいことです。
 江戸時代、士農工商とはいえ農民は年貢米を納めなければならず苦しい生活を強い
られましたが町民には税金もなくよき時代だったことでしょう。それとなんといって
も内乱が無かったことです。我が国の仏教美術の大半を内乱で失ったことから考える
とよき時代だったと言えましょう。

 

 眠猫の裏の蟇股の文様は
「雀」です。雀が怖いがらな
いほど優しい猫なのでしょ
うね。

 

  
      華厳滝

   
    華厳滝

 残念ながら、小学生
の卒業旅行などの団体
とかち合い、「華厳滝の
滝口」に降りることは出
来ませんでした。

 


       朝の中禅寺湖


      朝の中禅寺湖 

 


       中禅寺湖

 
       中禅寺湖

 

  
      湯 滝

  
      湯 滝