塑像のお話

 「塑造」は粘土の材料で制作したものですが、出来上がった「塑像」は焼いていない
自然乾燥仕上であります。「塑像」にとって最悪条件である湿度が高い奈良盆地で、
1,200年以上の幾星霜も保存され今日まで残ったのは優れた技法があればこそで、先人
の卓越した技量には驚嘆する以外ありません。「塑像」が存在する中国の「敦煌石窟」
はじめ他の石窟は、空気が乾燥していて保存に気を使う必要がなく、「塑像」の制作に
は適しております。
  なぜ焼かなかったかというと「塑像」が大きくて焼くことが難しかったからです。
 「塑像」の制作は材料費が安価という利点以上に「土」と「自然」との壮絶な闘いと
も言えるだけに仏教美術の栄華を極めた天平時代だからこそ可能だったのでしょう。
 粘土の像といえば小型の彫刻「塼仏(せんぶつ)」がありますが「塼仏」は日干しも
しくは火で焼いてあります。
 「塑像」の傑作の多くは白鳳、天平時代に存在します。その中でも優れた「塑像」は
法隆寺の「五重塔塔本四面具(とうほんよんめんぐ)」・「道栓律師(どうせんりっし)像」、当麻寺の「弥勒仏(みろくぶつ)像」東大寺三月堂の 「執金剛神(しゆこんごう
しん)立像」・「日光、月光菩薩像 」、東大寺戒壇院の「四天王像」、新薬師寺の「十
二神将像」などです。
  現存最古の仁王像である「法隆寺中門の仁王像」も「塑像」で、ガイドの際「土の
像」ですと説明しますと大抵の方は驚かれます。 しかし、大型像のうえ風雨が当たりや
すい南向きにあり、残念なことに保存のため幾たびかの補修によって少し肥満になりま
した。「法隆寺」では珍しく「中門」は「国宝」ですが「仁王像」は「重要文化財」です。

 

           

     
    執金剛神像(東大寺三月堂)    

 
       弥勒仏像(当麻寺)
 

     
 月光菩薩像(東大寺三月堂)

    
    持国天像(東大寺戒壇院)

 
    伐折羅像(新薬師寺)


  迷企羅像(新薬師寺)

   
    
    塔本四面具(維摩居士像と文殊菩薩像)(法隆寺五重塔)
                 
       道詮律師像(法隆寺夢殿)
                                       画 中 西  雅 子  
   

  「塑造」 の材料は近くの場所で採取されるのでただ同然でありますが、大変重く脆い
という致命的な欠陥があります。それだけに「塑像」の制作にはそれなりの苦労があり
ます。 研ぎ澄まされた技法が要求されるだけに白鳳・天平時代で一応終わりを告げます。
 平安時代には仏像の制作は「木彫」に変わりますが写実を重んじる肖像彫刻などは
「塑造」で制作されることもあります。その例が「法隆寺の道詮律師像」です。
 洗練された写実を重んじた「天平時代」だからこそ「塑像」が多く制作され、それゆえ、傑作が多いと言えます。鎌倉時代、中国から禅宗とともに「塑像」が入ってきます
が出来栄えだけは南都復興とはいきませんでした。

 「塑造」の制作はまず最初に「木組み」を作りますが、指のような細部の表現には銅
線を心に用います。その「木組み」に藁縄などを巻き「粘土」が付きやすいように加工
いたします。つぎに、「下土 (粗土)」を塗ります。「下土」は粗い土に、藁を細かく
刻んだ「藁苆(わらすさ)」を混ぜたものです。乾燥した「下土」の上に「中土」を塗
ります。「中土」とは粘土に籾殻を混ぜたものです。「中土」が乾燥した後「中土」に「仕上げ土」を 盛り上げ、細部の彫刻をいたします。「仕上げ土」とは細かい土に
「紙苆」を混ぜたものです。「苆(すさ)」は土の乾燥をゆっくりさせて土の亀裂を防
ぐためのものです。
 天平時代の「塑像」の制作は、まず最初に「裸形像」を作りその「裸形像」に土で下
襦袢姿に彫刻いたします。さらに「雲母(うんも・うんぼ)」を入れた仕上げ土で像の
装いを完成させる工程です。これは女性の着物の着付けと同じ方法ですね。このように
手間暇をかけた「仏像」だけに迫真的な表現となっております。仏教美術の黄金時代、
白鳳・天平時代ならではしょう。
 「雲母」は高温多湿の奈良で、湿気が像に浸入するのを抑えて破損するのを防止する
ためです。
 像全体が乾燥後白土(化粧の白粉と同じ役目)で下化粧をいたします。さらに極彩色
の彩色と金箔の切金(きりかね)文様で華麗な変貌を遂げます。

 大型の「塑像」の制作の場合「木舞(こまい)」の技術で竹、薄板、紐などで像の大
まかな形を造りその上に粘土を塗っていきます。この方法であれば像内が空洞となり重
量が軽くなるだけでなく早く土が乾く利点があります。
 「塑像」は本来、如来、菩薩のような「身分」の高い仏の制作には用いることは稀で、天部、神将が殆どです。当麻寺の「弥勒仏坐像」法隆寺の「塔本四面具にある文殊菩薩
坐像」は異例で、「東大寺三月堂の日光・月光菩薩立像」は菩薩ではなく天部である可
能性大です。

  「居開帳(いかいちょう)」「出開帳(でかいちょう)」という行事がありますが
「居開帳」は現代で言えば秘仏公開で、例えば
1022日(火)から1122日(金)まで
公開されます法隆寺夢殿の「救世観音菩薩立像」の場合がそうです。「出開帳」は仏像
を寺院から遠くの場所に移しそこで仏像を拝ませる行為です。法隆寺の「夢違観音像」
は法隆寺の中では一番多く箱根を越えて「出開帳」されたとのことですが、今は我が家
にお戻りになってゆっくりと寛いでおられます。

ところが「塑像」は耐久性に優れず大変壊れやすいので「出開帳」には不向きで「出
開帳」はまずありません。ですから奈良に来られましたら皆さんの地元でいくらお待ち
になっても訪れることのない「塑像」を拝観されることをお奨めいたします。