酒菜(さかな)のお話
 

 天武天皇の時代のことです。天武天皇は出家した後に天皇になられたという珍しい経
歴の持ち主の方でありました。ゆえに、伊勢神宮の式年遷宮をお決めになっただけでなく、貴族の屋敷には仏像とお経を用意させるなど、仏教を敬うことを奨励されました。

  天皇は熱心に仏教を信仰され,殺生戒を守って、動物の肉を食べることを禁じられた
のであります。当時は猪と鹿の肉は食してもよかったのですが, 元明天皇時代には地上
に生殖する動物はすべて駄目となります。

  それが平安時代に入りますと、鳥類はOKとなり、食用に出来る動物性蛋白質は魚と
鳥だけという時代が続いたのであります。とはいえ、肉の所望も強かったのか、猪を魚
であるとこじつけ山クジラといったり、ウサギを鳥だといって、一羽、二羽と数えてい
たことからも、戦国武将も肉を食べており、それに犬の肉も江戸時代まで食べていたよ
うです。
 私が小学生時代、学校行事でウサギ狩をしました。カスミ網などで鳥を捕らえたように、網を張り巡らし、その網に向かってウサギを追い込み捕らえ、ウサギ汁にして食べ
ました。今なら、教育的配慮に欠けると言って社会問題となったことでしょう。

 庶民も江戸の末期になりますと、御養生牛肉と名付け薬用料理として食べていたよう
ですが、それも限られた人だけだったことでしょう。
 
  しかし何といっても、島国日本だけあって、貴重な蛋白源は魚であり、しかも、鎌倉
時代の記録にはうまいのは魚で、次に鳥であると書かれております。

  昔は、副食の魚介類、野菜をすべて「菜(な)」といい、酒のあてにする食べ物は「酒
菜(さかな)」と呼ばれておりました。が、やはり魚の方が好まれて、魚を本当(真)の
おかずということで「真菜(まな)」、野菜の方を粗末なおかずという意味で、「粗菜(そな)」といわれるようになりました。

 余談ですが、照焼きといえば、我が国では魚ですが、アメリカでは肉の料理であります。昭和40年代前半の海外旅行では、旅行会社がコストを抑えるために安いチキンの
肉が多く出ました。そこで、もしこれだけチキンばかりを食べていて、帰国の通関の際、旅行者がチキンの卵を産んだら、その卵には関税がかかるのかと冗談を言ったりして、
チキンでなく魚を所望したのもつい最近の話でありました。

  話を先とへ戻しまして、まな(魚)を切る台ということで、「真菜(俎)板」と呼称され、俎板の前で調理するから「板前」と言ったのであります。それと、今も真魚(まな)箸として残っております。 一方、野菜を切る台は「粗菜板」と呼ばれ使い分けられてお
りました。

 魚のことを「おまな」と言うのは、宮中言葉として残っておりましたが、現在は使わ
れていないとのことでした。それにしましても生産者には何とも失礼な「粗菜」は現在
も「蔬菜(そさい)」と呼ばれております。

  それと、魚の「切り身」であるのに「刺身」といわれるのは、江戸の武家社会では切
るは「切腹」に通じるのを嫌って「切り身」でなく「刺身」といい、また、お正月のお
汁もので、関西の「味噌汁」であるのに関東では「すまし汁」というのも、武家社会で
は味噌汁ではみそを付けるといって嫌われたからです。