鬼のお話

  私の法隆寺ボランティアガイドは、南大門の鬼瓦の話から始まります。鬼瓦にも雄鬼、雌鬼がありまして・・・・・・続きは現地で。
  そこで今回は、鬼についてお話をします。日本の鬼ほど毀誉褒貶があるのも珍しい
です。鬼畜生とか、鬼の居ぬ間に洗濯とか言われているかと思えば、鬼に金棒とか仕事・練習の鬼、鬼武者とか言われております。

 “鬼瓦に化粧”ではないですが、中国、韓国の
寺院には派手な屋根飾りがあるにもかかわらず、
何故か、日本では寺院も民家でも鬼瓦一辺倒であ
ります。とにかく、日本人は鬼が好きだったらしく、鬼の付く言葉の多いことから分かります。

  その昔には、鴟尾、鯱などありましたが、鴟尾
は間もなく廃れ、鯱は子院、城の屋根(大棟)に
用いられているのが現状です。
  なお、唐招提寺金堂の大棟に鴟尾が乗っており
ますが、向かって左側は『天平の甍』で有名な鴟
尾で、1200年間も建物の屋根で残ったと言うことは、奇跡としか言いようがありません。右側の鴟
尾は鎌倉時代の補作。 新薬師寺本堂(天平時代)の屋根にはユーモラスな鬼瓦があります。 

 今では鬼瓦以外の屋根飾りがあるのは、皆さん
も10円銅貨でお馴染みの宇治の平等院鳳凰堂の
屋根に乗っている鳳凰くらいです。

  余談ですが、中国では寺院や北京の紫禁城な
どで、建物の屋根の降棟の端にあるのが、鳳凰
に乗った仙人(矢印)であり、それに似たものが、
法隆寺の玉虫厨子の壁画にあります。
 

  一方、仏教の守護神である鬼瓦に比べて、四天王などの足元に蹲る邪鬼は哀れなもの
です。

   飛鳥時代では、法隆寺金堂の四天王像の邪鬼などは角がありますが、仏教に帰依し
て、おとなしく忠実な眷属のようです。平安時代にもなりますと、仏法の興隆の邪魔だ
てするものは、こんな目に会うことになるぞと見せしめとなっています。

  ただ、不思議に思われるのは、世界一古い木造建築である法隆寺金堂には鬼斗とい
う建築部材が使用されておりますが,仏教の敵である鬼(鬼瓦)に堂宇を守らせるでし
ょうか。

  羅刹と言う鬼類で、褌をして珍しく立った姿の像が、同じく玉虫厨子の壁画にあり
ます。鎌倉時代にもなると、立った鬼が興福寺の有名な天燈鬼、龍燈鬼として現れま
す。

  中国では人が亡くなれば鬼(鬼神)になると信じられていました。日本でも人が亡
くなると鬼の籍に入ると言う意味で“鬼籍に入る”といいます。
 その関係かどうかは分かりませんが、出棺の時の門火を“鬼火”といいますね。
 
 中国では鬼神がありますように、日本でも密教と共に鬼子母神(訶梨帝母)が入り、
安産、育児を祈願しております。現在は医学の発達で、出産、育児もそれほど心配する
こともないですが、その昔は生命が脅かされることもあり、それだけに、鬼子母神に一
心に祈願されたことでしょう。それと鬼子母神さんの節分は、当然「鬼は内  福は内」
となりましょう。また、修験道の総本山の一つである金峯山の節分も「鬼は内 福は
内」であります。