「塑造」
の材料は近くの場所で採取されるのでただ同然でありますが、大変重く脆い
という致命的な欠陥があります。それだけに「塑像」の制作にはそれなりの苦労があり
ます。
研ぎ澄まされた技法が要求されるだけに白鳳・天平時代で一応終わりを告げます。
平安時代には仏像の制作は「木彫」に変わりますが写実を重んじる肖像彫刻などは
「塑造」で制作されることもあります。その例が「法隆寺の道詮律師像」です。
洗練された写実を重んじた「天平時代」だからこそ「塑像」が多く制作され、それゆえ、傑作が多いと言えます。鎌倉時代、中国から禅宗とともに「塑像」が入ってきます
が出来栄えだけは南都復興とはいきませんでした。
「塑造」の制作はまず最初に「木組み」を作りますが、指のような細部の表現には銅
線を心に用います。その「木組み」に藁縄などを巻き「粘土」が付きやすいように加工
いたします。つぎに、「下土
(粗土)」を塗ります。「下土」は粗い土に、藁を細かく
刻んだ「藁苆(わらすさ)」を混ぜたものです。乾燥した「下土」の上に「中土」を塗
ります。「中土」とは粘土に籾殻を混ぜたものです。「中土」が乾燥した後「中土」に「仕上げ土」を
盛り上げ、細部の彫刻をいたします。「仕上げ土」とは細かい土に
「紙苆」を混ぜたものです。「苆(すさ)」は土の乾燥をゆっくりさせて土の亀裂を防
ぐためのものです。
天平時代の「塑像」の制作は、まず最初に「裸形像」を作りその「裸形像」に土で下
襦袢姿に彫刻いたします。さらに「雲母(うんも・うんぼ)」を入れた仕上げ土で像の
装いを完成させる工程です。これは女性の着物の着付けと同じ方法ですね。このように
手間暇をかけた「仏像」だけに迫真的な表現となっております。仏教美術の黄金時代、
白鳳・天平時代ならではしょう。
「雲母」は高温多湿の奈良で、湿気が像に浸入するのを抑えて破損するのを防止する
ためです。
像全体が乾燥後白土(化粧の白粉と同じ役目)で下化粧をいたします。さらに極彩色
の彩色と金箔の切金(きりかね)文様で華麗な変貌を遂げます。
大型の「塑像」の制作の場合「木舞(こまい)」の技術で竹、薄板、紐などで像の大
まかな形を造りその上に粘土を塗っていきます。この方法であれば像内が空洞となり重
量が軽くなるだけでなく早く土が乾く利点があります。
「塑像」は本来、如来、菩薩のような「身分」の高い仏の制作には用いることは稀で、天部、神将が殆どです。当麻寺の「弥勒仏坐像」法隆寺の「塔本四面具にある文殊菩薩
坐像」は異例で、「東大寺三月堂の日光・月光菩薩立像」は菩薩ではなく天部である可
能性大です。
「居開帳(いかいちょう)」「出開帳(でかいちょう)」という行事がありますが
「居開帳」は現代で言えば秘仏公開で、例えば10月22日(火)から11月22日(金)まで
公開されます法隆寺夢殿の「救世観音菩薩立像」の場合がそうです。「出開帳」は仏像
を寺院から遠くの場所に移しそこで仏像を拝ませる行為です。法隆寺の「夢違観音像」
は法隆寺の中では一番多く箱根を越えて「出開帳」されたとのことですが、今は我が家
にお戻りになってゆっくりと寛いでおられます。
ところが「塑像」は耐久性に優れず大変壊れやすいので「出開帳」には不向きで「出
開帳」はまずありません。ですから奈良に来られましたら皆さんの地元でいくらお待ち
になっても訪れることのない「塑像」を拝観されることをお奨めいたします。 |